書き忘れ

 昨日のあけぼの落語会、二つ隣の席のおばちゃん、佐賀錦のバッグをお持ちでした。

 なんかね、片面が変わり経紙――黒漆に銀を散らしてある。砂子ではなくドボッドボットとインクを垂らしたような感じ――に赤糸での紗綾形。持ち手ともう片面、底、マチの部分は真っ赤なフェイクレザー。

 かっけー。

 それから、楽一さん作「大谷くん」には、膝を折ってくず折れる前の通訳の姿も。てっきりデコピンかと思いきや。

ようこそ3-3の世界へ

 さようなら花菱の芯と鹿子の周りの偶数目。

 文化祭の時に複数の人から「3-3は糸掛けるよー」と言われました。確かにその方が合理的。でも、私は逆に3-3以外に糸を掛けて、3-3だけを拾いたいんだわ。わかってもらえるでしょうか、あの単調な目に癒される感覚を。この場合の3-3 は、糸上三目糸下三目を拾い続ける段のことなので悪しからず。

 今は糸を掛けるのも面倒くせえという状態ですので、伝家の宝刀まっすぐ流水を織りたいな。心変わりはいつものことさ君子は豹変すさ。

 まっすぐ流水(行きっぱなしの流水と言うらしい)も色替え次第では面白くなるので、今回久しぶりに図案をぬりぬりして試行錯誤を試みます。

第35回あけぼの寄席

 初めてのあけぼの寄席(昼の部)に行ってまいりました。自宅を出たのが9:20くらいだったかな。信号にもさほど引っ掛からず、10:43には旅館あけぼのに到着。以前助成金のパーティーでお邪魔した時はすでに陽が暮れて昏くなった道を運転したため、主だったランドマークとの位置関係がまったく把握できていませんでしたから、出がけに車の古いナビをセット。迷うようなら先日PCから送ったスマホのルート案内を別途起動しようと考えて出発。知っている道をいちいち指図されるのはまっぴらと、いったん電源を切って運転。下道ばかりの我が人生、207号線から444号に入り、恐怖のズンドコ線こと有明沿岸道路には無視を決め込み、牛津高校のところでナビを再度オンに。佐賀市内に入った後は、何か細い道路に連れていかれ、右折していいのかどうかわからない状況などに遭遇しドキをムネムネさせながら車を進めるといった具合ながら、例によって例のごとく、旅館あけぼのに一番乗りで到着。別にそう目指しているわけではないのに、研修会でも落語会でも、誰よりも早く現地に着いてしまう。なんでなんでしょうね。

 もしかしたら足のお弱い方がいらっしゃるかもということで、玄関前の駐車場ではなく、第二駐車場の方に停めて、開場時間までしばし休息。しばらくしたら二番手の車が駐車場内に。この車の主が結構なタマでした。詳細は後述。11:30になったと同時に建物内に向かおうとしたら、「受付とお弁当の配布は12:30からです」と、法被姿で駐車場で案内をされていたスタッフの人に説明され、じゃあ車の中でもうちょっと過ごそうということで、DSのゲームデータをスマホのエミュレーターで起動。暇つぶしにもってこいの常識系クイズをやったんですが、今日はしょっぱなから佐賀県に関する問題だったので、楽勝。だって佐賀県民だもの。とっとと正解かまして終えた次第。

 12:00を回ってすぐに改めて建物の中に入って、受付用の整理券(11番)を受け取った後は、12:25頃までにお戻りくださいと書いてあったのを確認し、しばらく散歩。迷わないようにと一方向に進んでいたら、なんか眼前に見たことがある光景が広るわけですよ。おおここ玉屋じゃん、もしかしたら高校時代に時々買い物をした画材店も近くにあるかもしれないと探したけど、見つかりませんでした。あるいは文化祭の時にA先生がおっしゃっていた「玉屋の近くの額縁の店が無くなったとよー」といのうは、その店のことだったのかも。確か武藤という屋号でした。当時使いまくっていたパーマネントホワイトの油絵の具を買ったなあとしばししんみり。とにかくパステルカラー好きで、どの色にもホワイトを混ぜてパステル化しておったわけよ。なお友達からはパステルカラーの申し子とかピンクの魔術師とか呼ばれておりました。別にピンクピンクした絵は描いてなかったんだけどね。

