kindle unlimited内を放浪したり、Youtubeでアイヌ関連の動画を漁っています。コメント欄にたまにいる「私が知りたいのは縄文人の情報であって、アイヌの情報ではない」といきり立つ人が謎過ぎてもうね。意味わからん。
最初から縄文系の動画をご覧になればよろしかろう。
昨日は鹿島錦教室でした。しかーし私は用事で参加出来ず。y-chiさんは無事糸の色名確認されたでしょうか。あるいはお仕事だったかな。都羽根の見本帳、買うと2,000円以上するんですよ。送料が入るともっと高くなる。見本に送料込みで3,000円払うなら、糸を買いたいと思うのが人の情。会の見本は一冊あればええんやで。
ここだけの話車の長距離運転イヤンなお年頃なので、わざわざ鹿島駅から電車に乗って出かけたわけですけど、駅の駐車場に停める際、駐車券を取る時は問題なかったのに、帰りに出車する時、腕に負担がかからないようにギリギリで寄せたはずなのに、痛くて窓越しでは機械に券の挿入も出来ないし、料金も入れられない。一回シートベルトを外して、ドアを開けて半身を乗り出して処理した次第。ああもう面倒。すこぶる面倒。
日課の見直しをして、犬の散歩は仕方がないとして、しばらく肩を動かさずに出来ることに集中します。出来れば来週月曜の集団指導も行きたくねえ。
※それにしても鹿島駅の駐車場、以前は一日停めて300円だったんですけど、いつの間にか310円に値上げしているんですよ。何その地味な上げ方。
※すっぽん小町服用再開。果たして効くのか効かないのか。
この場合のサバゲーは一般的なサバイバルゲームのことではなくてサバ読みゲームのことなので悪しからず。私の織りは一向に進まないのに、光陰矢の如しということで、鹿島市のエイブルで開催される11月の文化祭は無情に近づいております。あれは私が文化祭担当の年だったので、故大先生が104歳の時かな。何が皮切りになったのかわかりませんけれど、来場された皆さんと頻繁に次のようなやり取りをされておいででした。
大先生:私いくつに見えます?(´_ゝ`)
御来場者:えー、80代くらいですか?(´・ω・`)
大先生:90( *´艸`)
御来場者:見えない( ゚Д゚)
大先生:本当よー(´_ゝ`)
御来場者:お若いですねー(´Д`)
近くに座っていた私は、14歳もサバを読む伝説の高齢者を横目にどうしたもんかと。その後お手製の鹿島錦のストラップを渡され、あっはっはーでお別れというのが王道でした。高齢者と普段関わらないと思しき若い方だと「60?」という驚天動地の推測をされるものですから、「60で言われた―」と大喜びされたりもして。今となっては懐かしい限り。
さて、今年の文化祭、出せるものがないんですけど、どうやって乗り切んべ。
※パパ活マニュアルの販売で頂き女子リリちゃん逮捕のニュースに失笑。新種のコバンザメか。「お涙頂戴からのお縄頂戴」という表現を最初に思いついた人に敬意を表します。ああもう座布団あげたい。私がこの手の話を持ち掛けられても「七福神と付き合えば」くらいしか言わないかなあ。話くらいは聞いてもいいけどビタ一文出さない。そういえば昔「私に惚れない男はいない」と豪語して、関わる男に借金をさせてハイブランドのバッグや宝石を買わせる女というのをテレビで観たことがありますが、あれはやらせだったのかなあ。
※落語にも「文違い」という演目がありまして。こちら音声だけのバージョン。
独活葛根湯は血液循環を良くする薬ですが、そもそも腎臓保護&高血糖対策で食事制限を続けている弊害で、軟骨を形成するのに必要な栄養が取れていないのも痛みが長引く一つの原因ではないかと考え、関節痛関連のサプリを飲んでみることにしました。効果は不明。だってサプリだもの。炒り糠さんも栄養は豊富だし、青汁さんやエビオスさんにもご降臨いただいておりますが、それでも万全ではないなという気もしていましたし、膝の痛みが発生するプロセスと似ているみたいだから、五十肩にも効くかと思ってみた次第。
なお病院の待合室のテレビで延々宣伝を見せられたイ〇ド〇は、一度買ったらその後の営業電話がものすごいらしいので買わない。栄養補助食品会社ってそういうところあるよね。お前のことだや〇〇。たまのメール以外には一切営業のない顧客フレンドリーな亀蜜とかコーボンマーベルは続けたかったんだけど、どちらも糖度の関係で断念しております。手製の黒ニンニクを亀蜜に漬けこんで食べるのが理想。効きそうじゃない?
