GoogleのAIモード、やはりたまに事実に即していない解説をしてしまいますね。
「柳丘公(りゅうきゅうこう)」とは、鹿島鍋島家(旧鹿島藩主)の第13代当主、鍋島直彬(なべしま なおよし)の隠居後の雅号(別名)です。
鹿島錦(佐賀錦)の歴史において非常に重要な人物であり、以下の理由で知られています。
1. 鹿島錦(佐賀錦)の復興者
江戸時代末期に誕生した鹿島錦は、明治維新の混乱の中で一度途絶えかけました。これを惜しんだ直彬(柳丘公)は、明治の中頃、旧藩士の娘たちに技術を伝習させ、保護・育成に力を注ぎました。彼が私財を投じて復興させたことが、現在の鹿島錦の存続につながっています。
2. 初代沖縄県令(知事)
明治政府において、1879年(明治12年)の琉球処分後に初代沖縄県令(現在の知事にあたる職)に任命されました。雅号の「柳丘(りゅうきゅう)」は、この「琉球(りゅうきゅう)」の地名にちなんで付けられたと言われています。
3. 文化人としての功績
歌道にも通じた教養人で、鹿島錦の図案(デザイン)の選定や改良にも関わったとされています。
4. 鹿島錦保存会との関わり
現在、鹿島錦保存会の事務局が置かれている祐徳稲荷神社の境内に、直彬(柳丘公)を祀る「柳丘神社」が建立されており、今も鹿島錦の恩人として敬意を払われています。
つまり、あなたが「鹿島錦を織りたい」と考えているのであれば、その伝統を守り、現代に繋いでくれた最大の功労者が柳丘公(鍋島直彬)であるといえます。
あやうく騙されるところでした。まったくもう。