 県庁前まで歩いて踵を返し、途中わき道に入ってバルーンミュージアムを外から眺めた後、久しぶりに玉屋に入って、やたらと狭いエレベーターを「わあい玉屋だ」と楽しんで、さらにはトイレを借りて旅館に戻ると、もうそこにはごった返す落語好きたちの姿が。人いきれというほど濃密ではなかったにしろ、何かしらあてられる感じがして、いったんロビー手前にある室内の自動ドアと、入り口の自動ドアの間の空間にすみっコぐらしのキャラのように避難。そうして、しばし心を落ち着けながらフロントあたりを何気なく観察。気づいたのは、私が持っていない封筒を持っている人たちがちらほらいること。何がどうなっているのかわからず、スタッフの方に確認しようとして、しばし逡巡。チケットってもう発行済なの? なんでわし持ってないん? と慌てましたが、もしかしたら――と、フロントに予約していた旨を伝え、名前を申し出たら、即座にチケットとお弁当の引換券を渡してもらえました。そうか。受付の整理券はチケットの確認用で、事前の入手が必要か。そういや予約直後に届いたメールに、そうしろって書いてあったっけ。絶賛初体験とはいえ、自分できちんと覚えとけって話ですよ。辛い。

 ようよう安堵しつつ、整理券の番号を無視して並ぼうとする 老害 フリーダムな高齢者たちとともに受付を済ませた後は、待ちに待ったお食事タイム。低血糖になりかけたよわしは。事前に予約していたお弁当はこんな感じ。ちょっと詰め方に疑問を感じた次第ですが、味はまあ普通に美味しかった。

 ベジファーストで食べ始め、失礼が無いようにと、あまり好きではない鯖の棒寿司まで含めて完食。大人になったねえわしもと自画自賛の傍ら、耳をそばだてて周囲の会話を聴いていたら、やはり落語の話で持ちきりでした。新春の寄席には必ず東京まで行くというツワモノまでいたよ。うらやましいやらうらやましいやらうらやましいやら。

 食後、今後の落語会情報を容易に入手すべく、旅館のアカウントをLINEに追加した後は、いよいよ会場入り。

 なお私は予約が意外に早かったのか、「ほの十二番」という席でした。写真左端にチラリズムな感じで写っている孔雀の絵(遠目でしたが多分150号くらい)で、あ、ここは以前参加したパーティーの時に使われていた会場だと気づいて、ひとしきり納得。前の方参三列は畳ユニットが敷いてあって即席座布団席となっておりました。

 開演後は、まずは主催者である旅館あけぼのの若女将の挨拶。いつだったか佐賀新聞のサイトで、お父様が亡くなられた後も落語会を続けることになったという記事を読んだことがありますが、旅館を始めてから135年、落語会は35回目という類似した数字ということで、溌溂に挨拶されていました。拝見した感じ、どうもコミュ強らしいよ。コミュ障歴=年齢の私からすればうらやましい限り。

 拍手とともに始まった落語会の開口一番は柳家小太郎さん。先代の小太郎さんは真打になって別の名前を襲名されましたね。今の小太郎さんは左龍師匠のお弟子さんで、元の左ん坊さんです。演目は「鈴ヶ森」。私が見たり聴いたりした鈴ヶ森の中では、一番上品かも。他が兼好師匠とか一之輔師匠とかだからか。何分にも、白酒&権太楼の強烈個性の爆笑コンビへの誘導役ですから、印象が薄れずに済むように、もっとはっちゃけてほしかった。

 白酒師匠の演目は「百川」。つい思い出し笑いをしてしまう。録音出来ればどれだけ良かったか。百川はただでさえ似たような登場人物が多い噺なのに、源ちゃんという謎のキャラも出てくるし( *´艸`) それにしても白酒師匠は田舎のお大尽とか百兵衛とか権助――個人名ではなく三助と同じ職名――がよく似合う。後ろの席のおばちゃんたちが「変な髪型」とか「西郷さんみたい」とか要らんことをぶつぶつ言うてはりまして、白酒ファンのわしとしてはイライラしたりもしましたが、コロナ前の佐世保のかっちぇて寄席以来の生白酒ということで、満足しきりでした。そういえば最初のお辞儀の時、白酒師匠、マイクに頭をコツンとぶつけておいででしたよ。貴重な瞬間が拝めて眼福。

