第35回あけぼの寄席

 初めてのあけぼの寄席(昼の部)に行ってまいりました。自宅を出たのが9:20くらいだったかな。信号にもさほど引っ掛からず、10:43には旅館あけぼのに到着。以前助成金のパーティーでお邪魔した時はすでに陽が暮れて昏くなった道を運転したため、主だったランドマークとの位置関係がまったく把握できていませんでしたから、出がけに車の古いナビをセット。迷うようなら先日PCから送ったスマホのルート案内を別途起動しようと考えて出発。知っている道をいちいち指図されるのはまっぴらと、いったん電源を切って運転。下道ばかりの我が人生、207号線から444号に入り、恐怖のズンドコ線こと有明沿岸道路には無視を決め込み、牛津高校のところでナビを再度オンに。佐賀市内に入った後は、何か細い道路に連れていかれ、右折していいのかどうかわからない状況などに遭遇しドキをムネムネさせながら車を進めるといった具合ながら、例によって例のごとく、旅館あけぼのに一番乗りで到着。別にそう目指しているわけではないのに、研修会でも落語会でも、誰よりも早く現地に着いてしまう。なんでなんでしょうね。

 もしかしたら足のお弱い方がいらっしゃるかもということで、玄関前の駐車場ではなく、第二駐車場の方に停めて、開場時間までしばし休息。しばらくしたら二番手の車が駐車場内に。この車の主が結構なタマでした。詳細は後述。11:30になったと同時に建物内に向かおうとしたら、「受付とお弁当の配布は12:30からです」と、法被姿で駐車場で案内をされていたスタッフの人に説明され、じゃあ車の中でもうちょっと過ごそうということで、DSのゲームデータをスマホのエミュレーターで起動。暇つぶしにもってこいの常識系クイズをやったんですが、今日はしょっぱなから佐賀県に関する問題だったので、楽勝。だって佐賀県民だもの。とっとと正解かまして終えた次第。

 12:00を回ってすぐに改めて建物の中に入って、受付用の整理券(11番)を受け取った後は、12:25頃までにお戻りくださいと書いてあったのを確認し、しばらく散歩。迷わないようにと一方向に進んでいたら、なんか眼前に見たことがある光景が広るわけですよ。おおここ玉屋じゃん、もしかしたら高校時代に時々買い物をした画材店も近くにあるかもしれないと探したけど、見つかりませんでした。あるいは文化祭の時にA先生がおっしゃっていた「玉屋の近くの額縁の店が無くなったとよー」といのうは、その店のことだったのかも。確か武藤という屋号でした。当時使いまくっていたパーマネントホワイトの油絵の具を買ったなあとしばししんみり。とにかくパステルカラー好きで、どの色にもホワイトを混ぜてパステル化しておったわけよ。なお友達からはパステルカラーの申し子とかピンクの魔術師とか呼ばれておりました。別にピンクピンクした絵は描いてなかったんだけどね。

 県庁前まで歩いて踵を返し、途中わき道に入ってバルーンミュージアムを外から眺めた後、久しぶりに玉屋に入って、やたらと狭いエレベーターを「わあい玉屋だ」と楽しんで、さらにはトイレを借りて旅館に戻ると、もうそこにはごった返す落語好きたちの姿が。人いきれというほど濃密ではなかったにしろ、何かしらあてられる感じがして、いったんロビー手前にある室内の自動ドアと、入り口の自動ドアの間の空間にすみっコぐらしのキャラのように避難。そうして、しばし心を落ち着けながらフロントあたりを何気なく観察。気づいたのは、私が持っていない封筒を持っている人たちがちらほらいること。何がどうなっているのかわからず、スタッフの方に確認しようとして、しばし逡巡。チケットってもう発行済なの? なんでわし持ってないん? と慌てましたが、もしかしたら――と、フロントに予約していた旨を伝え、名前を申し出たら、即座にチケットとお弁当の引換券を渡してもらえました。そうか。受付の整理券はチケットの確認用で、事前の入手が必要か。そういや予約直後に届いたメールに、そうしろって書いてあったっけ。絶賛初体験とはいえ、自分できちんと覚えとけって話ですよ。辛い。

 ようよう安堵しつつ、整理券の番号を無視して並ぼうとする 老害 フリーダムな高齢者たちとともに受付を済ませた後は、待ちに待ったお食事タイム。低血糖になりかけたよわしは。事前に予約していたお弁当はこんな感じ。ちょっと詰め方に疑問を感じた次第ですが、味はまあ普通に美味しかった。

