社会主義・共産主義が思想の暴力なら、民主主義・資本主義は数の暴力だと思うんだわ。どちらも人間性の成熟を経なければ決して理想的には機能しないし、翻れば、どちらも機能できるほど社会が熟したら、真っ向から対立するイデオロギーながらも、おそらく差異は無くなる。他人の権利や幸福を侵害して悦に浸る人間は、外に出た瞬間に無条件かつ無制限に雷に撃たれる容赦のない世の中になんないかなと、危険思想にむしばまれつつ織っています。
織っていますなんて偉そうなことを書いている割には、昨日は鹿島錦を サボり 脇に置いて、パラコードで鎖結び。以前アメリカンなコードがやたらかたいとぶーたれたような気も致しますが、鎖結びに限れば、メルヘンアートのパラコードもそこまで結びやすくはなかったです。私の中ではふにゃふにゃのふにょふにょという認識だったはずなのに。どうなっとんだ、記憶。しかも5mで売られているから60cmくらいにしか結べませんね。肩がけするものを作る時はより長く結べる左右結び推奨。まあ、結ぶということに関しては鎖結びの方がはるかに簡単ではあるにしても、肌触りがよろしくないし、短くなりすぎる。特に肌に当たる部分は平結びの方がいいかもしれない。昨日のコードは、せっかく結んだので何かに使いたいのはやまやまながら、使い途が見つからず。無念。まあ……ベルトにならなくはないかな。金具の部分まで含めると、今の私の腰回りに計ったようにフィットする寸法だし。でも金具が弱いから「ふんっ」てお腹に力を入れて踏ん張ると壊れそう。
なお、今日は買い物疲れで午睡してから食事を作り、犬の散歩。マダニの薬は効き始めた模様。二匹とも今日はやたらと元気。手を洗ってから数段織って、岸が怪しくなってきたためボンドで処理。完全に乾くまでヘラを通せないため、踏み台昇降をしてから入浴後にまた織ります。昔は緩くなりやすかったこともあり、単色で織る時は頻繁に岸を引きして折り返す作業をやっていましたけど、最近はほとんど処理しなくても大丈夫になりましたので、押さえに関してはちょっと上達したのかもしれない。
明日から田植えなのでまた織るペースが遅くなるはず。ノルマ消化用に、30cmくらいの短い本金が欲しいなあ。
※断捨離の言い出しっぺのおばちゃんに関するネット記事を読んだんですが、ライターの書き方のせいか、私の思考が拒否するのか、ひたすら独善的に見えました。私はいろんなものを手元に置いておきたい派なので、不要品以外は捨てる気なし。もちろん身軽な人生には憧れますけど。ただ、作った人の気持ちを汲み取れるような物を手元に置き続けるのも、それはそれで人生の一つの形でしょうし。ジャイナ教徒レベルに徹底して物を持たずにいたなら尊敬もしましょうが。