今日のコーデはぁ

――とかなんとか言ってらんねえんだよ農作業時はよう。

 今年は諸事情ありまして、モチ米から先に植えます。研究科のKさんの(多分)ご実家の近くの水田を借りて作っておりますよ。借りたくて借りたのではなく、作ってほしいと打診されたんだってさ。「断れや。もう農業したくねえ」と、ともすれば父に対して漏れようとする心の声を抑えつつ、今年も稲刈り暮らしのタウエッティを演じます。

 毎年UVカットパーカーコレクションが大活躍さ。

※トラクターとコンバインの区別がつかない人を見ると、やれやれと思います。知らないことは悪いことではないですが、お米の国の人だもの、それぐらいわきまえておきましょう。コンバインは刈り取り用の機械やで。トラクターは耕したり代掻きしたりに大活躍。共通点はどちらも電池で動くこと。嘘。

残り9cmほど

 そんな報告要りませんかそうですか。まあ私が自分で金を払って設置しているブログなんで、好きなことを書かせてくれたまえという感じで続けます。やはりテディベアを二体作ることを考えたら、残り9cm織ったにしても、面積が足りないかも。ブルー系の着色銀や銀に肥後煤竹の糸色は絶対合わないので、出来れば本金だけにしておきたいところ。

 靴の部分に切り込みを入れて、スーツのズボンと靴に見えるようにアレンジするかな。

後継者不足かあ

 旧twitterで玉川奈々福さんが呟いてらっしゃいましたが、どの伝統工芸も後継者不足で大変みたいですね。だって皆買わねえんだもんよう。私もそうそう他の工芸品を買えねえしよう。

 伝統的工芸品は高い高いって言われますけど、その分膨大な手間暇をかけていますし、材料も最高級だったりしますからね。もう鹿島錦同様、金銭の授受とは無縁のところで好事家が続けていくしかないんじゃないでしょうか。そもそも、必要としてくれる人がいなければ職業として成立すらできないというシビアな世界だし。私も正直鹿島錦で生活したいとは思わない。生活するためなら、販路を拡大した上で、今販売されている値段の十倍くらいに価格設定しないと無理でしょう。海外のお金持ちが大盤振る舞いしてくれれば、活路を見いだせるかもしれない。まあうちの場合はもともと生計とは無縁のところで脈々と続けられてきたという背景があるため、現状販売価格も「お気持ちとして頂けるならこのくらい」という決め方。高級品と言われはしますし実際そうなのですけれど、収支のバランスが取れないことを最初から認識した上での、武士は食わねど高楊枝方式の生存戦略を図っており、生活を兼ねて制作を続けられてきた方たちと同列には扱えないのは自覚しています。

 よしんば副業にしかならなかったとしても、好きで続けられればそれだけで御の字だと思うよ。人生経験としては貴重だし、私自身も、誰も持っていない自分だけの錦グッズを手にしてキャッキャウフフと悦に浸れるだけで嬉しい。まあどの程度の設備を要するかとか、分業制の場合どのくらいの人の手を経なければいけないのかとかも関わるでしょうが、続けられるなら続けてほしいです。他の工芸品も。

 余談ながら、「辞めます」と宣言した途端に「かげながら応援していたのに」とかひょっこり出てきて言い出す人達には、いい加減にしなさいと物申しておきたい。墓に着物は着せられぬと昔から申します。推しは推せるときに推せ。人であっても物であっても。

※市役所とかの商工業を扱う部署で、嘱託として雇ってくれるのが一番早いんですけどね。こまごまとした仕事をこなしつつ制作を続け、特産品の販売所やふるさと納税に卸す品を作る。ただ、伝統工芸の制作技術を無形文化財として残したいと自治体が本気で思うかどうかがネック。国内の状況を鑑みると、ちょっと宣伝を手伝うだけで後は放置のところが著しく多そう。

