頭に喝を入れましょう

 もう長いこと小説の類が読めていません。二十年くらい。どんどんおバカになりつつあるような気がするので、かろうじて(ド暇な時に)読めていた岡本綺堂の半七捕り物帳で、速聴速読訓練を行って、脳の活力を取り戻す試み。単に朗読音声を倍速再生しながらそれに合わせて文字を追うってだけのシンプルな方法ですけどね。読書速度を測ってみたら、学生時代の足元にも及ばないほどの激遅ぶりが判明し、悲しみのズンドコ。

 動画の倍速再生に関しては、皆大好き純正アプリでは2倍速までが限界ですが、サードパーティ製のアプリとかだと4倍速までいけるらしいよ。調べてみたらChromeの拡張機能のYouTube turbo buttonなら10倍速まで対応らしい。Firefoxにもあったけど、セキュリティ警告が表示されている( ゚Д゚)

 演劇人による朗読動画、助かるー。

※半七捕り物帳以外は、剣客商売や御宿かわせみ、宮部みゆきの時代物とか。十二国記も読んだか。別に死ぬまでに読まなきゃいけない本があるってことでもないので、別にいいかとも思うんですが、まあ、脳機能の維持を目的に試してみます。そういえば、「女来也」という時代長編の中で佐賀錦の紙入れを登場させたこともある吉川英治の短編、「鍋島甲斐守」の主人公鍋島直孝は、鹿島鍋島家の分家の当主だそうです。北町奉行を務めたので、当然旗本。禄高5,000石とのこと。それにしても鹿島鍋島家の系図は養子養子でわけわからん。とりあえずバナナさんの養父の伯父ということで。

※速読も速聴もこれまで何度も取り組んでは挫折。今回はスピードアップが目的ではないのでだらだらとやります。

拾って織りたい気持ちはやまやまながら

 まあ気持ちだけということにして心の整理をもくろむ五十の夏。

 今から仕事で憂鬱。今日の夕方以降のノルマは

①草むしりと水やり&雑草の中からレスキューした花や青紫蘇の植え替え
②ストレッチ編み十段以上
③糸掛け用のヒノキ棒カット(40cm)
④犬の散歩後に踏み台昇降とスクワット運動
⑤ストレッチとマッサージガンでメンテ
⑥就寝時に簡単な瞑想

――ということで。35割銀用の図案は昼休みに選びます。シンプルな図案で花菱ショックを癒したい。

 それにしても、鹿島錦や佐賀錦を続けるか続けないかの分水領って何なんでしょうね。飽きっぽい上、杜撰でがさつな性格の私が、なぜ早々に退会せずに続けていられるのかさっぱりわからない。まあ分水嶺は不明でも、試金石になるものはわかります。基礎織の時点で、自分の織り台とにらめっこするばかりで、他の人の織り方や錦に一切興味を示さない人は、100%辞めます。煮詰まるか飽きるかするんでしょう、きっと。

※佐賀錦振興協議会の方と以前お話した時に「せっかく始めても辞める人が多かとよー」とおっしゃっていたので、どこもそんな変わらないのかなあ。鹿島錦保存会はただいまメンズ3人体制――一人は休会中ですがあえて――ですので、そろそろメンズによる会乗っ取り計画を始動しないといけません。乗っ取りに成功したら初心者教室を火曜日にして研究科を木曜日にしてやる。

※乗っ取りと言えば「ねずみ」。名匠左甚五郎の出てくる噺の一つです。他は「竹の水仙」とか「三井の大黒」とか。

妊娠とか出産って、今でも命懸けだと思っていました

 そんなぽんぽん産めよ増やせよ言うてもよう。産んでない人間は反省しろとか暴言吐かれてもよう。産んだ後育て上げるのも心底大変だろうしよう。与党&元与党の野党党員は、プラザ合意のやらかしと、その後数回訪れた就職氷河期の無策ぶりに対してまず猛省してから言えよう。独身の私が書いても説得力はないにしても書かざるを得ない。積極的に子どもを産んで育てたくなるような、花も実もある社会をまず作らんかい。順番が逆。求める前に与えんさい。さすれば道は拓かれん。多分。

 愚痴はさておき、今日は織る日ではない気がそこはかとなくいたしましたので、久しぶりに編み物を。相変わらずのストレッチ編み。春先まで編みかけて放置していたもの編み終えて、新しい段染め糸に取り掛かりました。冬までにセーターとベストをせめて一着ずつは作っておきたい。機械編みでも50目くらいのユニットをたくさん編んでおこうかな。かぎ針でとじはぎして大きなものが作れるように。それくらいなら今の私にも出来るでしょう。ミシンはいまだに放置中。夕方はせっせと職場の草むしりにいそしんだり、後何年生きてくれるかわからない犬達と戯れたり、ここぞとばかりにおぐらさんに命を狙われたり、実際やること多すぎんだわ。

