懐かしの

 以前、陶芸紙(陶紙)を使って作った鶴たちのかごめかごめ。焼成前です。乾燥後にさや鉢に入れ、形が崩れないようにパウダー状の保持剤で保護して1200度くらいで焼いて、その後低温釉を掛けて再度800度くらいで焼いて仕上げます。作ったのはもう七年以上前になるんね。鶴のわらべ歌シリーズ、また作ってみようかな。

 

※以前おりがみ陶芸センターのきよ先生から、「長崎の人は皆折り鶴が折れるけど、佐賀の人は折れる人と折れない人に分かれる」と聴いて、さもありなんと思った次第。私が子どもの頃も、原爆の日だから鶴を折りましょうというようなことは、ただの一度もなかったです。千羽鶴を折ったのは、クラスメイトが長期入院した時くらい。長崎県内だけでは医療資源が追い付かず、負傷者が治療と休息のために鹿島をはじめ県内に次々に運び込まれたという背景もありますし、決して無縁というわけではなかったのに。

※保持剤を使わずに焼く方法も考案されていますが、詳細は不明。なんの考えもなしに保持剤を使わずに焼くと、いきおいぐでーんとした夏バテ鶴になります。そのせいで「綺麗に焼けないからインチキ」と言われることもあるらしいよ。そんな難癖つけられてもよう。蛇足ながら、小さい陶芸紙で作れるうさぎの箸置きは可愛いと思うんですけれど、誰も作りたいって言ってくれなかったので、悲しみのズンドコ。

すっかりROMのすけ

 LINEグループによる連絡が便利すぎてもうね。台風のため教室が休みという連絡を私が受けたのが、ちょうど浜三角を運転していた時だったのですけど、直後に別の方がLINEに情報をあげてくださって、すぐに周知。楽。非常に楽。もっと早く作っておけばよかった。必ずどなたかが連絡をまわしてくださるので助かります。ありがたや。懸案は、私のグループでまだお一人連絡がとれていない方がおいでになること。その方に早急に情報だけでも差し上げなければと毎日思うのですけど、どうしたことだか

 毎 日 忘 れ る 。

 なんで? 誰か毎日私に薬盛ったりしてる? 願わくばMさん怒らんといて(´Д`)

 自分の不始末を誤魔化すために、先日リメイクした織り台入れをご紹介。編み方のせいでいたるところふにゃふにゃなのが気になるので、型崩れ防止のために底板を入れています。足の部分はSeriaで買った引き出し用のつまみを流用。造花はあまりにも見た目が寂しかったのでぶっ挿しています。季節によって替えていくで。バンドは二色のものを使っているのですけど、なんせ初心者、編むのに精いっぱいで、向きまでは考えていないため、白い部分が上を向いたり下を向いたりしていますが、これは失敗ではなくて1/fゆらぎ。古い。

※小台以外は持ち運びたくない病に絶賛罹患中。中台は一生持ち出しはせんよ。鹿島錦の小台だと27.5cm幅までは織れるもんでよう(´・ω・`)

※年相応の物を持ち歩くべきか迷う。理想はトランクタイプですが、技術が追い付かずいまだ作れずじまい。そもそも紙バンド飽きたんだわ。

2023年8月~9月の鹿島錦保存会の予定

【初心者教室開催予定】※風邪症状のある方以外は見学大歓迎

2023年8月24日 AM9:30~PM3:30
2023年9月14日 AM9:30~PM3:30
2023年9月28日 AM9:30~PM3:30

【イベント予定】

2023年9月10日 SAKURASオープン記念イベント会場にて、一部会員(フリー担当)による鹿島錦の織りの実演を行います。鹿島錦製品販売ブースも出展予定。ただしスペースとの都合で小物メインとか。おそらく何点かはバッグなども展示されると思います。今年のフリー妙に忙しくない? ←終了

明日は長崎原爆の日

 鹿島錦同様、核兵器に対する想いも受け継いでいかなければと考えてみたり。遺産として受け止めるにあたり、正か負かの違いはあれど。負の遺産の場合、語り継ぐのも直視するのも耳を傾けるのも相当しんどいわけですが、やはり人生にはそういうしんどさも必要なわけで。

 もう二十年以上前、当時のネット友達が運営していたムラ関連の掲示板にちょくちょく出入りしてした頃、寝た子を起こすな論争というのがあることを知りました。LGBTQ差別や在日外国人差別とは違い、時代が進むにしたがってその構造が薄れるという特性がある部落差別に関しては、触れないことで差別意識も雲散霧消するはずだから、何かを遺そうとするべきではないという意見を土台に侃々諤々の議論になっていましたが、部外者の私は「赤さんが膨大な知識をどんどん吸収するのと同じで、教えるべきことは教えておかないと、まっさらなところに差別意識を刷り込むのも容易になるのに」と考えておりました。当事者でないから書けませんでしたけどね。今でもその意見は変わりません。ただ、どこまで教えるかとか、どのように教えるかという部分は、充分吟味しないといけないとは思います。勇み足が一番いかんのよ。

 もちろん純粋無垢なお子ではないので、この世から差別や戦争や犯罪が無くなる日があるなどとは微塵も思っておりませんよ。だからこそ意識してなくす努力を続けなければ、世の中しっちゃかめっちゃかになる、そういう受け止め方をしています。

※原爆の日くらい鶴を焼かないといけないんですけど、電気炉周りをまだ片付けてないんよ……。ところで寝た子を起こすな論争に関しては、永久に決着がつかない気がします。でもまあ、だからって丁々発止のやり取りが不毛ってわけではないんですよね。そもそも私の場合は議論が大嫌いなので参戦はしないにしても。