ちなみにサプリに対する整形医学会の見解はこちら。いや、わかってはいるんですけど、すがれそうな藁ならとりあえずすがりたいもんでよう。すがらず後悔するよりすがって後悔したいお年頃。
五十肩の予防にはストレッチっていうけど、毎晩ストレッチに励んでいた私がなったんだから、なるときゃなる模様。お気をつけめされ。
※すっぽん系サプリも関節痛を和らげる作用があると言われているそうなので、そっちにしよう。はがくれすっぽんって何と思いつつ注文。
相変わらず眠りが浅い or 眠れない日が続きます。「肩の痛み」って読み飽きましたね、そこのあなた。私もたいがい書き飽きましたのでおあいこということで。症状から調べてみたら、どうもまだ急性期のよう。もう何ヵ月目? どえらい長引くなという印象。「そろそろいいかな」と自己判断でストレッチをしてあいたたたなんてしているせいなんでしょう、多分。先生方の言うことを聞かずに自己流で取り組んで鹿島錦も随分と遠回りしてしまいましたが、五十肩でも同じ轍を踏むことになりそう。稲刈りまでにとりあえず痛みが落ち着いてくれないと困るでござる。独活葛根湯も飲んだり飲まなかったりだし。だって一時期激しい痛みが落ち着いたもんでよう。
夜の痛みが落ち着くまでは無理しないという方向で、改めて。鹿島錦を織る作業も結構手首や肩に響くわけですけど、何もやらないのも時間がもったいないので、図案の整理でもしようかな。
※最後の砦のカロナールはすでに効かない状態。発症してから二回しか飲んでいないんですけどね。ロキソニンは最初から持病のせいで飲めません。痛みがひどい時困る。
その昔、佐賀県内の高校の美術部員が全員強制的に参加させられるデッサンコンクールなる催しが毎年2月に開催されておりまして、授業を平然とさぼりまくる稀に見る不真面目学生だった私も「ああもう寒いのに無理」とぼやきながら、三年間佐賀駅から会場の互助会館まで延々歩いて通ったことを憶えています。当時も今もデッサンメタメタ族の名誉族長を自称しておりますので、もう、参加するのが嫌で嫌で、当然時間内に仕上げはするものの目も当てられぬ大惨事でございました。でも三年の時はかろうじて奨励賞もろたよ。相当数の人がもらえる参加賞+α的な賞ですが。結局私が県レベルで特選をもらえたのは、読書感想画コンクール一回だけでしたね。他は春のスケッチコンクールも秋の高文祭――今は名称違うらしい――も奨励賞止まり。我ながら才能なかったなあ。ちなみに夏のイベントはデザインコンペやで。
閑話休題。
そのデッサンコンクールに初めて参加した時、同じ一年生なのに(確か)一席に選ばれた人がいて、世の中にはすごい人がおるもんやねえと感嘆しきり。実際ものすごく上手で「あ、無理。この人と絵で勝負とか生涯無理」と光の速さで白旗をあげた次第。今考えてみると、あれは池田学氏やってんねえ。違っていたらあれですが、多分間違いないと思う。佐賀北の芸術コースで教鞭を取られていた金子先生も「ありゃー確実に東京芸大クラスばい」と太鼓判を押されていて、その予言の通りの人生を順調に歩んでいらっしゃるようで、何より。地を這うわしとはえらい違いや。
佐賀って離島少ないんですよね。そもそも長崎が多すぎる。カニさんの竹崎も正確には竹崎島という火山島なのですけど、なんせ陸続きなもんでよう。とりあえず竹崎に住めば、「島に住みたい」という子どもの頃からの渇望は、ある程度満たされそうな気がする。
※そもそも日本は島国とか、そういう難癖はいいから。要らないから。
私が高校生の頃ですよ、ちびまる子ちゃんのアニメ放映が始まったの。さらに昔の一休さんも相当続いた印象ですが、サザエさんはもちろんのこと、クレヨンしんちゃんもちびまる子ちゃんも、コンテンツとして強すぎる。私がちびまる子ちゃんを夕食を食べながら視聴していたのは放映開始から二年程度だと思いますし、もう長いこと観ていませんけれど、原作者のさくらももこの軽妙洒脱なエッセイは大好きで、二十代の時に何冊も読みました。あの頃群ようこもよく読んでいたっけ。