 咳もだいぶ落ち着いてきたということで、先ほど入浴の前に、実に一ヵ月ぶりとなる20分以上の踏み台昇降にも挑戦。久しぶりなのでさすがに汗も相当かいたししんどかったですが、なんとかノルマクリア。今から椅子に座ったまま出来る簡単なストレッチをYoutubeで検索して、いくつか候補を見つけたらそれぞれ一回ずつ試します。

 五十過ぎたらダラダラしている暇はないんだわ。明日死ぬかもしれないと、毎日考えながら生きていきたい。長く生きられたとしても、出来るだけ体力と気力を維持して、若い世代の負担にならないように努めるのが、独身者の義務なのです。少なくとも私はほいほい産めとか言わんでよ。

やはり「あぐり」なんですよねえ

織物染色辞典刊行会 編『織物染色辞典』,専門図書,1953 3刷. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2474917 (参照 2024-07-08)より引用

※1976年の「佐賀県史蹟名称天然記念物調査報告下巻」の529ページに、「佐賀錦製作所専務取締役をしておられる」という文章発見。何それ気になる。

※昭和3年の「日本織物総覧」、鍋島緞通のことを「一名佐賀錦と呼びたり」などと紹介していてひどい。

※こっちの方がひどかった。

『実業の世界』11(9),実業之世界社,1914-05-01. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/10292891 (参照 2024-07-08)より引用

今年はほとんど種をまかず

 こぼれ種から成長したお子らを大切に育てています。朝顔はずいぶん前から花を咲かせてくれていましたが、ながなが放置。反省しつつ今日久しぶりに水盤にして、職場の玄関に飾ってみました。やはり人生には余裕が必要だ。なおスマホを忘れたので写真はなし。

 余裕と言えば糸の渡しですよ。鹿島錦を始めたばかりの頃教わった方法は二種類。当時副代表をお務めでいらしたY先生流とMさん流。Y先生流は、普通に山を作る、ただし頂点を尖らせること敵を認識したミジンコのごとくでしたが、Mさん流はちょっと独特。すでに退会されましたので詳細をお訊ねすることはかないませんけれど――

①目を拾って糸を渡す
②その目のままゆとりを入れて、軽く抑える
③次の目を拾って、その目で②の状態の糸を押さえる

 という感じで、手法としては佐賀錦振興協議会さんや東京の佐賀錦のやり方に近い。Mさんご自身が同じやり方で織られていたかどうかは不明。余談ですが、先日買い物中にお見掛けした限りは、お元気そうでした。

 いろんな人からいろんな情報をもらってたどり着いた答えは、とどのつまり十人十色。個々人の体の癖や力加減、道具の様態などさまざまな因子がからみあっていて、ある人の方法では問題ないのに別の人が同じことをやると収拾がつかなくなるケースもあるので、まあ織って自分に合った方法を模索するしかないのかなと。

 鹿島錦は平の目で押さえるのが基本と言われます。しかーし、それが果たして創案者の柏岡の方の頃から連綿と続く教えなのか、そのあたり調べようがないのが困ります。

※佐賀錦製織法(大正9年)によると、通した後トントンとヘラで整えた後、次の目を拾っても押さえないらしいです。二段目以降も同じ。それでもいいんだ。

東京婦女会 編『佐賀錦製織法 : 美術工芸』,東京婦女会,大正9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1182692 (参照 2024-07-08)より引用。

戦前の経紙は結構シビア

 要らないよね? ここ要らないでしょう? 事実上織らないに等しいところだもんね。なら箔は貼らなくていいよね? という当時の職人さんの魂の声が聴こえるよう。若干撚れた部分がありますので気を付けて織らないと。当時は蒸着しての製作はなかったでしょうし。

※基本は綾で下ろして、押さえが甘い部分は平で整える感じで行ってみよう。押さえる強さも弱くして様子見。今回は桝系の図案を、ほんのり挿し色をしつつほとんど単色で織って、縮み方のパターンを確認。

※ストレスマネジメントとして、寝る前のストレッチの後、アイスノン枕+手の中にあずきパックを持って、簡単な瞑想を継続してみます。例年今の時期は窓を開けて寝ると、稲の苗の上を渡る風の冷たさで風邪を引いたりするんですが、今年はちょっと熱気がこもった感じ。さすがの水田パワーも、気候変動の前には形無しか。