※元天歌こと吉原馬雀さん、ようやく落語に復帰できたそうです。良かった。再入門先の吉原朝馬師匠は先代馬生師匠のお弟子さんだそうで、つまり雲助師匠の弟弟子? さようなら三遊亭こんにちは古今亭ですな。私は例の件の前、鈴本の中継の時から、現圓歌のネタにはイラっとさせられていたので、裁判で負ければいいのにと思って注視しています。

ボディワーク再開

 昔は「ボディー」表記が一般的だったのに、今では「ボディ」らしいですよ。そりゃ私の肩回りも加齢で痛むわということで、長らく サボっていた やりたくても出来ずにいたストレッチを再開。形ばかりの下半身ストレッチは続けていましたが、上半身を含めてじっくりやったのはいつ以来でしょう。しばらくゴールデンカムイを観ながら続けてみます。

 試しに直立でスワイショウを試みたら、足が怠くて仕方がない。次回からは座ってやるか、最初からストレッチをやるかどちらかにします。もちろんハーモニー体操の動きも取り入れて。今夜はきちんと眠れるといいけど。

※最近足のだるさが何をやっても取れないません。果たして何かの症状なんですか。むくみは皆無なので腎臓ではないっぽい。

気分一新

 背景画像も有料のものに変えてみました。折り鶴で探したけど良さそうな無料画像がなかったもんでよう。

 もしかしたらAIでも作れるのかな? と考えて今試したら、ううん、一応シームレス風の画像は作れるようですけど、実際に並べてみるとずれが。オリジナルの折り紙くらいにはなりそう。

※チョコ炒りぬかを食べ始めて246日目。体重は59kg台と60kg台を行ったり来たり。結局大腸内の残滓物(通称ウンチョス)で変動するみたい。基本便秘気味ですからね。

何か懐かしい画像が

 平和をテーマに原爆関連の跡地をめぐったウォーキングの写真を探しているんですけど、結局見つからず。なんででしょう。参加した記憶が確実にあるのに。

 探す過程でいろんな想い出が掘り起こされましたが、今ではすっかり全国区になってしまった鬼越トマホークのキレキャラ、坂井君の写真で暇つぶしに作ったレジンのペンダントなんて、存在自体を忘れていました。当時エンボスヒーターは持っていなかったのかな。気泡を抜くのが面倒で、誰にも見せないからいいやと、そのまま固めています。5年前の私は、果たしてどういう経緯でこんなものを作ろうと思い立ったのか。

 こんなしようもない遊びが出来るのも、パンデミックのことなんて考えなくて済み、五十肩とも無縁でいられた、平穏で健康な頃だったからでしょう。

※鬼越は「油で揚げさせてくれ」の頃から推していますが、有名になるに連れて興味半減。チェンジ3の頃が一番楽しかった。

さて、再始動

 いつになくまじめに今後の人生についていろいろと考えております。肩は相変わらず痛いですが、激痛は就寝時以外はすっかりなりをひそめ、日中は疼痛が主。そろそろ織れるかなあ。織れない間に織りたいという気持ちを再確認できたので、積極的休養を取ったのが良かったのかも。

 生きているうちに百枚は織りたいということで、糸掛けなどを試したりしていましたけど、もうちょっとのんびり、自分のペースで取り組んでもいいのかな。他人は他人でええやないの。とりあえずコンスタントに本金を織って、しっかりとノルマを果たしていければ、他にどんな経紙でどんな図案を織ろうが、それでよし。これまでも作ってこなかった販売用の品、今後も一切作らないことに決めました。自分の錦を誰かが買いたがる状況が、あいにくまったく想像できない。要らんでしょう、どう考えても。だからもう好きな時に好きな図案を織っていくで。もともと3-1の図案はそれほど織っていませんでしたし、自分で描くものも、オーソドックスなパターンをシンプルに組み合わせているだけだから、多分問題なし。

 多分(´Д`)

 そんなことよりこの人のこれどういう状況? ※音量注意。

※あいにく私はお会いしたことはないのですけど、八十代か九十代かで鹿島錦を始められた方が以前在籍しておられて「私は自分の好きなものだけを織ります」と宣言されていたとか。潔さに敬服。

とあるおばあさんを偲びつつ

 仕事柄被爆者手帳の確認をすることがたまにあります。通所介護の場合、手帳をお持ちの方の基本料金は公費請求になるので、どうしても番号の確認が要るんよ。これまでの経験では、こちらから近いこともあり、ほとんどすべてが長崎での被爆と記したものでした。親戚のおじさんや近所のおじさんおばさんたち――ご近所に関しては所持率一割くらい――も含め、やはり長崎での被爆ばかり。これまでお一人だけ、すでに他界されたとある編物上手のおばあちゃんだけが、広島で被爆された方でした。

 実はこの件で許せないことが一つ。思い出すたびにはらわたが煮えくり返って仕方がない。この方の場合、ご家族全員現地で被爆されていたのですけど、当初手帳の申請をされていたのはそのおばあちゃん一人だったのですね。後年別のご家族の方も申請されることになったのですが、お子さん方のうちお一人は発症した若年性認知症のせいで、当時のことを話してくださいと調査員が口にした直後にトラウマでパニックになられ、結局聞き取り不可。挙句、その方だけ状況確認が出来ないからと認定が下りなかったのだとか。

 ちょっとは考えいよ、お役所(´Д`)

※数年前のJR九州ウォーキングで、長崎の被爆地周辺を歩くという企画がありました。その時の写真は9日かお盆にでも。