年明け早々何ですけど、祐徳院の名前に絡めて下品なネタを飛ばすXユーザーに、そこそこ禍々しい天罰が当たればいいのにと思ってみたり。とりあえずくじ関係全部外れろ。
鹿島図書館に呼吸法関係の健康本をいくつか予約したので、受け取りに行くついでに、ナンチャッテ初詣を済ませてこようかな。
※なかなか予約資料確保の通知が届かないと思ったら、今日は休館日でした。
昨日――樋口ヨシノ先生の命日――は、睡魔に襲われてばかりでした。大先生ごめんね。でも短期集中で織ったので見逃しておくんなまし。
※国会図書館では大先生の手記が読めるよ(要登録)。涙。
初詣というのは、もともとは年明け最初の吉日に、吉方位にある神社を選んでやるものだと聞いたことがあります。別に正月一日に特定の神社に参拝する必要はないんよ。まあ私はそもそもあり得ないくらいに信仰心が希薄だから、別に用事がなければ参拝にも行きゃあしませんが、時々心が折れそうなくらい弱っている時は、町内の神社にお参りに行ってみようかなと考えなくもないです。面倒くさいとお参りしようかという二つの意識が互いに争って、毎回面倒くさいが圧倒的に勝つという運び。近くの神社ですらそうなんだから、遠方だとなおさら。鹿島なんて遠い遠い。祐徳稲荷まで車で二十分とかとんでもない。
ちなみに町内の太良嶽神社、まあもともとあった多良岳山頂の方でしょうけど、縁起書によると伏見稲荷よりも歴史が古いらしいです。祐徳さんの大先輩ですよ、とどのつまり。祐徳さんは花山院萬子姫の時代の勧請ですから、鹿島錦よりは当然古いにしても、太良嶽神社よりは新しいということで御理解を。
ちなみに多良岳関連では、金泉寺(今の境界線では高木町)が日本最古の修験道場と言われていますが、事実関係は不明。高野山が認めているという話もあるくらいなので、信ぴょう性は高そう。
※挑発的なタイトルに関して。正直わしも正式な初詣の作法は知らんよ(´・ω・`) 伸びやすいシルク混のウールと夏用コットン糸を引き揃えて試し編みしているセーターの身ごろが完成して、テンションが上がっているせいなので見逃してほしい。今夜から袖を編み始め。1/4は大先生の命日ということで、一日鹿島錦に専念します。
※巫女さんは鹿島錦の販売もしてくださるよ。BGMのウィリアム・テル序曲が懐かしい。ひょうきん族思い出す。
各居宅は5日まで休みということなので、正月からのんびりと実績確認中。机の上に、どなたかのお土産のぽっぺんやき(by かわた)が置いてあったので、舌鼓を打ちながらPC入力をしています。
昨年末の紅白チャットは無事完了。相変わらず「誰これ」「こんな人数いる?」「これは整形」「高橋真梨子が淡谷則のり子先生みたいになっとる」などと好き勝手な発言をしながらでしたが、楽しかったよ。ちなみに歌はほとんど聞いていないよ。それにしても、今回はSuperflyこと綺麗な松金ヨネ子が見られず残念でした。でも昨年の人生初B’zに続き、人生初矢沢をそこそこ楽しんだよ。
残念だったのは、楽しみにしていた岩崎宏美。全盛期の頃を知っているせいで……ねえ。今の雰囲気や声量だと、「すみれ色の涙」とか「真珠貝の歌」とかの方が良かったのではないかな。無理して聖母たちのララバイ歌わんでもという感じ。
紅白の後のゆく年くる年に関しては、祐徳稲荷が出るまでかなり引っ張られましたけど、無事視聴出来てよかった。もっとも人の多さには辟易した次第。私は少なくとも松の内には、絶対祐徳稲荷には行かないことにしております。ゆっくり参拝したいんよ。
もう二十年以上続けている恒例行事ですよ、私の中では。途中身内の危篤で一回休んで、一回はコロナがらみで緊急出勤することになって日延べしたわけですが、それ以外の年は毎年大晦日になると早めに食事と入浴を済ませて、遠方の女友達とのチャットに興じることにしています。ちなみにここ数年の一番の楽しみは、綺麗な松金ヨネ子(註・Superfly)。
若い子達が応援しているグループは、当然のように誰一人としてどこのどなたか認識できずにおりますが、ケン玉とかドミノはお茶の子さいさいなわけさ。曲は全然知らないにしても。老婆心ながらもうどっちも辞めて歌に専念した方がよくない? とは毎年思う。ドミノは流し見で済ませられますが、ケン玉は見ているこっちがハラハラするよね。ギネスの認定の人も大晦日くらい休ませたり。
まあ、そういうわけで、明日は大掃除の残りとチャットで忙しいので、今年の更新はこれでおしまい。皆様良いお年をお迎えください。来年一年、つつがなく過ごせますように。
GoogleのAIモード、やはりたまに事実に即していない解説をしてしまいますね。
「柳丘公(りゅうきゅうこう)」とは、鹿島鍋島家(旧鹿島藩主)の第13代当主、鍋島直彬(なべしま なおよし)の隠居後の雅号(別名)です。
鹿島錦(佐賀錦)の歴史において非常に重要な人物であり、以下の理由で知られています。
1. 鹿島錦(佐賀錦)の復興者
江戸時代末期に誕生した鹿島錦は、明治維新の混乱の中で一度途絶えかけました。これを惜しんだ直彬(柳丘公)は、明治の中頃、旧藩士の娘たちに技術を伝習させ、保護・育成に力を注ぎました。彼が私財を投じて復興させたことが、現在の鹿島錦の存続につながっています。
2. 初代沖縄県令(知事)
明治政府において、1879年(明治12年)の琉球処分後に初代沖縄県令(現在の知事にあたる職)に任命されました。雅号の「柳丘(りゅうきゅう)」は、この「琉球(りゅうきゅう)」の地名にちなんで付けられたと言われています。
3. 文化人としての功績
歌道にも通じた教養人で、鹿島錦の図案(デザイン)の選定や改良にも関わったとされています。
4. 鹿島錦保存会との関わり
現在、鹿島錦保存会の事務局が置かれている祐徳稲荷神社の境内に、直彬(柳丘公)を祀る「柳丘神社」が建立されており、今も鹿島錦の恩人として敬意を払われています。
つまり、あなたが「鹿島錦を織りたい」と考えているのであれば、その伝統を守り、現代に繋いでくれた最大の功労者が柳丘公(鍋島直彬)であるといえます。
あやうく騙されるところでした。まったくもう。