ひろひろはんだもん。←和田アキオの原曲にはない歌詞だそうな。
何がしょうがないかって、大人の事情ですよ。
織り台の返却に行った後、痛切に思いました。
大人って大変。
※政子ちゃん(´・ω・`)
※木久翁師匠、お若い。
平田式中心強健術、なかなかの曲者で、私の場合はすぐ眠くなりますので、終了後にストレッチをやる気にまったくなれないことが、二日目にして無事判明&確定。今夜から順番を入れ替えて、ストレッチ→中心強健術にしてみます。
それにしてもやたらと眠い。運転中に眠くならないようカフェイン製剤でも飲むか。今日はA先生のところにお邪魔して、大先生の形見として頂いた織り台(特大)を返却しないといけなくなったわけですよ。風の噂によると大人の事情が裏で動いているようです。寂しいよう。
※(‘Д’)説明しよう。織り台(特大)というのは、ただでさえ場所を取る鹿島錦の織り台の中でも特に大きい織り台のことである。一般的な帯台よりも幅広く織ることが可能。鹿島錦の台は佐賀錦の台よりおおよそ一回り大きくなっていて、佐賀錦の中型の台が鹿島錦では小型の台となる。まあこれはどこで台を調達しているかにもよるので、参考程度に。ちなみに起し板の高さは佐賀錦の方が謎に高い。
※お尻の肉が薄すぎるため。本の指示通りにやると褥瘡が出来そうなので、クッションを足の間に置いてゆらゆら揺れています。褥瘡対策大事。
高島嘉右衛門と九鬼盛隆にも似て。何のことだかわからない人はスルーしてください。
かく言う私、先ほどネットを漁っていて、平田内蔵吉の「中心強健術」なるものに遭遇して欣喜雀躍しているところです。正座してそれぞれ50回振り子のように揺れるだけ。詳しいやり方はデジコレで確認を。平田内蔵吉に関しては、名前こそ知っていたけど著書を読んだのは初めて。鵜呑みにせずに健康法の一つ程度として受け止めましょう。睡眠前のストレッチのさらに前にやってみます。もしかしたら気力が出てきてガンガン織れるようになるかも。
※椅子でも出来るんだってさ。ストレッチ前の準備運動には最適かも。
あるなら鍛えてみせましょう。あるかどうかは不明なままに。
まあ、丹田に関しては西洋医学で言うところの神経叢説とかいろいろあるようですけど、とりあえず横隔膜の筋肉を鍛えれば何とかとっかかりになりそうということで、日課に入れ込んだところ。試した限りでは、重石を使うよりうつ伏せになった方がやりやすかったので、しばらくはそちらで。追いつけ追い越せ肥田春充。宇宙倫理の書に関しては読んでいる途中。幾分危ういなと感じるところはあるにせよ、ガチガチの右翼では決してないですよ、春充おじさん。山崎謙は勘違いしたまま亡くなったんでしょうか。
恒例の日課の見直し。
こんな感じで。
※花を活けたりお茶を立てたり、各地の焼き物や織物に取り組んだり、毬などの民芸品を作ったり、和食を極めようと努力したり、出家して座禅を組んだり、毀誉褒貶とは無縁のところで武道に取り組んだりしている人たちの方が、外国籍の人を含め、よほど日本の伝統を守っていると思うわけですよ、私は。某政党の主張はアホすぎてついていけん。
ごめんなさい大先生、鹿島錦は後回しにします。まずは体調回復と体力作り優先。先日から再開したプランク、30秒から始め、毎日1秒ずつ伸ばして、今日52秒クリア。相変わらず途中から下半身がプルプルしてきますが、以前1分をしばらくやって挫折した時ほどではないかな。
私の場合はお腹の調子と体調が連動しているため、腹部を温熱パックで温めたりしていますので、その時についでにパック上にさらに重石を載せて呼吸することで効率的に横隔膜を鍛えて、今年から再開されるお祭りで笛を吹くときのブレスを楽ちんちょにしつつ、体調回復の一助にすることを目指します。さっきホムセンで買うてきたで、重石。スポーティなダンベルとかではないですよ。素朴な1,5kgと1kgの漬物石。
飽きても漬物作りに使えるという寸法。毎度毎度のことながら反論は許しません。
※白だしのない人生は、おそらくこの上なく味気ない。ちなみに私は白だしとクラフトマルチの信者です。あなたも白だし教かクラフトマルチズムに入信しませんか。併信可。
1週間のうち10日はいいことを思いつかずにはいられない私が、文化祭用の品を一つ思いつきましたよ。若かりし頃にワンタッチネクタイに出会ってしまったばかりに、今年の10月で52歳になるというのにネクタイの正しい締め方をついぞ知らずじまいの私にとっても、人生の一助足りうる例の奴。
ループタイ。
錦で作った蝶や包みボタンにビジューと金具を貼り付けて、組紐で作ってみたくてたまらない。世にはびこる「ループタイ=昭和のおじさん」のイメージを、錦とビジューで覆せるかもしれない。蛇足ながら個人的な心情を付記しておきます。ネクタイ締めたくねえ。
※何かの機会に私のネクタイを締めてくれていた友達に「綺麗に締めてくれよう」と頼んだところ、「首絞めてやろうか」と即答されてから二十年以上が経過しました。