 ベジファーストで食べ始め、失礼が無いようにと、あまり好きではない鯖の棒寿司まで含めて完食。大人になったねえわしもと自画自賛の傍ら、耳をそばだてて周囲の会話を聴いていたら、やはり落語の話で持ちきりでした。新春の寄席には必ず東京まで行くというツワモノまでいたよ。うらやましいやらうらやましいやらうらやましいやら。

 食後、今後の落語会情報を容易に入手すべく、旅館のアカウントをLINEに追加した後は、いよいよ会場入り。

 なお私は予約が意外に早かったのか、「ほの十二番」という席でした。写真左端にチラリズムな感じで写っている孔雀の絵(遠目でしたが多分150号くらい)で、あ、ここは以前参加したパーティーの時に使われていた会場だと気づいて、ひとしきり納得。前の方参三列は畳ユニットが敷いてあって即席座布団席となっておりました。

 開演後は、まずは主催者である旅館あけぼのの若女将の挨拶。いつだったか佐賀新聞のサイトで、お父様が亡くなられた後も落語会を続けることになったという記事を読んだことがありますが、旅館を始めてから135年、落語会は35回目という類似した数字ということで、溌溂に挨拶されていました。拝見した感じ、どうもコミュ強らしいよ。コミュ障歴=年齢の私からすればうらやましい限り。

 拍手とともに始まった落語会の開口一番は柳家小太郎さん。先代の小太郎さんは真打になって別の名前を襲名されましたね。今の小太郎さんは左龍師匠のお弟子さんで、元の左ん坊さんです。演目は「鈴ヶ森」。私が見たり聴いたりした鈴ヶ森の中では、一番上品かも。他が兼好師匠とか一之輔師匠とかだからか。何分にも、白酒&権太楼の強烈個性の爆笑コンビへの誘導役ですから、印象が薄れずに済むように、もっとはっちゃけてほしかった。

 白酒師匠の演目は「百川」。つい思い出し笑いをしてしまう。録音出来ればどれだけ良かったか。百川はただでさえ似たような登場人物が多い噺なのに、源ちゃんという謎のキャラも出てくるし( *´艸`) それにしても白酒師匠は田舎のお大尽とか百兵衛とか権助――個人名ではなく三助と同じ職名――がよく似合う。後ろの席のおばちゃんたちが「変な髪型」とか「西郷さんみたい」とか要らんことをぶつぶつ言うてはりまして、白酒ファンのわしとしてはイライラしたりもしましたが、コロナ前の佐世保のかっちぇて寄席以来の生白酒ということで、満足しきりでした。そういえば最初のお辞儀の時、白酒師匠、マイクに頭をコツンとぶつけておいででしたよ。貴重な瞬間が拝めて眼福。

 その後の仲入りの時には抽選会もあり、後ろの列のご夫妻は、お二人で白酒、権太楼両師匠の色紙が当選されていました。いいなあ。どうもその頃から、最近めっきりお尻の肉が薄くなった私は、お尻が痛くて仕方なく、もぞもぞするばかり。立ち上がってストレッチしようかなあとも思いましたけど、他の人はほとんど着座したままでしたので、何も出来ずにそのまま紙切りに突入。スタッフが売り歩いていた若女将手作りアイスもちょっと食べてみたかった。でも500円は何か高いよう。高級材料を使ったものなのかなあ。

 14:45から始まった紙切りは、揺れない紙切り芸の林家楽一さん。コロナ禍の時の鈴本の中継では、切っている途中の「はぁ、疲れた」という呟きが見事にマイクに拾われていましたが、今回も何かしら囁きながら切られていましたよ。フライングでお題を出す人もいて、リズムがくるって困惑もされていたご様子。ご自身で選ばれる導入時の切り紙は「馬」。今回はOHPではなく、バッテリーにつないだトレース台をご使用。ちなみに客席から寄せられたお題は「七五三/大谷(翔平)くん/船釣り/サンタクロース」の四つ。大谷くんをリクエストされた方は思い切りフライングされてひとしきり身もだえされていましたから、採用されてよかった。問題は船釣りですよ。バリバリの方言でお題を投げるもんだから、楽一さんが理解できなくて困っていらしたではないの。この船釣りリクエストおじさんこそが、私の次に第二駐車場に停めた人で、さらに後で物議を醸すことになるのです。

 トリの権太楼師匠は、体調不良の喬太郎師匠の代演。おなじみ麦わら帽子のマクラに続けて、幾代餅を熱演されました。最初登壇された時は、足を引きずるようにしておいでで、高座に上がるのも一苦労。小太郎さんが慌てて出てきて肩を貸していましたけど、さすがに噺に入るとお元気な時の熱量そのままで演じられて、本当に拝見できてよかった。

