原型は基礎織の桝――なのですけど、もうここまでいじると補足を書かなきゃわかりません。自分でもわからんかったよ……。
これだと単色の方がよさそう。

※花の横の十字、ちょっとずらした方がバランスが良くなるはずなので、糸を掛ける前に描きかえ――と思いましたが、糸下七目は怖すぎるからそのままに。
国会図書館デジタルコレクションで見つけた本の中の写真です。そういやまだ古賀フミ刀自の本を資料集に追加しとらんかったわ。
赤井達郎 [等]編『江戸時代図誌』22,筑摩書房,1976. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12280412 (参照 2024-08-23)より引用
左の二枚は普段は拝見出来ない筥迫さんの内側の模様だそうです。惚れた。柏岡の方に惚れた。
これもいわゆる基礎紋様だと思うんですけどねえ。結構3-1使うてはります。一番左上から三番目の蜂の巣みたいなのを織ってみたいかな。誰か図案化してくんろ。一番右の一番上、大きな松川菱の中の花菱、ちょっと変わっていて面白い。
※ゆるがせに出来ない適当な解説発見。誰やこんないい加減なこと書いたん。
『日本百景と土産品 : 江戸・明治』2 (寺社詣で),平凡社,1980.5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12277079 (参照 2024-08-23)より引用
相当昔、細編みだけで延々と編むコートの編み図をネットで拾ったことがありまして、当時は編めるかどうかもわからない状態でしたが、見つけた勢いでレッツら保存。先日来のかぎ針編みの練習をする過程で細編みにも自信がつき始め、そろそろ編み始めてもいいのではないかというお年頃になりましたので、コートとまではいかなくても、かっちりしたハーフジャケット的なものが編めないかと思案。どうせ編むなら無地より模様入りがと考え、かぎ針編みで編む和柄の座布団のkindle版をタップタップで眺めていて、菊菱の図案をゲット。書籍内の図案をそのままスクショして引用いたします。
まあ、鹿島錦でも織れなくはないかな。随所に不安要素はありますが、極端に不安定ではないですもんね。中央部分、うさぎが両手を広げて立っているように見えるのが私のツボ。
一応長々編みまで(かろうじて)出来るようになったとはいえ、まだまだ幾何学模様のモチーフを自由自在に編むまでには至らないし、練習を続けながら、細編みで鹿島錦の図案を再現したボトムやアウターを編むという選択肢も視野に入れておこう。現状鹿島錦では織りづらい自作図案は、こぎん刺しや編物で大事に育てると幸せになれるかも。
※BCP、今日中に終わりそうです。後はハザードマップ他資料の準備。
休憩中に「そめとおり」396号に掲載された佐賀錦の記事を読んでいたんですが、奉書を経に、綿糸を緯にしていた時代もあったようですね。まあ後年は練習織りに用いられた手法だと思いますが、高価な材料が入手できなかった、あるいは華やかなものがはばかられた時代は、白地の紙で織るのが普通だったと古賀フミさん関連の記事でも読んだことがあります。
現行の「鹿島錦」は、織り台に関しても、織り方に関しても、材料に関しても、戦後に確立した部分が少なくないのですよね。
※鍋島政子刀自校閲「錦のしほり」によると、紗綾型などは「錦のほんの初歩」で「図案を作り出すのはこの上もない楽しみ」だそうです。私も桝の線を交差させた図案を以前描きましたが、昭和10年の時点で出ているわけでよう。
※御宿かわせみのイメージしかなかった平岩弓枝のまさかの青春小説「アキとマキの愛の交換日記」に、佐賀錦を織る未亡人という設定の劇中人物がいると知り、驚愕している次第。
※そめとおり449号の記事から逆算すると、西陣で佐賀錦の名を冠した帯が織り始められたのは、昭和36年。
※大滝英子著「きもの風土記」に幻の長崎錦の記事。河村翠さんへのインタビューによると、佐賀錦は明治までは門外不出。庶民は触れることも見ることも許されなかったのだとか。ちなみに「草履なんて邪道」とのことです。足で踏むものは作りたくないそうな。実に上品にご立腹なさっている次第。
※日本の美 第10 P121には、織り手ならわかる恐ろしすぎて織る人がほとんどいない七宝模様の作品が掲載されています。「佐賀城の御殿女中が始めた」みたいなことが書かれてあってぷんすか。
今織っている古い銀、今年中に終わるかなあ。まだまだ先の話ですけど、織り終わったら、本金かオリジナル経紙のいずれかで、この模様を織ります。会の図案集にある花菱鹿子蜀江のアレンジ。
Gyaoがサービスを開始した当初無料で視聴できた「Farscape」。マイナーすぎて私の周囲では誰一人としてこのドラマのことを知らないのですが、妙に好きでした。綺麗な久本雅美ことクラウディア・ブラックも出演。主演のベン・ブレイダーとともに、スターゲイト SG-1にも出ていましたよね。
アンドロメダも途中までしか観ていない。これらのドラマを観まくっていた頃に鹿島錦を始めていたら、どれだけ織れただろう。錦に限らず、どんな世界も、早く始めたもん勝ちです。
誰やこんな動画作るん!!
