途中「シィセンドォテンプォー」と英語でアナウンスが流れる詩仙堂というお寺がありました。まさかあそこに佐賀錦の袈裟があるなんて。ちなみに一条寺下り松町は「イチジョジ・サガルゥィマツチョ」やったで。模様織なのかなあ。それとも西陣織のなんちゃって佐賀錦か。落語の錦の袈裟で用いられる錦は、多分西陣織の綴れとか唐織であって、佐賀錦ではない説を唱えておりましたが、これがもしも明治から大正にかけて織られた模様織だとすると、わしも考え改めないといけないかもしれない。それにしても、輪っかがついているこれをどういじくり回せばふんどしになるというのか。さっぱりわからない。
石川琢堂 編『詩仙堂』,詩仙堂丈山寺,1971. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12634797 (参照 2025-02-07)より

※ええもん見つけた。小島節子, ジーン・クレイン 編著『和英・日本紹介事典』,ジャパン・タイムズ,1987.6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12193263 (参照 2025-02-07)より

※小説家中里恒子の「獨唱」という短編に、佐賀錦に長けた大久保夫人という登場人物が出てくるのを発見。今は忙しいので内容の精読こそしてはおりませんが、文中にあるように、佐賀錦を織ることで爪が摩耗するなんてことは、おそらくないと思いますよ、私は。そもそも爪なぞほとんど使わん。よほど七宝の材料で小物作りに励まれたんでしょうか。平岩弓枝に関してもそうですけれど、詳しく知らないことをさも知っているみたいにさらっと書いちゃだめー。
※あきんど経営という本に、西陣もの佐賀錦(と言うらしい)を使った草履を初めて広めた「小松屋」という履物屋さん発見。長崎錦の河村翠さん大激怒案件の発端はこの人か。
※百人百話によると、紋様研究で知られる岡登貞治氏が、晩年「佐賀錦の研究がしたい」とおっしゃっていたとのこと。