昨夜は眠気がひどくて忘れていました。今年も精霊流しの前の盆踊りが中止になった分、マイケルさんに踊ってもらうつもりでいたのに。それでは遅ればせながらマイケルさんどうぞ。
紹介するの何度目だって話ですよ。
ちなみに、うちの辺りは、墓まで歩いて迎えに行って、帰りは精霊船で一斉に送るというシステムを採用しているため、キュウリやナスに竹串をぶっ挿したりはしません。
写真自体は2016年のものです。twitter時代のエイブルの投稿からかっぱらってきました。懐かしいですね。名前は全部消してあります――と思ったら、一人分消し忘れている。まあ読めないからいいや。鹿島錦保存会設立50周年の記念として制作された屏風が立っていることもからもわかるように、私が入会した直後に開催された文化祭の様子です。
前週に入会→翌週の教室が休みだということを教えてもらえず、知らずに一人で生活工房に棒立ちになり途方にくれたりしていた時代。その後も二回くらい休みの連絡をスルーされて泣きくれたで(嘘)。LINEにグループを作ってよかったと今しみじみ思います。
それにしても、どの作品もすでに懐かしい感じ。もうすでに退会された方の作品もちらほら。基礎織の手前、羽織紐の左にある三枚の古帛紗(?)はy-chiさんの作品らしいよ。
何が錯視かって話ですが、赤い丸で囲んだ部分、正方形に仕立ててあっていったいなんだろうと一人でしばし不思議がったわけですよ。よく見たら手前と奥と二つの作品が混然となって見えただけでした。辛い。それにしても最近お見えにならないKさんの色使い、やっぱり個性的で面白い。
そういえば、この文化祭期間中に顔出しに行ったら「あなた本当に続ける気あるの?」って訊かれたよ、大先生から。実は私が教室に初参加した日、午前中だけちょっと紙で織った後帰宅したのですが、昼食時に「つまみ食い的に練習した後、勝手に鹿島錦の名で商品を販売するんじゃないか。そういう商売っ気丸出しの人に安易に教えていいのか」と、侃々諤々だったらしいです。
想像すると楽しい。
※X上でイーネオヤやタティング愛好家が「佐賀錦でドイリーを作った」と書いてらっさるのに対して「あんたそりゃ錦糸で作ったって書かんとあかんよ」と突っ込むべきかどうか悩む。撚りが強いとはいえ、糸の構造そのものは三子撚りなので、絹のミシン糸と同じやで。したがってわざわざ佐賀錦糸と指定しなくても普通に糸屋さんの通販で買えます。一般的なミシン用絹糸の方が撚りが緩い分扱いやすいかもしれない。マクラメの技法で編めなくはないタティングはともかく、イーネオヤとかになるともう未知すぎてもうね。
表示された出品物の値段を確認後、見なかったことにしてそっ閉じ。
そんなことばかり繰り返しております。
でも今日はそのおかげで新たな発見が。珍しく本物の手織りの佐賀錦のクラッチバッグが出品されているのを見つけたわけですが、そこに添付された画像がなかなか興味深かった。佐賀錦=鹿島錦の発祥を「1809年」と明記してあるのは初めて見るかも。鹿島城と呼ばれる鹿島陣屋の落成が1807年、柏岡の方の夫君鍋島直彜(なおのり)公の家督相続が1800年ですから、時代は間違っていない。何か資料があるんでしょう、多分。それにしても並木多仲なのか多十なのかはっきりさせてほしい。もう主君から拝領した織之助の名で統一しませんか。
バッグ自体はさほどいい織りではなかったり。織られてから数十年が経過しているはずですけど、輝きが褪せないのは本金ならではですね。
※他はたいてい機械織り。口金だけ欲しいなあ。頑張れば外せたりするんだろうか。「透かし彫り 口金」などのワードで横断検索すれば、たまに昭和の頃に作られたと思しき材料がヒットします。見つけた時に買っておくべきか悩む。
そんなあなたに別腹情報。これからは日本三大祐徳稲荷の時代です。祐徳稲荷は日本に三社しかない(多分)なんて無粋な反論は却下。
長崎の時津だけでなく、大阪にも祐徳稲荷の分社があるらしいですよ。大阪なら直接本家本元の伏見から勧請した方が早いのではという半畳も決して入れてはなりませぬ。