 その後の仲入りの時には抽選会もあり、後ろの列のご夫妻は、お二人で白酒、権太楼両師匠の色紙が当選されていました。いいなあ。どうもその頃から、最近めっきりお尻の肉が薄くなった私は、お尻が痛くて仕方なく、もぞもぞするばかり。立ち上がってストレッチしようかなあとも思いましたけど、他の人はほとんど着座したままでしたので、何も出来ずにそのまま紙切りに突入。スタッフが売り歩いていた若女将手作りアイスもちょっと食べてみたかった。でも500円は何か高いよう。高級材料を使ったものなのかなあ。

 14:45から始まった紙切りは、揺れない紙切り芸の林家楽一さん。コロナ禍の時の鈴本の中継では、切っている途中の「はぁ、疲れた」という呟きが見事にマイクに拾われていましたが、今回も何かしら囁きながら切られていましたよ。フライングでお題を出す人もいて、リズムがくるって困惑もされていたご様子。ご自身で選ばれる導入時の切り紙は「馬」。今回はOHPではなく、バッテリーにつないだトレース台をご使用。ちなみに客席から寄せられたお題は「七五三/大谷(翔平)くん/船釣り/サンタクロース」の四つ。大谷くんをリクエストされた方は思い切りフライングされてひとしきり身もだえされていましたから、採用されてよかった。問題は船釣りですよ。バリバリの方言でお題を投げるもんだから、楽一さんが理解できなくて困っていらしたではないの。この船釣りリクエストおじさんこそが、私の次に第二駐車場に停めた人で、さらに後で物議を醸すことになるのです。

 トリの権太楼師匠は、体調不良の喬太郎師匠の代演。おなじみ麦わら帽子のマクラに続けて、幾代餅を熱演されました。最初登壇された時は、足を引きずるようにしておいでで、高座に上がるのも一苦労。小太郎さんが慌てて出てきて肩を貸していましたけど、さすがに噺に入るとお元気な時の熱量そのままで演じられて、本当に拝見できてよかった。

 ただね、ここで重大事件発生。例の船釣りのおっさんがですよ、急に立ち上がって、拍手に見送られながら戻る権太楼師匠の介添えをする小太郎さんの袖を引っ張って邪魔したわけよ。内容までは聴き取れませんでしたけど、先ほどと同じく地元民以外には理解しづらい訛りを隠しもせず、小太郎さんが権太楼師匠の介助を出来なくしやがったので、私はとにかくイライラ。高座に至るわずかな段差を上るのが大変な状況であるということは、下る時はもっと大変で危険なわけよ。自分も足が悪かったとかいうようなことを言うておりましたから、察するに、早期の回復を促すために過剰な介助はすんなってことだったのかもしれませんが、そういうのは状況にもよるわけですよ。いみじくも噺家の聖域である高座でリハビリさせるなって話。力士が場所中に土俵上でリハビリしないのと同じ。何よりそこはそれを成すための場ではない上、どうしても人前ということで無理をしがち。権太楼師匠が転倒されたらどう責任を取るんだか。リスクマネジメントを徹底する上でも、座席番号から氏名を割り出して、今後は出禁にしてほしい。

 でも私も人のことは言えないんですよね。実は終演後、正面の玄関から出て第二駐車場に向かうつもりだったんだけど、ええとですね、恥 ず か し な が ら 迷 っ て 途 方 に く れ ま し た 。今日の失態も多分呪いのせい。きっとそう。なにしろ入る時は裏口からだったもんでようと自己弁護。実は方向音痴なんですよ。公衆トイレから出た後、入る前の道に戻るつもりで真逆の側に進むタイプ。わかるかな。鮭に例えるなら「ぼくが生まれた北海道の川に戻るぞー」と張り切って泳いで沖縄に着いて孤独に泣き崩れるような。時津駅でも迷って延々出られんかったんだわ。迷宮かと思った。渡辺通りのAPAホテルから博多駅に向かう道でも自分がどこにいるかわからなくなり茫然自失するくらいだし。今はスマホが案内してくれるのでそういう経験は減りましたが、まさか同じ敷地内なのにたどり着けなくなるとは思わなかった。相当恥ずかしかったけど、意を決してスタッフの人に訊いたら、親切に建物内を突っ切るショートカットで案内してくださいました。ただし失笑交じりで。表情の変化を見逃さんかったよわしは。でもそのおかげで、駐車場で若女将さんとささやかながら会話を交わすことが出来ました。もっとも私は「はい」とか「ええ」とか答えただけでしたが。コミュ障VSコミュ強の会話では、常にコミュ強の方が優勢なんよ。口惜しや。その時は「もしかして(ご贔屓は)経太郎師匠ですか?」と訊かれたため、「白酒師匠です」と答えておきました。もっとも喬太郎師匠も嫌いではないです。CDに収録されていたほっけのマクラ「焼いた方がいい」は大好き。

