いや私がじゃなくて例のほら。例の。
勝手な推論ですけど、目の前にいない他者の真情に鈍感な人は、自分が孤立感を覚えないためにか、同じ属性――何の努力も犠牲も払わずに自動的に所属できるコミュニティ――を持ち上げて賛美し、同時に仮想敵を徹底的に攻撃する傾向があるような。人の心の動きに十分な注意を払える人なら、自分が誰から好まれて誰から嫌われているかを感覚的にわきまえているので、そんなことしなくて済むわけ。自分を好んでくれる人と交流を持てればそれでいい。
高額医療費や処方薬の見直しにしても、選択的夫婦別姓に関しても、自分が困っていない=世界も困っていないはずという論理でごり押しできるのは、他者の痛みを想像する能力が欠如しているからに他ならない。
もう一つ、在日コリアンだったりアイヌだったり、何らかのコミュニティに対して度し難い攻撃をする人は、同じ属性を持っている自分を世間から隠すための蓑として政治活動に奔走する場合があることも、わきまえておかないといけませぬ。
世の中そうそう単純に動くわけではないのがもどかしい。
※もちろん他にも極端な思想に陥る理由はいろいろあるよ。
※別件。「副振動(別名「あびき」)」という言葉に初めて遭遇。わしはこれまで何をどうして生きておったんじゃ。