邪馬台国論争どす

 邪馬台国には鹿島錦関係ねえとか言わない。いつものことだから我慢してなんぼ。

 相も変わらず唐突な書き出しですが、時々Youtube内の邪馬台国論争に関する動画を視聴して悶々としがちなお年頃な私が、個人的に気になる点を挙げてみます。

①邪馬台国は大和と通じる響きなので近畿説が妥当

 いや、佐賀県内にも福岡県内にも「大和」の地名はあるんですけど? もう邪馬台国は佐賀の大和町で確定してええやないの。AEONもあるし。

②魏志倭人伝の記述は方位を間違えている

 方位を間違える人たちがそもそも長旅なんて出来ますか。「邪馬台国行ってきまーす」と出航した後でササン朝ペルシアに辿り着いたらどうすんの。方位を正確に知るために必須となる古代中国の天文観測技術と、往時のエリート層の対処能力を舐めちゃいけません。私は別に怒らないけど草葉の陰で東洋暦研究の第一人者だった飯島忠夫が怒ります。考えられるとした記述する際のミスですが、そのあたりには目をつぶって、もう邪馬台国は佐賀の大和町で確定してええやないの。シャトー文雅もあるし。

 卑弥呼という存在にロマンを感じる余り、我田引水に陥りがちなのが、邪馬台国論争をややしこくしているんよね、きっと。もう邪馬台国は佐賀の大和町で確定してええやないの。巨石パークもあるし。

「あそこは何ね。丘ね」「山たい」という北部九州弁由来説が一番楽しいという説には異論はなし。

※「山たい」にちなんで、太良町民としては何の根拠もなく多良岳説を推したいところ。有明海の干潟にはまって水行十日。山登りが大変すぎて「疲れた。休もう」と使者がごねまくって陸行一月はいかがなものか――なんて稚気まみれの戯言はさておき、魏志倭人伝を正確に読み解きたいなら、古代中国の修辞法や暦法、測量法等を専門的に研究している人たちを交えて検討した方が絶対いいわけで、それを片輪として、もう片輪を懐が深く理知的な歴史学者や考古学者のフィールドワークが担うのが、理想的なアプローチの仕方なのではあんめえかと。わしは実りある形での侃々諤々の論争を見たいんじゃ。一部の学者のように、派閥で答え求めてちゃダメ。派閥でいいなら「山たい」説をもっと広める。

※当時の人々が何を神聖視していたのか、何を忌避していたのか、どこと与しどこと敵対していたのか、すべてを網羅した考察動画を観てさらに悶々としたくてたまらない。愛郷心溢れるあまりに地元説を推しまくるアマチュア研究家の本を孫引き・ひ孫引きしただけの動画とか、十中八九観るだけ時間の無駄だから勘弁してほしいんだわ。

※ネタですからね、あくまでも。大和町の場合もその語源までは調べていない。だいたい当時の中国が日本について正しく書く気があったかどうかすら疑わしい。朝貢国の一つってだけで。山海経みたいなことにならなかっただけでも御の字かも。