かし丸くんの木目込みが欲しい

 立体造形が得意な知人がおります。謝礼を払えばきっとかし丸くんの木目込みの土台を作ってくれるに相違ない。将来保存会から鹿島市に作品を贈呈する機会があれば、そのおまけにもなるでしょうから、私の中でだけ構想を練ることに。やはり若者に意識してもらうには、見た目のインパクトって大事なんだわ。ハーバリウム用のボールペンに錦を封入するアイデアは、コロナ前から考えていたのに実行しなかったせいで、佐賀錦さんに先を越されてしまったわけですよ。無念。鹿島錦も負けじと新商品を開発していかないといけない。とりあえず名刺入れは「名刺・カード入れ」として販売した方がいい気がします。以前から申しておりますが。私も自分の名刺入れくらい自分で作らねば。もっとも名刺入れを作ったところで、名刺自体を持ってはおりませなんだ。

 気になっていた佐賀新聞の記事は、職場のものをゲット。実は普段勤務している事業所のものは、悲しいかな、 速 攻 で 排 泄 用 品 の 処 理 に使われていたみたいなので、別の事業所のスタッフに頼んで、そちらの分を確保してもらいました。良きかな。著作権の問題があるので公開は出来ないにしても、スキャンして私的な資料にしておきます。それにしても「毎日新聞を読んでいる」と豪語している人たちがこぞってまったく気づかないのは、どういうこと?

 遅ればせながら記事に目を通して、人一倍 うるさ お元気だったころの先生はもういらっしゃらないんだなと改めて実感。涙。でも先生のことだから、裏紙をホチキスで綴じた手作りノートを携えて、なんかその辺を浮遊霊になって漂っていらっしゃる気もする。実は亡くなられる直前に出した今年の年賀状に、「今年は初めての木目込みに挑戦します」としたためました。その年賀状が届いた頃は入院されていたはずなので、読んでくださったかどうかは不明ながら、きっと祐徳博物館内でふよふよしながら満面の笑顔で「あらできたじゃなかねー」と喜んでくださっていると信じます。

 今年の作品展、鹿島錦保存会前会員代表の樋口ヨシノの遺した鹿島錦の多くの作品のうち、十六点が展示されています。わずかな数ではありますが、故郷の台湾から疎開してきた鹿島で篤子刀自の筥迫に出会ってから三十年近く抱き続けた「鹿島錦を学びたい」という願いが叶った五十歳からの人生を、文字通り寸暇を惜しんで織ることで情熱的に生き抜いた樋口の足跡の一端にでも触れてくだされば、教え子の一人として幸甚に存じます。