※浅浦甚八笠も、もう作る人はいないそうな。もったいない。

※ケーブルインターネットの速度が少し上がっていた模様。都市部の人から嗤われてしまうような数値ですが、私の利用状況であればこの程度で充分。

ストリートビューで確認

 76pain問題その後。無事進展と相成りました。マップに翻弄されたため、ストリートビューで確認をしたところ、店舗入り口が目立たなさ過ぎてスルーしていたことに気づきました。そこかよ、店はという感じ。悪いのは薄汚れ血にまみれたこの社会でもGoogleマップでもなかった。メガネっ子の私と友人の目が悪かった。駐車用スペースは、付近の店が合同で借りているところがあるらしく、そこに停めればよいという事実も無事腑に落ちてするする進み、そろそろ大腸に到達しようかという勢いで一安心。

 大和店の方は、Googleナビの位置がずれていました。なぜかラーメンハウスの辺りに案内される。なおその友人は「わざわざ金払って遠くまでラーメンを食べに行く人の気が知れん。食べるにしても近くで充分」と言いきるタイプでいささか面倒くさかったりします。時々ぺしっと軽くひっぱたこうかと思う。ストリートビュー、より正確と思しき場所に写っていたのは燦然と輝く小麦の奴隷でしたから、店舗を買い取って改装したのかな。

 次回リベンジ予定。いつになるかはわからぬままに。せめて鹿島錦の日と重ならないようにしたいんですが、相手の都合もあるもんでよう。

一仕事終えました

 何とか平の目を拾い終えて人心地をついてみたり。一仕事終えたと思うや否や、「節子それ終わりちゃう。始まりや」と心の中の晴太さんが発破をかける始末。くじけず織ってまいります。もうちょっと織るとかえって拾いやすくなるので、あと少しの辛抱。押さえづらくはなりますけどね。

 そんなことより、母が去年「安かったけんがー」と買って来てくれた靴下。

 そう、母は自分の服以外は値札しか見ない女。

※昨年職場のドメインメールの不具合が頻発し、仕方なく私の個人アドレスに書類を送ってもらったことが数回あったのですが、とある仕事がらみの名簿の中で、そのアドレスが一般に公開されていることを知って、ひとしきり悲しみのズンドコ。まあ、主に仕事用に使っているサブ垢gmailだからいいんですけどね。gmailの迷惑メールフィルターを信じるよ私は。

反省いたしております

 心の底から猛省しているといっても過言ではないくらい。お詫びといってはなんですが、あなたに捧げるカトチャンぺ。

 何をやらかしたかって、目が拾いにくくなってきたので平の糸を外したんですけど、勢いで抜かなくていいヘラまで抜いてしまったわけですよ。辛い。途中まで拾った時点で疲れ果てました。明日拾い直します。巻き取ったり戻したりするのが面倒くさいと、そのまま遠いところで拾っているだけで、画像が上下逆なわけではないです。今日はもう寝る。

正確やったわ

 平日にしか休めない友人と出かける約束を無事消化。まあ、三夜待代わりですよ。休みが合うのが木曜日だけなんですが――え? 鹿島錦教室? え? は?

 どうせ中途半端なところまでしか織れていないしよう。次回20日までには多分今の本金も織り終わっているでしょうから、田植えと重ならなければ、織りあげたものと、そうして長尺の焼き金を立てた台を持って参加する予定です。あ、提出用のストラップも準備しておかないといけなかった。

 ところで、今日は紀伊国屋にも寄ったんですけど、「どうせ佐賀錦の記述、間違いだらけなんでしょう」と冷やかし半分で棚に陳列してあった帯の本を立ち読みしたところ、かつてないほど正確に紹介されていて、肩透かしをくらいました。どうしたらええんじゃ。何をどう突っ込めばええんじゃわしは。五十年程突っ込み続けた挙句に「佐賀錦の歴史に関する正しい記述はわしが育てた」とか言いたいのに。言い放ちたいのに。まったくよう。

