またもやネットがかまびすしい。うちの親は絶対買ってくれんかったで。初期のシンプルな携帯型のゲーム(ゲームウォッチとか)は買ってくれましたが、ちょっとお高めとなったカートリッジ式や据え置き型のファミコンの類は絶対禁止でした。祖母に頼めば買ってくれたとは思いますけれど、プッシュフォンにも対応できなかった明治生まれにゲームとは何かを説明するのが面倒でよう。
ごくごく普通の家庭環境で、お金が絶望的に無かったとかではないので、多分買い与える必要性を感じなかったんでしょう。フルートなどの楽器類や、本来は学校から借りて使うもののため、要不要で考えれば不要でしかないイーゼルやカルトンなどはすぐ買ってくれたし、本に関しては、電車の中で読む文庫本メインだったこともあり、どれだけ買っても文句は言われませんでした。もっとも、教育熱心でもなかったので、子育てに関しては、基本、本を与えて放置系。父からはよく図書館に置き去りにされてたわ。保育園の頃には、肩から水筒を下げたまま大人向けの書架を徘徊して、先日亡くなられた鈴木健二氏の気配りのススメとかを貪るように読んでいました。
ゲーム機を買ってあげないと周囲とのコミュニケーションが取れなくなるという意見もあるそうですが、思い返すと、確かに話は合わなかったです。もともとコミュ障ですしね。当時はゲームの話に一切ついていけなくて寂しい想いもしましたけど、今から考えたらゲームに時間を割かなくて良かったと心底思います。ゲームに費やす時間やお金が無駄かどうかは個々人によって当然違い、ゲームがなければ人生が充たされないという人もいるだろうし、ゲームあればこそ救われたという人も少なからず存在するわけで、存在意義がないとは決して言いませんけど、こと自分に限って言及すれば、ゲーム禁止の家庭で良かったかなあ。反動で将来ゲーム三昧の日々を送るようになるという意見に関しては、人によって違うとだけ。当然廃人クラスのゲーマーになる人も出るでしょうし、そのままやらずじまいで人生を終える人もいる。DSのカートリッジからデータを吸い出してスマホの中に放り込んで持ち歩いていることからもわかるように、私もまったくやらないわけではないにしても、優先順位は著しく低い。病院での待ち時間に暇つぶしがてら触るだけ。私の世代は、ゲームをやったり漫画を読むのにまったく抵抗がない人間が過半数を占めていますけど、私は断然錦を織る作業の方を有意義だと受け止めています。
買うのが正解というケースもあれば、買わないのが無難な場合もあって、一概には言えないのがもどかしい。人生における選択の何が良くて何がまずかったかなんて、当人が死ぬ瞬間にしかわかんないよね、きっと。