( ゚Д゚)
往年の特撮ヒーローの名称、てっきり「コンドルマン」だとばかり思っていたら、「コンドールマン」だったそうな。昔うちにレコードがありましたよ。放送されているのを観た記憶はないです。私の中で一番古いと思われるテレビ番組の記憶は、アニメ作品のジムボタン。コンドールマンと同年の作品なのになんで憶えているのかは謎。ジムボタンの原作は果てしない物語のミヒャエル・エンデですが、コンドールマンの原作はおふくろさん騒動の時に耳毛の人として有名になった作詞家の川内康範氏だそうです。wikipediaによると、あの耳毛は意識して伸ばしていたそうですね。ゲン担ぎに。なおナレーションの羽佐間道夫氏は成年こそ違えど私と同じ誕生日。菊之丞師匠や宮治師匠も同じ日生まれのナカーマヽ(・ε・)人(・ε・)ノ。プーチンは仲間扱いしてやんない。
ところで羽佐間氏、日本人初の国際的なオペラ歌手、蝶々さんこと三浦環の親戚なのだとか。ついでに際限なしにどうでもいい情報を一つ。私の父方の祖父は女優の山本陽子の従兄なんですよ。
「贅沢は敵だ」という標語が書かれた看板に「素」と書き加えて「贅沢は素敵だ」にしたという三浦環の逸話は好き。動画のコメント欄で知りました。
森進一を恐怖のズンドコに突き落とした川内センセ=耳毛のおじさん。騒動の顛末に興味がなかったので耳毛しか記憶に残っていない。
今立てているのは本金ではないので、自分の図案でいいかな。桝と鹿子で構成したものの一部を、糸下二目に替えてみました。ほとんど伝統図案ですよね。鍋島家の図案の中にもありそう。糸は四本掛けます。残りの一本はヘラ通しっぱなし。木目込みは完成させられたら春の作品展に出す予定。「だめ」って言われたら出しませんので、織らせて、お願い。
子どもの頃は全然楽しめなかった浪曲漫才。奥深い面白さに気付ける年齢になりました。
ザ・芸人。
花七宝+桝をおるでーということで糸掛けをしていましたが、なかなか気乗りがせず。ようやく掛け終わったと思ったら、同じ目に二本掛けてしまい、一段すっ飛ばしおりました。まあ一段くらい拾えばいいかと気を取り直して織り始めたはいいものの、花七宝ってあれなのですね。上下の目が似すぎていて、平の目でないと押さえられなかったりするんですね。しかも糸の加減が難しく、「あ、これ私が織ったらすぐ縮むやつだ」と、昔懐かしプリンプリン物語のカセイジンばりの予感がしましたので、早々に撤退。掛けた糸をがんがん外していて、勢いで外さなくてもいい平の目までLOST。
辛い。
一緒に堪忍袋の緒も切れましたので、自分の図案を自力で拾って織ります。誰に何と言われようと知ったこっちゃない。だって紗綾と桝のアレンジだもの。伝統図案の系統だもの。昨日で49歳になったので、まあ、お祝いということで。