 帰りは帰りでナビを起動していたのにまた逆の方に走りはじめてリルートの嵐。辛い。

 余談ながら、落語会自体は楽しかったものの、楽一さん以降はもうずっとお尻が痛くて痛くてしんどかった。私程度でこれだけ大変なら、褥瘡の方ってどれだけ大変なんだろうと考えながら、もぞもぞもぞもぞしていました。近くの席の人ごめんなさい。別に人前で掻けないようなところがかゆかったわけではないです。お尻が痛かったの、ひたすら。事前の準備を怠ったことを反省しております。痛みがなければもっと集中できたと思うので、次回はクッション持参で臨まねば。基本どの落語会にもクッションを持ち込むことにしよう。次回はどんな噺が聴けるのか楽しみで仕方ない。

※うわー12/8のかっちぇて、菊之丞師匠だ。行きたいけど佐世保までの運転がひたすら億劫。電車で行こうかな。ただ、かっちぇてって、落語会の終わりに次回の予約をするという難儀なシステムなので、後からの電話申し込みが難しいんですよ。にべもなく「もう満席」とか言われる。だから一時は興味がない噺家さんの回であっても、観覧後に必ず予約していました。さすがに今回はあきらめようか……。

リバティで人権啓発落語会が開催されるんだって。人権啓発と聞いてはだまっていられない。しかも完全無料なので早速申し込み。演者は笑福亭鶴笑師匠です。参加出来るといいな。こちらは12/7。良かった、お火たきの特産品まつりと重なりますけど、今年は当番ではないんだわ。

※今日も疲れたから踏み台昇降は軽く流す程度で。

 

他にもあった

 NDLでシンプルに「ストレッチ編」で検索をしたところ、他にも収蔵図書館見つかりました。何やっとん私と一瞬自分を責めましたけど、タイトルの入力形式が違うのか。

 関連書籍を含めると

  • 新しい手あみストレッチ編 入門編(長崎県立長崎図書館。ただしこれは抜粋本の方)
  • ストレッチ編 : 新しい手あみ(滋賀県立図書館。ヴォーグ社版)
  • ストレッチ編 : 新しい手あみ(東京都立中央図書館。ヴォーグ社版)
  • 新しい手あみストレッチ編(昭和女子大図書館。ヴォーグ社版)
  • ストレッチ編の花形クッション特集 : 世界に類のない手あみ(長崎県立長崎図書館。やるやないの。私はすでに持っていますけど、基礎的なことは書かれていないため、編み方が解っていないと無用の長物です)
  • 手あみ模様大全集 第8(名古屋市図書館)
  • アフガン編と新しい技法 : アフガン編・ストレッチ編・ミニ編・ラブ編(上の本と同じ「手編み模様大全集8。広島市立中央図書館)

 最後の「手編み模様大全集」が気になる。問い合わせは各図書館までお願いいたします。多分図書館の人に訊けば調べてもらえるだろうし、複写依頼のことも教えてもらえると思うよ。

もしや……

 調べた限りでは昭和女子大図書館にしか収蔵されていないらしい、(※他にもありました)ストレッチ編みの古い本(抜粋版ではない激レアさんの方)を読んでいて、一つ気付いたことが。もしかしたら、葉っぱや唐草のような編み方って……混合模様の68番にヒントがあるのかも。写真の通りぐおんぐおん波打っています

日本ヴォーグ社「新しい手あみ ストレッチ編」P68より引用。

 非常にどうでもいいことですが、左の人、林家あずみさんみたい。同P84より引用。

 私の一押しデザインはこれ。同P54より引用。別に褒めてはいませんよ。単体だと某ゴキみたいですけど、技術とセンスのある人なら、ロリィタファッションの人たちのパニエにひょいっと被せて、それなりに見せられそう。

