明日は長崎原爆の日

 鹿島錦同様、核兵器に対する想いも受け継いでいかなければと考えてみたり。遺産として受け止めるにあたり、正か負かの違いはあれど。負の遺産の場合、語り継ぐのも直視するのも耳を傾けるのも相当しんどいわけですが、やはり人生にはそういうしんどさも必要なわけで。

 もう二十年以上前、当時のネット友達が運営していたムラ関連の掲示板にちょくちょく出入りしてした頃、寝た子を起こすな論争というのがあることを知りました。LGBTQ差別や在日外国人差別とは違い、時代が進むにしたがってその構造が薄れるという特性がある部落差別に関しては、触れないことで差別意識も雲散霧消するはずだから、何かを遺そうとするべきではないという意見を土台に侃々諤々の議論になっていましたが、部外者の私は「赤さんが膨大な知識をどんどん吸収するのと同じで、教えるべきことは教えておかないと、まっさらなところに差別意識を刷り込むのも容易になるのに」と考えておりました。当事者でないから書けませんでしたけどね。今でもその意見は変わりません。ただ、どこまで教えるかとか、どのように教えるかという部分は、充分吟味しないといけないとは思います。勇み足が一番いかんのよ。

 もちろん純粋無垢なお子ではないので、この世から差別や戦争や犯罪が無くなる日があるなどとは微塵も思っておりませんよ。だからこそ意識してなくす努力を続けなければ、世の中しっちゃかめっちゃかになる、そういう受け止め方をしています。

※原爆の日くらい鶴を焼かないといけないんですけど、電気炉周りをまだ片付けてないんよ……。ところで寝た子を起こすな論争に関しては、永久に決着がつかない気がします。でもまあ、だからって丁々発止のやり取りが不毛ってわけではないんですよね。そもそも私の場合は議論が大嫌いなので参戦はしないにしても。

※元天歌こと吉原馬雀さん、ようやく落語に復帰できたそうです。良かった。再入門先の吉原朝馬師匠は先代馬生師匠のお弟子さんだそうで、つまり雲助師匠の弟弟子? さようなら三遊亭こんにちは古今亭ですな。私は例の件の前、鈴本の中継の時から、現圓歌のネタにはイラっとさせられていたので、裁判で負ければいいのにと思って注視しています。