そういえば、先日初盆参りの時に同級生のK君と30年ぶりに話をしていて、高校の同級生で野球部のM君が亡くなったのは本当か確認したら、「それもう30年以上前」とか言われてしまいました。辛い。誰から聞いたんだっけ。岡山大学に行った別のK君から交流があったころに聴いたと思うんですが、どうも確信が持てずじまいだったんですよね。ご実家が陶芸関係ということで、当時の有田の窯業大学に進んだという話もその時、岡山K君から聴いて初めて知りました。同級生の進学先とかまるで興味なかったもんでよう。
他にもFさんという女性が亡くなったという話を聴きましたが、こちらは確認が取れず。もしかしたら私が知らないだけで、高校の同級生の中には、他にも鬼籍に入った人がいるのかもしれない。
中学の同級生に関しては、一度も訃報に接したことはなし。家族ごと引っ越したという話も北九州在住の金子先生が怖くて仕方がないF君以外はほとんど聞かず、九割九分実家がこちらにある=緻密な親戚 or 知人ネットワークが形成されているため、亡くなっていたらまずどこからか情報が入ってくるはずですが、いまだなし。一つ下の学年の場合は私の従弟が交通事故に遭って二十代前半で亡くなっていますし、一つ上の学年も病気で何人か帰幽。便りがないのは良い報せというのは、こういうことなのかもしれない。でも過去には死亡説が流れた人はいました――って他人事みたいに書いてみましたが、実は流されたの私なんだわ。福岡辺りでまことしやかにささやかれたそうです。
生きとるわい。
※拾う感覚を思い出してきました。偶数目のせいで拾いづらいですし、時々肩に痛みが走るので様子見をしつつ織っています。相変わらずの超絶ローペースですが、拾うという点に限れば、初心に帰りつつあるところ。その一方で、生きている間にどれだけ織れるかなあと、毎日考えたりもして。果たして限られた時間でたくさん織るのがいいのか、それとも丁寧に織る方がいいのか。多分残りの人生を二分して、前半は数をこなして技術を向上させ、後半は緻密にというのが理想なんでしょうけど。
コスモスでデオドラント剤他を買った帰り、カーブの路肩にスタンバっていらしたとあるおまわりさんに遭遇。「あ、この間職場への訪問確認で話をした人だ」と気づいた直後、私の車に続くようにひょいと走り出したので、バックミラーをチラチラ見ながら「何かした?」としたたかドキをムネムネさせていると、そのまますすーっと追い越され、前を走っていた黒のプリウスを停めるためにひとしきりジェスチャー。黒プリさんの前には軽トラさんがいて、制限速度は三台とも守っていたから何だろうと不思議に思いましたし、黒プリさんもよもや自分が停車を求められていることにまったく気づかなかったのかそのまま進み、結局しばらく走ってエレナの入り口で右折する軽トラさんを待つ形で停止している時に、脇から直接説明を受け、ようやく気付き、「こっち来んさい」と、そのまま駐車場に誘導されていきました。
なんだったのかなあ。運転者はおそらく二十代のお嬢さん。運転中にスマホを使っていたか、チャイルドシートがらみか、あるいは日焼け防止のために窓に何か貼っていたか。最悪指名手配犯だったりして。
なんにせよ自分でなくて良かったと安堵した次第。無事に昼寝できるぜ。
※警察官になった従兄の次女によると「駐在所勤務がよかー」とのこと。市街地勤務に比べて、事件がない地域の方がいろいろ楽だそうです。そらそやね。駐在所だと住めるので通勤の必要もないですしね。でも地元には配属されないっぽいよ。