 この本は我々ストレッチ編み独学独習勢には貴重過ぎて、裁断してスキャンする気にはなかなかなれない。

 九州だと福岡でもストレッチ編みは学べるそうです。佐賀県内はあいにくわからない。私が昨日ちのっぷすさんから頂いた案内葉書によると、怡土(いと、と読むらしい)コミュニティセンターでも第一第三土曜日にストレッチ編みを勉強できるサークルが開催されているとか。多分サークル一覧の怡土あみあみクラブ。オカリナサークルもありますね。ストレッチ編みの教室がどこにあるかわからんで困るようという近隣の市町村の方は、問い合わせて見学されるとよろしかろう。我らが鹿島錦保存会も会員募集中やで。

※数十年前、ほとんど没交渉の高松の親戚の家に行った時、どこかの橋の上で二人組のおばちゃんとすれ違いました。多分五十代から六十代くらいかな。一人は柔らかめのピンク、一人はスカイブルーのフリフリのロリィタファッションで、ラタンの籠の付いたアンティーク風の乳母車を押しながらお互いに「ざますわねえ」と会話しながら歩いていらして、子ども心に「香川すげえ」と感嘆したものですが、今にして思えばあれはコスプレやったんかな。

※鹿島錦を始める数年前に、一人旅として泊りがけで出かけた門司港。公益財団法人出光佐三記念美術館を見学した後、街を散策していて、私の後ろを若い男女二人がいちゃいちゃしながら歩いているのに気づきました。カーブミラーなどを利用して確認したところ、彼女さんはセーラー服のコスプレにオレンジのウィッグといういささか奇抜なファッション。興味深いとチラ見しながらも、気づかれないように心を砕いて距離を取っていたら、門司の高校生二人組が自転車ですれ違いざま、その子に「コスプレダッセー」と暴言を吐いて通りすぎやがりました。私は唖然として「何言ってんだこいつ」と思いつつも、彼女さんが傷ついていないか心配したんだけど、その子は高校生を追いかけようとした彼氏さんを引き留めて、「大丈夫だよ。負けないから」と答えていて、その気丈さに心の中で拍手をした次第。本音はどうだったかわからないにしても、他人をあざける高校生より、よほど立派。

弥生時代の織りの道具は見たことがありますが

 縄文時代のは、果たしてどんな形なんだろうと思って検索したら「あんぎん」という布に出会えました。

 検索のきっかけはこの動画。有名な方なので存じ上げてはいましたけれど、拝見するのは今日が初めて。落ち着いた編集でいいですね。最初から観ようかな。集団でバカ騒ぎするだけのYoutubeチャンネルには興味がないんよ、わしは。

何か体調が整わないなと思っていたら

 昨日と今日と、朝の薬を続けて飲み忘れていたのでした。きっと飲もうと決めていたのに、夜気付いたら食卓の上に転がっているもんでよう。どうしようと思ったわいな。それで体調が今一つだったのか。縄文時代ならいつ亡くなってもおかしくないお年頃ですからね。さもありなん。

 果たして二日続けてのうっかりさんの余波なのか、今日も今日とてなんか怠いと思いつつ、BCP策定等に係るニーズ調査にオンラインで回答。いい機会だから自由記入のところに色々書いたったわ。今日はサービス情報公表調査に関する通知も届いていました。あれも結構入力と確認が大変なんですよ。現行の情報公表は自己申告制なので無料ですが、昔は調査に金までむしり取られておりました。押しつけがましく勝手に始めたくせに、ですよ。しかも大規模な施設と同じ金額。腹立たしいことこの上ない。

 ざっと今年の調査項目を見てみたら、BCPと虐待防止委員会、それから生産性向上のための取り組み、会計書類の公開が増えていましたね。知ってはいたけど、増やした分だけ、おおよそあって当然の書類に関する項目は出来るだけ減らしてほしいと願うばかり。切に。

 仕事の傍ら、明日の落語会のために、旅館あけぼのへのルートもGoogleマップから高齢者向け格安スマホに送信したし、準備万端。旅館のお弁当も楽しみだ。ベジファーストでいくでよ。

 そういえば明後日の鹿島錦教室には、佐賀大学の石井先生と学生さんが見学に見えるそうです。もしかしたら火曜日と合同開催? 文章以外ではガチのコミュ障の私は、その日はあいにくというか幸いというか仕事になっていますが、よくわからぬままに昼休みにちょっとだけ抜けて届け物をする予定。最低二十分はルーティンのお昼寝をしないと、夕方以降疲れるんだけどね。

