プラオカリナ云々なんて先の投稿に書いてはおりますが、これまで楽器集めやその他の趣味の道具類にそれこそン百万とつぎ込んできましたので、もう新しいものを買う気はなし。これで買い続けたら人間の屑と言われてしまう。経済を回すという意味では微々たるものとはいえ貢献をしたのかもしれませんが、プロのオカリナ奏者からもうらやましがられる激レアオカリナなど、他の人の手に渡っていたら、もっと世の中の人を幸せにできたかもしれないわけですし、私が所持しているせいで全然世に貢献出来ていない気がしてならない。もう新しい物は買わず、今ある物を大事に老後まで使っていきます。以前買った二胡を手放したのはもったいなかったと思いますけれど、無メンテ状態での楽器としての耐用年数を考えたら、もう満足に弾けなくなってもおかしくない頃。潔くあきらめねば。新しく買ったところでどうせ練習しないでしょうし。
手持ちのコンサーティーナは、中古で買ったイングリッシュタイプ。小指を置くフィンガーレストの位置が私の手にはどうも合わなくて、それが不快で時々触る程度で一向に上達せず。いっそのこと取っ払うか、あるいはインテリア用と割り切るか。親戚にあたるアコーディオンやハーモニカと違い、国内では製造されていない楽器で、壊れたら修理するのも大変ですし、飾って楽しむだけにしようかな。日本だとなんとなくピエロが奏でているイメージですよね。
どれもまだ処分はしたくないため、とりあえず手持ちの楽器のカバーを鹿島錦で作ることを目標にします。篠笛ももう一本調子だけでいいや。なぜか楓の八本調子の低い音が出せないんですよ。同じ作者の紫檀の八本調子は普通に鳴らせるのに。なんでだ。
※残り9cmほど、今夜は名人円生を聴きながら織ります。白鳥師匠の大師匠ですよ。信じられないことに。平織り、木目込みの底に使う予定だったことを今朝思い出しましたが、時すでにお寿司。後の祭り。