鹿島錦および佐賀錦が生まれた鹿島陣屋の跡地は、今では鹿島高校(赤門学者)になっております。実は私もOBだったりしますが、往時の姿を偲ばせる建物は校門として認識されている朱塗りの門だけ。時々「こんな立派な門をくぐって通学なんて羨ましい」とか言われますけど、生徒は誰も通らんのよ。下足箱まで遠くなるのでショートカットして通学がデフォ。
敷地内外に複数ある直彬公(初代沖縄県令)の像は、携えた手袋がバナナに見えることから通称「バナナさん」。佐賀の乱のときに致し方なく自分で火を付けて鹿島陣屋(鹿島城)を燃やし尽くした方でもあります。
そんなアグレッシブな側面を持つバナナさんこと直彬公の養子が、おもちゃのポテトヘッドさんに容貌がそっくりなせいで私の中でスマッシュヒットした直縄氏。その妻が初代鹿島錦保存会会長(代表?)の鍋島政子刀自。ここまでは私も既知でしたが、ここにいたって新たな情報をゲット。直彬公の養母鍋島葛子刀自――正確には「葛」ごんべんが付く――は、近親の方から「梅干しばぁば様」とあだ名を付けられていたそうな。
何かほほえましい。織田病院の元院長先生と思しき方の御本、「青桐 : あかつきよりたそがれまで」という本に書いてありました。
※昔は祐徳稲荷神社で鹿島錦の手ほどきがあったらしいのですが、その折に指導なさっていたという話を聞いたことがあります。祐徳稲荷で学び、佐賀市内で錦を伝えた方によると、「平織りの羽織をお召しになっていた」そうな。
