荒れ狂うネットの海に我から漕ぎ出して拾ってまいりました。波に翻弄されたよわしは。果たしていわゆる「組錦」が産声を上げた家定公の頃を江戸時代の初期と表現していいものか。しかも工夫したのは「佐賀藩家中の武士」ときたもんだ。織之助に謝れ。助太刀いたすと表明して後ろから寝首をかくような真似をされるのは困るでござると愚痴りつつも、資料にするために保存。なお付属の商品に関しては、きちんと手織りの佐賀錦が使われたものでした。どこかで誰かが勘違いして文章を書いたに一票。
それにしても「佐賀錦こそ日本の最も優れた手芸品」なんて言っている人、私はこれまで見たことも聞いたこともないんですけど、いいんですか、それで。他の手芸をやっている人に失礼じゃあんめえか。
※今日吐き気と格闘しながら確認した限りでは、オークションに出品されている五千点あまりの佐賀錦商品のうち、いわゆる本物の佐賀錦は六点だけでした。本当はもっと出品されているんだけど、確認する気になれないほど大量なのであきらめた次第。もっともごく一部が博多織で、その他は西陣織なので、いずれも品質が悪いわけではないんですけどね。本来の佐賀錦でも鹿島錦でもないというだけの話。
※めくるめく温灸の世界に旅立ちたいお年頃。