人にあげられるものを作ろうかな

 文化祭続き。かつては大先生が、そうして今回はA先生が、来場者の中に知り合いがいたらすぐ渡せるように、ストラップやピンブローチをいくつも持参されていました。「いいなあ。それでわしの分は( ゚Д゚)」と思ったかどうかは秘密。今回は結構な数(私基準)の知り合いに遭遇しましたからね。出来れば何かしら差し上げたかった。実用的な物を渡して、実際に使っているところを、鹿島錦を知らない人たちに、大上段から「ほらご覧」と見せびらかしてもらいたかった。もったいないは世界の言葉ということで、小さいサイズの端切れも有効活用出来るものだとなおよしですよね。SDGsの精神で。自然のダンジョン群馬佐賀の頭文字でしたか。佐賀県民はいつもいつでも群馬の味方ですよ。うざいって言われても付いていくでよ。

 ボールペンに関しては、マダム達がキャッキャウフフて制作談義をされる中、替え芯がないとわしは困るようということで二の足を踏んでいましたんですよ。替え芯があるなら作って一歳児並みのプレゼント攻撃してもいいかな。検索したらすぐ見つかったわいな。

 まあ、佐賀錦の方からは「鹿島錦が真似した」と言われるかもしれないけど、そこそこ検索魔のわしは何年も前に見つけて買っているので大目に見てほしいところ。もっと早く作っておけば良かったなあとしみじみ思います。なんで今それで作らないかって? 家の中のどこを探してもねえんだわ。辛い。

 今職場の食材注文の傍ら密林検索をしていますが、着せ替えボールペンもあるんやね。上から下まで貫く感じの。ただ、錦の厚みで綺麗に入るかどうかは不明。見た感じかさばりそう。ところで、一本219円で買えるちょっと手の込んだものを、10本で5,000円近くで売っている人がいるんですけど、どういうこと?

※似て非なるビーズペンキットにはメタルペンシルバージョンがありました。書いても書いても全然芯が減らない最先端の鉛筆。いいなあ。ボールペンより使い勝手いいかも。

※本体の色が自分で選べる、この7本セットを買ってみます。トップに貼り付ける専用のビジューもあるらしいけど、ボールペンにまでビジューは求めないかな――と言いながら、ブルー系のジュエルキャップを見て欣喜雀躍。

※この間書いた通り、無彩色の方がどんな色にも合わせやすいんですよね。たからマット加工のシルバーかブラックを買う予定。

そういえばですよ

 今日小学校からの同級生のT子さんが怖いこと言うてはりましたよ。何でも先日、目から血が出たんだって。意識が飛ぶほどおびただしい量かどうかは不明。嘉門達夫の名曲「鼻から牛乳」ばりに恐怖のズンドコですよ、話を聞いただけで。

 私の目からも加齢の影響で何かが出るなら、是非木工用ボンドを希望。鼻から両面テープ、口から足りない絹糸が出れば多分最強。

 さて、肝心の鹿島錦の件。あぐりの糸を使いきるため、今と同じ配色で何か簡単な図案で織りたいのですが、どれにすればいいのやら。偶数目はしばらく見たくもないので、ベーシックな3-3の図案をどれか選びます。基礎図案でもいいかな。ただし鹿子市松以外。

 とりあえず今夜は「イクラちゃん入浴剤は何が好きですかー」「ばぶー」ということで、バブのお風呂にゆっくり浸かって骨休め。仕事と踏み台昇降は明日から再開ということで、安眠目指してストレッチに専念します。

 明後日の旅館あけぼのでの落語会が楽しみで仕方ない。

※落語で思い出した。M田君夫妻とは落語会の時にニアミスしていました。

※手術済地域猫のおぐらさんは、昼や夕方の食事時には自分からお腹を撫でさせてくれますが、朝方は「とにかく餌」の姿勢を崩さない意志の強いお子です。そんなことより今日みたいに荷物を両手に持ってひーひー言いながら帰宅した時に足元にまとわりついて、腹を撫でろ攻撃をかますのは勘弁してもらいたい。

ここはどこ?

