舌の根も乾かぬうちに部

 多分私が部長候補かも。

 まだ時間的余裕がありそうなので、とりあえず沙綾型崩し@命名私を二種織ってみます。後は行きっぱなしの流水。残りが短くなってきたら、平織りはかえって時間がかかるのでした。

 久しぶりにザ・鹿島錦を織っている気がする。

緊急事態につき

 今年も文化祭はないよねーとたかをくくって、ちんたら織っておりましたが、期せずして開催されるとのこと。三色団子云々は棚上げ。今の糸を使い切った時点で、残りはすべて裏地用と割り切り平織りにして、次回教室の日までに織り終え、文化祭用の作品を作ることにします。

 とりあえず私の出品予定は、「ガマグチ仕様の長財布」「マグボトル」「スマホリング」ということで。一番の不安はやはり長財布。

鹿島錦のスマホリングが欲しいよう

 ふとそんなことを考えて、検索決行。缶バッジを作る要領でオリジナルスマホリングが作れるキットはありましたけど、厚みの関係で、鹿島錦では無理みたい。

 円形の直径2cmの銅板があれば、これと組み合わせて作れますね。遊びが1mmだと、サイズがギリギリになるかな。カボションやレジン用の器具らしいです。リング部に干渉しないように貼り付けられれば、幸せになれそう。


 

銅板はナンリさんで1枚33円

wordpress仲間(´・ω・)人(´・ω・)

「かしまいろ」より、懐かしい記事。

 鹿島市文化祭の体験レポート。

 ちょうど私が入会した直後に開催された文化祭です。写真の大先生が今より若干お若い。

 私の場合は、旧嬉野医療センターで眼底検査を受けた後、瞳孔が落ち着くまで運転できず、駐車場で時間をつぶしている時に、「おりがみ陶芸の鶴の翼に錦を貼りたい」とふと思い立って、端切れが売ってないかどうかを検索し、結局見つからず、代わりに鹿島錦教室に関して書かれたサイトを見つけ、無ければ自分で織るしかないわなと、その場で祐徳博物館に電話で問い合わをしたのが、入会のきっかけでした。会員の中では経緯が特殊かも。

 あの時、事務局のTさんが「保存会には連絡しときますねー」とおっしゃってくださって、実際にA先生に繋いでくださっていたらしいのですが、私が訪問した時、そのA先生が 完 全 に 忘 れ て い ら し て 、「あんた誰?」という感じに教室中が包まれたことを覚えています。

 あと、私の説明不足もあったのですが、その日午前中に紙でパターンの出し方を学び、台を持ち帰った後、食事の時に皆さんでいろいろ話をされたらしく

①ある程度織れるようになったら多分辞めるはず

②錦を使った製品を販売したがっているようだがそれはどうか

――という流れになぜかなっていて、文化祭の当日、嬉々として見学に行ったら、「この間会員で話をしよったとやけど、鹿島錦として勝手に売ったらだめよー」ということを、当時副代表でいらしたY先生に出合い頭に言われ、「ファッ(‘Д’)」となった直後、大先生においでおいでされ、「あなた(基礎織の)最後まで織る気はあると?」と訊かれたのには、かなり面喰らいました。不快な気持ちになったというわけではない――むしろ面白がった――のですが、情報の誤伝達には気をつけようと、肝に銘じてみたりして。

 来月下旬で、入会してから丸四年になります。エイブルの隣の文化会館の建物も解体されましたし、新型コロナの余波で、昨年、鹿島錦は、発足後初めて、文化祭での展示を中止しました。鍋島家の重臣愛野家由来の祐徳バスセンターも解体するらしいし、長崎本線の存続も危ぶまれ、寂しい話題が続きますが、私個人としては、まだまだやめる気はありませんよ( *´艸`) 今織っているのが織りあがったら、先生からガマグチの作り方を教わる予定。

残り20cmくらい

 気分が乗らずに超ローペースで織っている白金砂子。ようやく残り20cmくらいになりました。今の図案で後3cm弱くらい織れそうです。毎回開始十数センチのところで「どうなるんだこれ」と焦ってしまいますが、終わりに近づくたびに「全てを受け入れましょうぞ」と、プチ悟りを啓くような心境になれるのが不思議。とどのつまり天井天下唯我独尊ということなんだと思います。南無。

 最近は犬の散歩→踏み台昇降→入浴の後で、レンチンするあずきパックで仙骨を温めながら織っています。手持ちのローラーマッサージ機はちょっと刺激が強すぎた。あずきパックは毎冬これでもかという感じで使い倒していて、ほつれてきたため、刺繍糸で繕いつつ使っています。

 どうでもいいですけど、お好み焼きを作るとき、粉を溶く水の量を若干減らして、その分白だしで補填して生地を作ると、味に深みが出ますよ。好評。

※あれだけ楽しみにしていた白金砂子ですけど、いざ織ってみたら「……シテ……コロ……シテ……」状態。 ところで「……シテ……コロ……シテ……」 の元ネタを調べたら、二十代だった頃の私に鮮烈なトラウマを植え付けた「ジョニーは戦場に行った」という戦争文学にたどり着きました。修学旅行で見学した長崎の原爆資料館や知覧の特攻記念館にも、精神をやられた口。