柏岡の方が網代天井を見上げ鹿島錦の着想を得たといわれる鹿島城(鹿島陣屋)の大奥が今の鹿島高校のどのあたりかをずっと知りたくて調べていたのですが、なかなか見つからず。今日たまたま目にした1972年刊行「肥前国誌」藤津郡の項に図面がありました。欣喜雀躍。ただしちょっと不鮮明。いったい全体どこじゃらほい。複写依頼を出してみようかな。限定500部のため書籍としての入手は著しく困難。
画像左側が現在の鹿島高校の正門の模様。どの方向から来た生徒も下駄箱まで遠くなるため誰も通らないという、実に闇深き門でした。ざっと見た感じでは建物のほとんどがグラウンドの方に伸びている感じ。もっとも私の記憶も曖昧なので、現地調査を試みたいところ。不審者扱いされない程度に。
肥前国誌(https://dl.ndl.go.jp/pid/9769274/)より
※ネットで拾った鍋島家写真。ただいまオークションに出ておりますが、入札するかどうか迷っています。どちらの写真にも鹿島錦保存会初代代表鍋島政子刀自の夫鍋島直縄公のお姿が。
※ポテトヘッドさんにそっくりな方ですよ。