 タワシはどれ?――とまあ、どんな言葉をどう選べばよいかすらおぼつかないほど思考が鈍って仕方がないですけれど、鹿島市の文化祭、本日無事終了いたしました。疲れた。

 昨日も今日も実演担当だったんですが、昨日織りすぎて帰宅後頭がくらくらしましたから、今日は控えめに頑張った次第。行きしなに浜三角のセブンでA先生に頼まれた紙パックの牛乳とサンドイッチを調達し、会場入りしたのが9時30分過ぎ。係のOさんが先に見えていたので、挨拶をして、展示品の数を確認もせんとひたすら撮影。なんせ昨日カメラを忘れていたもんでよう。スマホで撮ってもいいんですけど、私のスマホは一万円ちょっとの高齢者向けシンプルスマホなもので、カメラ機能はおまけ程度なんだわ。まあおぐらさんくらいなら普通に撮れるとはいえ、正直画質は昔のコンデジレベル。最近のハイエンド機種とは比べ物になりません。それで充分日常の用が足りている私って何と思わないこともない。

 撮影後は織り台に向かって乱れ始めた銀の経紙をしばらく眺め、なんかもう織りたくねえという気持ちをぐっとこらえ、ちまちまと拾って糸を通して押さえてとやっておりました。でもね、今日はですね、自分で編んだセーターを着て行ったんですけど、「鹿島錦すごいですねえ」と声を掛けてくださった方が五人くらいなのに対し、「セーターいいですねえ」の方が鹿島錦の会員含め十人以上だったんですよ。

 どないなん。

 でも午前中にA先生のお知り合いのEさんと一緒にいらしたちのっぷすさんのお召しになっていたトルコ綿のカーディガンの素晴らしさに比べたら、私のセーターなど、本当月とすっぽんでございました。もともとストレッチ編みの先生が編まれたものなのに、7,000円という破格のお値段。さすが講師認定された方よのうと感嘆しつつ、不審者レベルでじっくり袖も背中も脇の処理も観察したはいいものの、編む順序がさっぱりわからない。ところどころわかる部分はあるにしても、全体の進行がわからなきゃ編めないしようということで、要研究なのです。ちのっぷすさんからは、糸島で定期開催されているストレッチ編みの教室の案内状を、お菓子&長崎くんちのポストカードと一緒に頂きましたので、人生が一段落したら勉強に行きたいなあ。

 Eさんが同級生のA先生と歓談されている間、ちのっぷすさんとお茶を頂きに和室に赴くと、なんとそこでは撮影中。途中眼鏡を忘れたことに気付いて取りに戻ったりもしつつ、ドキをムネムネさせて待った後、案内されるがまま中にお邪魔すると、y-chiさんがお茶をたててくださいました。親戚が長年お茶をやっていた関係で、小学生の頃に作法を教わったはずなのですが、表か裏かもわからぬまま、それらの知識は忘却の彼方。嗚呼、泡をいっぱい茶碗に残してしまったと反省しつつ鹿島錦の展示に戻り、ちのっぷすさんご一行が帰路につかれた後は、昨日の約束を果たさんと、S先生の作品を拝見に3Fの美術展に。鹿島美術人協会の展示はてっきり生活工房だと思っていたら、ローテーションになっているんですかね、今年は奥の研修室の方でした。とりあえず書道の方にご挨拶がてら見学し、流麗な書に感嘆していたら、想定外にもセーターを褒められたりもして。適当に編んでいるだけなのにと気恥ずかしく感じつつも、「これでもくらえ!!」と言わんばかりに鹿島錦の宣伝。早速「観に行きます」っておっしゃってくださったので、良かった。

 書道は2グループが出品されているようで、1グループの方には町内のWさん、別グループの方に、今回鹿島錦の方には未出品のOさんと、栄町のMさんご夫妻。あいにく書の良し悪しはさっぱりで、すごいなあとしか感想の書きようがないのが辛い。

 以前人権研修だの雇用管理研修だのを受講した研修室には、過去私が展示にお邪魔した時はいつもご不在でいらしたS先生が今回はいらしたので、先日に続いてご挨拶。最近は150号のキャンバスにお描きだそうだよ。展示してあった40号くらいある絵でも「こりゃエスキース」と平然とおっしゃってて、驚いたわけですよ、私は。後期高齢者になりたてほやほやの現在、悠々自適に創作活動に専念していらっしゃる模様。うらやましい。ちなみに現在佐賀の支援学級で美術教師をやっている同期のK君は、仕事以外では絵を全く描いていないらしいよ。あかんやつ、それ。中学の時の担任のS田先生は時々発表されているのだとか。金子先生の絵も展示してありましたし、下村先生の象さんも相変わらず可愛いかったです。

