とあるおばあさんを偲びつつ

 仕事柄被爆者手帳の確認をすることがたまにあります。通所介護の場合、手帳をお持ちの方の基本料金は公費請求になるので、どうしても番号の確認が要るんよ。これまでの経験では、こちらから近いこともあり、ほとんどすべてが長崎での被爆と記したものでした。親戚のおじさんや近所のおじさんおばさんたち――ご近所に関しては所持率一割くらい――も含め、やはり長崎での被爆ばかり。これまでお一人だけ、すでに他界されたとある編物上手のおばあちゃんだけが、広島で被爆された方でした。

 実はこの件で許せないことが一つ。思い出すたびにはらわたが煮えくり返って仕方がない。この方の場合、ご家族全員現地で被爆されていたのですけど、当初手帳の申請をされていたのはそのおばあちゃん一人だったのですね。後年別のご家族の方も申請されることになったのですが、お子さん方のうちお一人は発症した若年性認知症のせいで、当時のことを話してくださいと調査員が口にした直後にトラウマでパニックになられ、結局聞き取り不可。挙句、その方だけ状況確認が出来ないからと認定が下りなかったのだとか。

 ちょっとは考えいよ、お役所(´Д`)

※数年前のJR九州ウォーキングで、長崎の被爆地周辺を歩くという企画がありました。その時の写真は9日かお盆にでも。