鹿島錦の第一人者で、鹿島錦保存会を設立当初から牽引されてきた大先生こと樋口ヨシノ先生が、昨日帰幽されました。詳細が不明なこともあり、まだ心が乱れていて、手を休めると自然に涙がこぼれる始末。私が樋口先生と関わることが出来たのは、百歳を越えられてからの短い間だけですが、それでも鹿島錦教室では、先生の指定席の近くに座って織っていたおかげで、いろいろな話をうかがうことが出来ました。材料を確保するために京都に出向いて職人さんに直談判した話、仕立てをしていて刃物でけがをした話、織り台を作る過程で大工さんと面倒なやり取りをくりかえした話、織り始めた当初に今は雲散霧消してしまった他のグループから「鹿島の人でないのに鹿島錦を織って」と陰口をたたかれた話――時には笑い、時には憤りながら、感情豊かに話してくださいました。
そんな大先生と交わした約束がいくつかあります。
「将来必ず鹿島錦の指導者になること」
「男性の織り手をもっと増やすこと」
「地元の(鹿島以外の)文化祭にも出品し、鹿島錦を広めること」
「人間国宝に選ばれるまで精進を続けること」
冗談交じりだった最後の一つは別として、先の三つは手を伸ばせば届きます。親しんだ人の死に囚われがちな私、これから一生、織り台に向かうたびに、大先生のことを思い出すに相違ない。いつの日か彼岸で再会できたときに、「帯締めどころか帯も細糸で自由自在に織れるようになりました」くらいのことは言いたいかな。
末端会員の私にできることは、樋口ヨシノという、鹿島錦に魅せられ、鹿島錦の織り手としての生き方を貫いた人がいたことを忘れず織り続け、同時に後に続く世代に、大先生が愛してやまなかった鹿島錦について、正しく伝えていくことくらい。大先生との四つの約束のうち、実現可能な三つを果たすまでは、先生のおっしゃった「一生勉強」を続けていくつもりです。
仕事の都合で明後日の葬儀には出席できないため、明日のお通夜でお礼とお別れを申し上げ、それから「先生との約束を無事果たせたら、あのエイブルの廊下中に響き渡る大きな声で褒めてくださいね」とお願いするつもりです。
※マスクがずれても気にせず&「一言どうぞ」と言われたのにもかかわらず、延々しゃべり続ける大先生が、可愛らしくて仕方ない。新型コロナのパンデミックが無ければ、錦という生きがいを通じて、もっと長生きされていたはずと確信しています。改めてご冥福をお祈り申し上げます。先生、私、もっともっと織りと仕立ての練習をして、扇子入れを作りまくって、噺家の皆さんに贈って、鹿島錦を広めますね。