「さす九」とか言われてもよう

 懲りもしないでまだ使うか、さす九。無駄にイライラする言葉です。確かに九州は保守的な土地柄ではあるし、いろいろと問題も多いとは思いますけど、九州人だからって脊髄反射で男尊女卑とか言われると、「また本州尊九州卑か」と言いたくもなるわいな。略してさす本。わしはそこそこ家事も子守り身内の介護も頑張ってきたでよ。手芸に関してはその辺の女子以上にやっとるよ。それでも罵るか、さす九と。

 こういうのって、結局のところ個に着眼しようとしないことから生まれる軋轢ではないかな。長崎生まれ長崎育ちの美輪明宏さんに対して使う勇気はありますか。「さす九」って。私はないです。そんなことしたら美輪さんがとうもろこしに見える呪いに見舞われる。特定少数の九州人しか知らないくせに「私の知り合いの九州男子はー」とかしゃしゃり出てくるインプレゾンビが一番嫌いだし面倒よのう。明らかな嘘つきもおるし。まずそこに言及する前に九州以外のメンズの現況について綿密かつ詳細なレポートの提出必須。

 これが「さすが第九」ならいいんだけどよう。もしくは「さすが九郎義経」。後は坂本九。九ちゃんフォーエバー。

狭山事件のこと

 もうずいぶんと昔の話になってしまいましたけど、「狭山の風」というメールマガジンの発行を、わずかながらですが手伝ったことがありました。発行者の狭山茶さんや徳島市の鮎喰児童館の当時の館長さんなどが精力的に支援していらした石川さんが肺炎で亡くなられたということを知り、世の無情さに苛立つばかり。

大変なことになりました

 ええと、スマホケースを作っていたんですけど、想定していたよりも錦が斜めに入ってしまいました。もっとがっつり斜めなら「意図的ですな」と受け止めてもらえること請け合いなのに、微妙に斜めなので「こいつ失敗しやがったな」と冷酷に嘲笑されそう。何かしら誤魔化す手立てを考えないと。

 毎回何かしらやらかす(´・ω・`) ちなみに厚みが出過ぎて透明カバーも付けられないよ。

※斜めに置くと誤魔化せるかも。まっすぐ置くと流水の頂点をつないだラインが斜めなのが丸わかり。

 カバーは着けない方がよさそうなので、錦の部分はむき出しにしておきます。

14年

 東日本大震災から14年が経過したそうです。太良町内でも黙とうのためのサイレンが鳴り響きました。14年前未曽有の災害を、モニタ越しにとはいえ目の当たりにし、いろんなことを考え、いろんなことをやらなければと誓ったはずなのに、達成できていないことが多すぎて恥ずかしい限り。

 今からでも出来ることをいろいろ見つけて挑戦しないと――と考えつつ、今夜の作業の時のBGMを選んでみました。今夜は封入型のスマホケース作ります。iphone16用なのですが、雑な裏側の処理を見られたくないため、展示用の模型を買って装着させ、接着剤でがっつり貼り付けることに。好奇心旺盛なマダム軍団の中には、勝手に外して中身を確認したりする人もいるんよ。今回はそうはさせない( *´艸`)。

呉須で織るか生成りで織るか、それが問題だ

 アントワネットに続いてシェイクスピアですよ。知性が駄々洩れして困る。漏れた知性よ戻っておいでということで、新しく立てる経紙に関して、呉須をメインにして生成りをほんのり差すか、生成りベースで呉須を差すか悩んでいるところです。生成りはともかく、なぜ呉須をこうまでして使いたいか知りたいとな?

 手 元 に い く つ も あ る の を 忘 れ て 注 文 し ち ま っ た か ら な ん だ わ 。

 大事なことなのでもう一度書きます。戻っておいで知性。手持ちの糸を整理するたびに「もー、こんなんいくつあってもいいですからね」とミルクボーイのようなことを呟いて自分を慰撫。

※最近の教科書ではリンカーンが「リンコン」とか「リンコーン」という表記になりつつあるということを、Kayさんカップルの動画で知りました。もっとも、昭和初期は「リンコーン」表記だったので、原点回帰みたいなもんか。ちなみにシェイクスピアはセキスピアだったりセキスピヤだったりします。漢字で書くと沙士比阿。露妙樹利戯曲春情浮世之夢は、ロミオとジュリエットだそうだよ。ジュリエットの樹利は納得できますが、露妙で「ロミヨー」って何。

手芸が好きなアントワネットは言いました

「布製の痛バッグがどうにも貧乏くさく見えて持て余しているなら、刺繍を施して見た目をゴージャスにすれば、中に入れる予定の錦とバランスが取れるじゃない」と。

 言ってないとか言わない。ゴージャス化作戦に関しては生地が白ければデコパージュでも行けそう。今回は時間も技術も布もないのでやりませんけど、合皮より刺繍した布の方が好きかも。

これは困った

 銀の布では足りないということで、メンバー仕様のテディベアを作る時のネクタイ用にと取っておいた本金の布で眼鏡ケースをこさえたのですけど、おージーザス、どうしたことだかこっちも足りねえ。イケる? イケる? と四苦八苦しながらなんとか力業で完成させましたが、柄合わせどころではない上、金属の下地が端の方からわずかながらもこんにちは(‘ω’)ノ

 まあ、鹿島市の文化祭と違って、祐徳博物館はガラスケースの中に陳列することになるので、不備の部分はばれないとは思いますけど、辛いよう。作り直す布もないよう。これはなんぼ父とはいえど、あげられないかも。

 絶対木目込み用に取っておいた方がよかったよね、これ。もっとも、怪我の功名で作り方の手順が確定したのは良かった。文化祭の時に再度リベンジします。