 予定の一つであった76painというパン屋さん探索は、スマホのナビを使ってもたどり着けずに失敗。唐人町の本店だけでなく大和の支店も見つけられないってどういうこと。美味しい店を探すのが好きな友人はぶーぶー言うとりましたよ。なだめすかしましたよ。ぐーぐるまっぷめー言うて。

 次回に期待。

※中台を久しぶりに引っ張り出して、その大きさに愕然としているところです。でも急いで何かを織りたい時に、色替えまで糸掛けでやることを想定すれば、中台も出しておいた方がいいよね。小台では心もとない。問題は防音室のちんまい机にきちんと乗らないところ。二階の自室で織らないといけない。佐賀錦の台は、もしかしたら姪がいつかやりたいと言う日が来るかもしれないので、その時まで保管しておきます。せっかくだから、来年くらいまでに、小池木工所に大台を注文しようかなあ。その時一緒に小台より一回り小さい台を作ってもらえないか交渉してみます。

※メンズの角帯の最高格は博多の献上柄だそうです。ふふふ、市販されることはおそらく永遠にないであろう、手織りの本鹿島錦の角帯の存在を知らぬとは。ふふふ。かく言う私もA先生のものしか拝見したことがないけど、もしかしたら大先生も織られていたかも。多分金光で派手派手しく織るのは私くらいかもしれません。メンズでも派手に織ってええんやで。シックなものを欲しがる人はそもそも鹿島錦なんて選ばないよね。

※皆でデコろう起こし板。

今日はもう無理

 もう眠気と疲労で限界寸前。ストレッチをやって寝ます。昨日から、軽く体を伸ばした後、ソフトな玄関マットに発泡樹脂の芯を入れストレッチポール風にくるくる巻いて平ゴムで留めたものを作って背中に当てています。正規品の固いポールよりはるかに気持ちいい。でも五分くらいが最適解。長くやるとかえってしんどい。

 今の本金は残り12cm程度になりましたので、そろそろ予備の台に息抜き用の経紙を貼る準備をしないといけません。鹿島錦の小台とほぼ同じサイズの佐賀錦台を出すか、あるいは大きめの中台を出すか。さて、どちらにしよう。中台の方が無難かなあ。重いから小台以外は教室には持っていきませんけどね。

 作りたいものがある都合上、途中で投げ出さず、延々拾って織っています。えらい。わし、えらい。←普通

時代よのう

 大正8年刊 桂六十郎著「夫人の内職」にて、佐賀錦が内職の筆頭として紹介されています。着眼すべきは「希望する人は相良好子刀自に教えてもらえる」という表記。

桂六十郎 著『婦人の内職』,興産発行所,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/906919 (参照 2024-06-05)

 P24でさりげなく西陣織がディスられているのが私のツボ。別ページではご丁寧に当時の相良刀自の住所までばばんと記載されています。個人情報という概念のない時代の恐ろしさをひしひしと感じた次第。この本の情報がどれだけ正確かわかりませんが、相良刀自は(多分数えの)15歳で佐賀錦を学んだあと、東京に出てから西洋の織物に取り組まれたとのこと。それで模様織(平織りの色替え)を開発することになるのか。思わず「要らんことすんな」という心の声が漏れそうになりました。 模様織のせいでいろいろ齟齬が出とんよ、東京の佐賀錦とこちらの鹿島錦の間に。もう永遠に相容れない気がします。そもそも相容れなければならないなんてこともないわけですけど。

※相良刀自ご存命の時代でも、東京の佐賀錦のグループは複数あったらしい。第十回商品改良会・婦人手工芸品展覧会に二等で入賞したのは早稲田婦人会と錦之友。この時佐賀商工会出品の佐賀錦紙入れは三等でした。ちっ。

商工省貿易局 編『内外商工時報』9(5),内外商工時報発行所,1922-05. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1516980 (参照

懐かしの……

 懐かしい画像を見せてくれるスマホさんにめろめろ。でも素材は紙じゃねえんだわ。焼き物なんだわ。向かって右の鶴ってパステルカラーの柄なんですよ。汚れとちゃうよ。