 S先生からポストカードやバンドネオンの演奏会のチラシをいただいて錦の方に戻って、ちょこちょこ実演をした後は、A先生と食事。今回はきちんとスリッパに履き替えたでー。いろいろと大先生との裏話などを拝聴出来て楽しかったです。今先生の過去の作品を県や市や祐徳博物館に寄贈するという話が水面下で進んでいるみたいです。それに関する話もいろいろうかがいました。

 マダム会員最高齢(多分)とメンズ会員最高齢(確実)の二人でしたたか世間話をした後展示会場に向かうと、椅子のところに何やら見慣れたシルエット。織りの体験のところにもお一人座っていらして、体験されている方がいるーと嬉々として近づいてみたら、びっくり、鹿島市会議員のM田君とT子さんでした。二人とも同級生同士で結ばれたというのは風の噂――嘘。近所のおばちゃん経由――で知っていたのですけど、どうもピンと来なかった私は、「なんで(二人で)結婚したん?」などとぶしつけ丸出しの質問をしてしまいました。ひどい質問だよなあと自分でも思います。ごめん、言葉を選ぶより好奇心の方が勝ったんやわ。まあ、はぐらかされた回答に、人生いろいろあるんだなあという印象を受けたわけですよ。私もこれまでの人生ありすぎるほどいろいろあったので、詳しくは訊かんよ。訊きたいけど。

 ちょうど同じ時間に絶賛休会中のH先生もいらして、話をしていたら3FのS先生のご近所さんなんだそうな。なんかその空間だけ鹿島錦の故郷である鹿島高校を切り取ったような雰囲気になりました。

 そんなこんなで、昨日に比べて来場者は少なかったですけど、私的には妙に濃密。知恵熱出そう。昔織っていらしたという方もちらほらいらして、中には、なんと大先生と同期の方も。当然参加された年齢がお若かったんでしょうけど、鹿島錦保存会の前身、鹿島錦教室における伝説のまな板時代(註・板機の頃)をご存じの方が「頑張ってねー」と励ましてくださって、恐縮しきりでした。

 長いようで短かった文化祭は、16:00には即座に幕引き。時刻が変わった瞬間にエイブル中で片付け開始。自分の分は小物ばかりなので適当に箱に放り込んで、立つ鳥跡を濁さずよのうと、壁の下げ額などを取り外す中、ちょっとした事件が起きました。ありうべからざることですよ。べからざる祭りですよ。テープでパネルに直貼りしてあったIさんの織布、上の端の和紙の部分を「びりっ」て破いてしもたんよ、わし(´;ω;`) ひー。怖くて怖くて「もう触らん」ということで、その場を離れて、御当人に謝罪し、後は一切お任せいたしました。

 昨日と今日でしたたか織ったのと、私が花菱を織るといつもそうなるのですけど、ちょっと経紙が乱れ放題に乱れてきたので、いったん平織りを入れて、別の簡単な模様を織ることにします。もともと保険証入れを作りたくて織り始めた今の織り、サイズ的に作れるかなあ。まあ、幅はさほど乱れていないので、経紙が乱れるのは、多分押さえ方の問題でしょうね。緯糸同士の干渉をうまく扱えない。まだ何かしらコツがあるはず。ただ、今の銀は出来るだけ早く終わらせたいから、糸を掛けようかな。成人式の記念品の材料の受け取り以外では今年は教室には行けないため、その間に織りあげて次の経紙を立てるのも手。連続した花菱は拾うのも面倒だし、綺麗に織るのも難しい。名刺入れサイズならともかく、今のわしの手には負えん。次は木目込み用の鹿子にします。

 製作体験に挑戦してくださった皆様はじめ、ご来場くださいました皆様、M田君とT子さんご夫妻やちのっぷすさん、Eさん、S先生、まことにありがとうございました。次回12月の鹿島特産品まつり、それから春の作品展もよろしくお願い申し上げます。

※反省会の時は、H先生の差し入れのシュークリーム、本当は昨日別のお菓子を頂戴した私はいただいてはいけなかったんですが、父の同級生のKさんからもろたよ。