いつからかなあ。昔からか(´Д`)
とにかく集中力がなさ過ぎて、読書も遅々として進まず。かつては文章の世界に没頭して日がな一日過ごせたんですけどね。両親が共働きだったため、一歳から保育園に通った口なのですが、保育園が休みで祖母達も不在の時、誰も子守をしてくれる人がいなければ、水筒にお茶だけ持たされて、父の職場に隣接する形で建てられていた図書館に、一人置き去りにされておりました。昼に一度帰って、午後にまた放り込まれて、ずっと本を読んで過ごしていたでい。ページをめくるのが楽しかったあの頃、図書館にある本を読みすぎて児童書には飽き飽きしてしまい、小学生になる前から鈴木健二の本とか読んでいました。そういえば小学生の時「クイズ面白ゼミナール」のゲームを持っていたような。そうそう、これだ。懐かしすぎて宿便取れちゃう。
ところで、今回山の民とも称されるサンカのことを調べたいと思ったのは、被差別コミュニティとしての歴史があるというだけでなく、生活密着型の物作りの原点をそこに見出せるような気がしたから。サンカから定住して職人になったという人たちも確実に存在しているはずですし、何より鹿島錦を織る鍋島家とは対極に位置しているという点にも妙に心動かされます。
入手したサンカ関連の本は今年中には全て読む予定。サンカ学叢書という五巻構成の本です。デジコレで見つけた本もまだ未読なのですけど、三角寛の立ち位置って、もしかして差別バラマキ型自称研究者の高橋鐵に近いんだろうか。
なお、今読んでいるのは心の穢れきった私には荷が重い「日本霊能者列伝」。先の記事で紹介した通り、市井の自称霊感持ち軍団ではなく、日本の宗教史に名を残す新宗教の教祖たちの経緯のあらましを書いた、田中貢太朗の(ほとんど)小説。今のところ富士講の流れを組む丸山教の開祖伊藤六郎兵衛――「世直しだべー」とか言いそう――と、大本教にも影響を与えた金光教の開祖赤沢文治(川手文治郎)の部分だけ読了。基本生き神と呼ばれていた人たちばかりですね。エピソードが濃すぎて、どこまでが史実でどこからが脚色あるいは伝承なのかが不明でもやもやしております。まあ関係者第一世代が存命中に書かれているから、ある程度度は信ぴょう性があるんだろうとは思いますが。
ちょっとずつ読書リハビリになればいいな。ちなみに前回まともに本を読んだのは十二国記の「白銀の墟 玄の月」。それにしても泰国荒れすぎ。今後どうすんの。
※隠田の行者と呼ばれた飯野吉三郎の章を早く読みたいんだわ。
※今からACB諫早店に行って、リフォーム練習に使えそうな古い着物を見繕ってきます。メンズでも着られそうな色合いの柄入りを目当てに。緋牡丹とかは御免こうむりたい。