 ただね、ここで重大事件発生。例の船釣りのおっさんがですよ、急に立ち上がって、拍手に見送られながら戻る権太楼師匠の介添えをする小太郎さんの袖を引っ張って邪魔したわけよ。内容までは聴き取れませんでしたけど、先ほどと同じく地元民以外には理解しづらい訛りを隠しもせず、小太郎さんが権太楼師匠の介助を出来なくしやがったので、私はとにかくイライラ。高座に至るわずかな段差を上るのが大変な状況であるということは、下る時はもっと大変で危険なわけよ。自分も足が悪かったとかいうようなことを言うておりましたから、察するに、早期の回復を促すために過剰な介助はすんなってことだったのかもしれませんが、そういうのは状況にもよるわけですよ。いみじくも噺家の聖域である高座でリハビリさせるなって話。力士が場所中に土俵上でリハビリしないのと同じ。何よりそこはそれを成すための場ではない上、どうしても人前ということで無理をしがち。権太楼師匠が転倒されたらどう責任を取るんだか。リスクマネジメントを徹底する上でも、座席番号から氏名を割り出して、今後は出禁にしてほしい。

 でも私も人のことは言えないんですよね。実は終演後、正面の玄関から出て第二駐車場に向かうつもりだったんだけど、ええとですね、恥 ず か し な が ら 迷 っ て 途 方 に く れ ま し た 。今日の失態も多分呪いのせい。きっとそう。なにしろ入る時は裏口からだったもんでようと自己弁護。実は方向音痴なんですよ。公衆トイレから出た後、入る前の道に戻るつもりで真逆の側に進むタイプ。わかるかな。鮭に例えるなら「ぼくが生まれた北海道の川に戻るぞー」と張り切って泳いで沖縄に着いて孤独に泣き崩れるような。時津駅でも迷って延々出られんかったんだわ。迷宮かと思った。渡辺通りのAPAホテルから博多駅に向かう道でも自分がどこにいるかわからなくなり茫然自失するくらいだし。今はスマホが案内してくれるのでそういう経験は減りましたが、まさか同じ敷地内なのにたどり着けなくなるとは思わなかった。相当恥ずかしかったけど、意を決してスタッフの人に訊いたら、親切に建物内を突っ切るショートカットで案内してくださいました。ただし失笑交じりで。表情の変化を見逃さんかったよわしは。でもそのおかげで、駐車場で若女将さんとささやかながら会話を交わすことが出来ました。もっとも私は「はい」とか「ええ」とか答えただけでしたが。コミュ障VSコミュ強の会話では、常にコミュ強の方が優勢なんよ。口惜しや。その時は「もしかして(ご贔屓は)経太郎師匠ですか?」と訊かれたため、「白酒師匠です」と答えておきました。もっとも喬太郎師匠も嫌いではないです。CDに収録されていたほっけのマクラ「焼いた方がいい」は大好き。

 帰りは帰りでナビを起動していたのにまた逆の方に走りはじめてリルートの嵐。辛い。

 余談ながら、落語会自体は楽しかったものの、楽一さん以降はもうずっとお尻が痛くて痛くてしんどかった。私程度でこれだけ大変なら、褥瘡の方ってどれだけ大変なんだろうと考えながら、もぞもぞもぞもぞしていました。近くの席の人ごめんなさい。別に人前で掻けないようなところがかゆかったわけではないです。お尻が痛かったの、ひたすら。事前の準備を怠ったことを反省しております。痛みがなければもっと集中できたと思うので、次回はクッション持参で臨まねば。基本どの落語会にもクッションを持ち込むことにしよう。次回はどんな噺が聴けるのか楽しみで仕方ない。

※うわー12/8のかっちぇて、菊之丞師匠だ。行きたいけど佐世保までの運転がひたすら億劫。電車で行こうかな。ただ、かっちぇてって、落語会の終わりに次回の予約をするという難儀なシステムなので、後からの電話申し込みが難しいんですよ。にべもなく「もう満席」とか言われる。だから一時は興味がない噺家さんの回であっても、観覧後に必ず予約していました。さすがに今回はあきらめようか……。

リバティで人権啓発落語会が開催されるんだって。人権啓発と聞いてはだまっていられない。しかも完全無料なので早速申し込み。演者は笑福亭鶴笑師匠です。参加出来るといいな。こちらは12/7。良かった、お火たきの特産品まつりと重なりますけど、今年は当番ではないんだわ。

※今日も疲れたから踏み台昇降は軽く流す程度で。