35割の銀を立てました

 さすが戦前の経紙というか、部分的に硫化していて戦々恐々。まあ練習用にはいいかな。平の目を拾って整えるところまでは済みました。しかーし、織る気になれねえ。ちょっと身辺がごたごたしているのに加え、このまま惰性で織っても上達しないのではないかというネガティブな気持ちに支配されつつあります。基本子どもの頃から闇属性。

 織る前にいろいろと考えて厄介ごとを片付けたい。幅は25.2cmで立てていますが、さて、どれだけ縮めずに織れるか。

強制終了しました

 終わりの方、平織りを長めに入れる予定だったんですが、どうにも綺麗に抑えることが出来ずぐちゃぐちゃになってしまいました。ちょっと織りが雑すぎる気がするので、気を取り直して今日から一ヵ月銀を織り、来月盆前から次の教室の間まで、同じ色の着色銀を織ってみます。帯に入る前に、まだまだ自分の至らない点を確認しないといけません。いろんな伏兵が見つかりそうな予感。

 今日織り終えた分は、仕立ての練習に使う予定。これはこれで贅沢かも。

サムネに反応した

 なんか頭痛い。また風邪か。貼り付けた動画で紹介されているのは石膏像職人さん。サムネにラオコーン、ガッタメラータ、モリエール、ブルータス、それからアリアスが一度に並んでいたので、紹介せざるを得んかった。

眼鏡落っことした

 眼鏡を落とすのは二度目。前回はよく行くコスモスの駐車場で、バッグのポケットに挿していた予備の眼鏡を落としたんですよ。結局あの子は出てこなかった。今夜落としたのも予備に持っていた古い御子ですので、まあ別段問題はないにしても、掛けていたものを外した後にちょっと服に引っかけておいたのを紛失したもんだから、悲しみのズンドコ。掛けっぱなしにしておけばそんなことにはならなかったのに。落とした場所がわかっているのに見つからないのも地味に嫌。

 一応探したんですけどね。なんせ明かり一つない農道で、しかも夜中に落としたもんだからよう。車のライトも使ったけど見つからず。無念。最悪用水路に落ちて流れています。総樹脂なので。ええ、JINの安いやつです。

 なんでそんな辺鄙なところを歩くのかというと、誰ともすれ違わないから、気軽にストレッチをしたりスワイショウしたりしながら歩けるんだわ。軽いストレッチならともかく、スワイショウは、人に見られると恥ずかしくてたまらないお年頃なもんでよう。遠くに街灯や家々の窓から漏れる明かりがあるだけで、月が出ていない夜は本当に掛け値なしに真っ暗なので、「夜歩くよー」と言うと、たいていの人にドン引きされる。ほとんど毎日明るい時に犬の散歩で歩いているから、別に怖くはねえんだわ。怖くはないけど、その道で散歩中に物を落としたのは三度目なので、ちょっと反省しました。一回歩きスマホで用水路にはまっこともあるし。

 ちなみにその道で一度目に落としたのは祖母の形見の指輪。普段友達からもらった勾玉などと一緒に首から下げている物。いつもはマクラメでしっかりペンダント紐を結ぶんですが、その日は古い紐を外して処分したはいいものの、新たに結び直す時間が無くて、余っていた革ひもで簡単に結んだわけ。それが散歩中にいきなり解けて指輪が落ちる音がした。慌てふためいて何時間も懐中電灯で探したけど見つからず、悄然としつつ最後の頼みと車のライトを点けてゆっくり走ったら、その光にキラキラと反射してくれたので、無事見つけることが出来ました。90年以上前の父方の祖父母の結婚指輪の素材が、金で良かった。余談ながら二度目は消毒スプレーに巻いていたフレンチトリコロールの錦だよ。後日車に轢かれてぺしゃっとなったのを見つけたよ。

※補足。どうせ夜中で誰とも会わないしということで、たいていは裸眼で歩いてその農道に向かったりするんですけど、今夜は車で途中まで行ったから眼鏡を掛けざるを得なかったんですよね。なぜって、最近は歩くと地域猫のおぐらさんがついてくるから。横や後ろを歩いてくれればいいんですが、おぐらさんの場合は何かを企んでいるかのように私の足の間にするりと入り込んで歩くのを邪魔してくるので、何度も転びそうになるんですよ。もしかしたら私の命を虎視眈々と狙っているのかもしれない。