アニメ映画「銀河鉄道の夜」の公開から40年だなんて、ペンネンネンネン・ネネムもびっくり。そういえば、音楽の細野晴臣氏のおじい様、タイタニック号の沈没から生還した時にさんざん叩かれたらしいですね。御気の毒。同時代に「少年ケニヤ」や「幻魔大戦」とかあったよね。
昨夜のストレッチのお供は、さん喬師匠の猫定でした。雲助師匠もいいよ。
小学生だった頃、休み時間には常に教室で本を読んで静かに過ごしていた関係で、同級生メンズがキャプテン翼に感化されまくって、昼休みに限らず、わずか10分足らずの授業の合間の休み時間にすら、こぞって運動場に駆け出してサッカーに興じている間、教室内にメンズ一人で過ごす羽目に陥っておりました。読書友達はちなみに別のクラスやってんよ。そのため、息せきかけてチャイムが鳴るギリギリに戻って来たサッカー男子から、「女の中にー、男が一人ー」と囃されることしばしば。心底あきれて「本物のアホ?」とか思ったもんさね。しかもあれだけ人のことを嘲っておいて、長じたら合コンに明け暮れる始末。意味が分からん。一貫性がないにも程があるわ。それと小学生は漫画やアニメに感化されすぎ。もっとしっかり自分を持て。
そんなこんなでタイトルに関してですが、皆大好きkashimamenのページを確認したところ、やはりボールペンに封入する図案は、鹿子一強体制の模様。私好きじゃないんよ、鹿子。どうすんべ。
※他にもいろいろありましたけど、腹に据えかねた時はぶ厚かった国語の教科書の背表紙で「すぱこーん」と相手の頭を叩いて泣かせたりもしておりました。わし結構ワイルドよ。
昨夜から腸がむくんでおります。最近は落ち着いていたのに。尾籠な話ながらブリストルスケールがあれになるのと、お腹がぽっこりと膨らんで目立つのですぐわかるようになりました。ずっと持病の腎臓由来だと思い込んでいたんですが、たまたまその状態の時に血液検査を受けて、そうではなかったことが判明。アルブミンにはまったく問題なかったんよ。ちっ。ちなみに体重も甚だしいときには2kg近く水分だけで変動するよ。
今夜から織る図案。菱立湧を横にして、立湧の部分を削ってみた。色の入れようがないので、特定の段だけ一段二色、残りは三種類の糸で一段一色にして10cmくらい織ります。
私が雑に計算した限りでは、2cm弱程度でシームレスにつながる図案だと、ペン内部に綺麗に封入できるみたいだよ。

でも奇数目だけで直線で織ることが多い鹿島錦では、菱だの何だのと呼ばず、威風堂々と「青海波」呼びなんだわ。なお図案の名前で一番謎なのは馬蹄よのう。世間様では工字つなぎとか変わり紗綾とか言われる図案なのに、なぜに馬蹄。
やっつけ仕事であれながら、封入用に小さい青海波作ってみた。後で若干手を加えるかも。

※鹿島錦のクイズ発見。会員なら余裕(・ω・)ノ
※インスタで拾った。紛金のようだから基礎織?
※佐賀大学機関リポジトリも面白いよう。大先生へのインタビューや井手先生の動画もあったよ。レッツらダウンロード。とりわけ動く大先生の動画は長尺で泣ける。初心者教室組の場合、半分以上が樋口ヨシノを知らない世代になってしまいました。切ない。
私の中ではMr.助さんこと里見浩太朗版水戸黄門にも佐賀錦がちょこっと出てくるという情報をゲットしました。しかし。しかーーーーーし。
水戸老公(里見浩太朗)一行は、この地の名産織物「佐賀錦」の織元で、職人の見事な仕事を見学しながら佐賀に着いた。佐賀錦は老公の叔母が考案したと伝えられる織物で、老公には格別の思いがあった。(https://www.tbs.co.jp/mito/mito35/2.htmlより引用)
て――え? え?
ご老公の叔母? え? 織元? 職人?
まず佐賀錦を考案したのは鹿島藩九代藩主夫人の柏岡の方こと鍋島篤子様&側近の並木多仲。ちなみに九代は鹿島藩独自の代の振り方で、佐賀藩の認識では七代扱いです。そもそも黄門様は家康公の孫だから時代が全然違う。佐賀錦の源流である鹿島錦、およびその初期の呼び名であるお組物が創案されたのは、柏岡の方の没年から察するに、おそらく家斉公の時代あたり。
明治になるまでは鍋島家中の限られた子女のみが織ることを許されていたので、少なくとも当時は織元も職人も存在しない。勝手に歴史作っちゃダメ。
蛇足ながら、創案者の一人柏岡の方に関して、「鹿島藩のご後室」と紹介してある佐賀錦のしおりがあるようですが、後室というのは夫を亡くした後に用いる言葉なので、これも間違い。鍋島直彜公は当時はまだご存命。並木多仲に創案の労を讃え織之助の名を与えたのは、おそらく直彜公。なお直彜の読み方には「なおのり」「なおつね」の二つの説があるようなので、個人的にはそちらをはっきりさせてほしいところ。
息切れするわわしも。
※鹿島城――厳密には鹿島陣屋――の残り香を堪能することができる朱塗りの門を観に鹿島高校まで行ったことがある人は、佐賀錦の織り手の中に何人いるのかなあ。