言葉は同じはずなのに

 なんでしょう、この通じなさ加減。何の話って、ぼかしの話。私の中では「ぼかす」というのは、グラデーションを利用してある色から別の色への境界を曖昧にすることであって、その色の彩度や明度は問わないのですけど、鹿島錦で使う「ぼかす」は、色相環上で近い色に段階的に移行することを言うみたいで、そのあたりの齟齬のせいで話が通じずに悲しい想いをするわけですよ。私が。前者の感覚で「ぼかしてある」と口にすると、後者の理解で「ぼかしてないよー」とか言われる。悲しい。

 同じ言葉でも人によって自身の中に構築している概念が違うことなんてままあるので、特段に珍しい体験をしているというわけではないのですけど、たまに「通れ!! 話!!」と念じたくなる時がある。

 そもそも色相環が何を意味するのかわからない人はこちらをどうぞ。生まれつき配色のセンスのある人って、この手のことを本能的かつ感覚的に捉えているよね。