伏見稲荷は、京都にいた頃友達に連れ出されて正月に詣でたことがあります。あまりの人いきれに速攻で気持ち悪くなった想い出。なんなら電車に乗った時点で辛かった。そういえば人が少ない時期に一人で観光したこともあったか。その時は千本鳥居に挑戦もしましたけれど、しんどくて途中で撤退。我ながら心身ともに脆弱過ぎる。まあ、辛いのきついのと言われがちな祐徳稲荷の奥の院に詣でる方がはるかに楽です。道は千本鳥居の方がいいんですけど、とにかく時間がかかり過ぎる。
※分社で思い出した。相変わらずWindowsが更新出来ない仕事用のPC、初期化する前に、以前作成したクローンから復旧できるか試してみます。
さらなる「だとぅ」投下。昨日町内のスーパーの総菜コーナーを覗いたら、平均年齢69歳の三人家族ではとても買う気になれない、見ただけで胸焼けしてしまうような揚げ物尽くしのファミリーパックばかりが鎮座ましましておりました。唖然。おかずを作るのも面倒なくらい疲れていたため、ほんならレタス巻でも食べようかいと寿司コーナーに向かったら、こちらは全部売り切れていて愕然。ちなみに寿司もこの時期はことごとくファミリーパック化してしまう哀しさよ。小さく分けたものをたくさん買った方が、衛生面でも格段にええやないのと思うんですけどね。私が思うだけでスーパー側はそうは思わないのでしょう、きっと。スーパーめー。
幸い揚げ物パラダイスに追いやられる感じで、お盆限定の根菜等の煮物がありましたので、そちらをチョイス。レンコンやシイタケやタケノコの含め煮の実に美味しいことよ。ひしひしと寄る年波を覚えた次第。
※時間が経過しすぎてそのまま食べるのはためらわれる握り寿司、私の場合はシャリを洗ってからネタと一緒に沸騰した出汁の中に放り込んで、溶き卵を入れて、雑炊にして食べます。まあ傷みがひどい時は捨てるが吉。
kindle unlimitedをお勧めしない理由というネット記事を読んで、脊髄反射で「何だとぅ」とのけぞってしまいました。もちろん一方的なネガキャンではなく、登録上の利点もきちんと併記してあるのですが、kindle unlimited以外のサブスクで元を取ったことがない私からすれば、キンアミはひたすら神。
きっと、どんなジャンルの本を読むかが分水嶺になるんでしょう。私のように健康本と料理本と手芸本を連日漁り続ける人間からすれば、デジタルコレクションとともに、それこそ際限なしに楽しめるわけで。編み物の本に限っても、ここ数ヶ月で何十冊も読んでおります。ろくに編めないのに。
unlimited以外でも、購入するのはすぐ裁断してスキャン出来る古書や電子書籍ばかりになり、すっかり図書館&リアル書店派からは脱却したかなあ。入手困難な時代がかった紙の本はたいがいデジコレさんで見つかるわけですよ、最近は。だいたい図書館から借りると返しに行くのが面倒でよう。
手芸本をしこたま読みたいなら無条件にお勧めします。ただし、固定レイアウト――というより、ページを丸ごと画像にした本が圧倒的に多いので、大き目のタブレットやPCでないと読みづらいかも。わしは無条件にPC派やで。
母親のことをお袋と呼ぶ人たちは、きっとカンガルーの親戚に違いないと心の底から信じております。先祖は有袋類のはず。親父はわかるけど親母ではなくお袋って何で?――とかSNSに書くと、必ずネット上にしこたまいる教えたがり屋さんがわらわらと寄ってくるのですが、ここは私のテリトリーなのでそんなことはさせてやんない。知りたいことがあったら検索するという手順が定着してもう久しいわけですから、クエスチョンマークがついていても本当に知りたがっているとは限らんのよ。レトリックに過ぎないことが大半。いちいち反応しないのが人として正しい姿勢というものです。これがネット黎明期なら半年ROMれとか言われたもんよ。
染料の動画を紹介し忘れていたことを誤魔化したりはしていませんよ。