揚げ物のファミリーパックだとぅ

 さらなる「だとぅ」投下。昨日町内のスーパーの総菜コーナーを覗いたら、平均年齢69歳の三人家族ではとても買う気になれない、見ただけで胸焼けしてしまうような揚げ物尽くしのファミリーパックばかりが鎮座ましましておりました。唖然。おかずを作るのも面倒なくらい疲れていたため、ほんならレタス巻でも食べようかいと寿司コーナーに向かったら、こちらは全部売り切れていて愕然。ちなみに寿司もこの時期はことごとくファミリーパック化してしまう哀しさよ。小さく分けたものをたくさん買った方が、衛生面でも格段にええやないのと思うんですけどね。私が思うだけでスーパー側はそうは思わないのでしょう、きっと。スーパーめー。

 幸い揚げ物パラダイスに追いやられる感じで、お盆限定の根菜等の煮物がありましたので、そちらをチョイス。レンコンやシイタケやタケノコの含め煮の実に美味しいことよ。ひしひしと寄る年波を覚えた次第。

※時間が経過しすぎてそのまま食べるのはためらわれる握り寿司、私の場合はシャリを洗ってからネタと一緒に沸騰した出汁の中に放り込んで、溶き卵を入れて、雑炊にして食べます。まあ傷みがひどい時は捨てるが吉。

だとぅ大賞2024ノミネート

 kindle unlimitedをお勧めしない理由というネット記事を読んで、脊髄反射で「何だとぅ」とのけぞってしまいました。もちろん一方的なネガキャンではなく、登録上の利点もきちんと併記してあるのですが、kindle unlimited以外のサブスクで元を取ったことがない私からすれば、キンアミはひたすら神。

 きっと、どんなジャンルの本を読むかが分水嶺になるんでしょう。私のように健康本と料理本と手芸本を連日漁り続ける人間からすれば、デジタルコレクションとともに、それこそ際限なしに楽しめるわけで。編み物の本に限っても、ここ数ヶ月で何十冊も読んでおります。ろくに編めないのに。

 unlimited以外でも、購入するのはすぐ裁断してスキャン出来る古書や電子書籍ばかりになり、すっかり図書館&リアル書店派からは脱却したかなあ。入手困難な時代がかった紙の本はたいがいデジコレさんで見つかるわけですよ、最近は。だいたい図書館から借りると返しに行くのが面倒でよう。

 手芸本をしこたま読みたいなら無条件にお勧めします。ただし、固定レイアウト――というより、ページを丸ごと画像にした本が圧倒的に多いので、大き目のタブレットやPCでないと読みづらいかも。わしは無条件にPC派やで。

精霊流しにも行かんと

 爆睡しておりました。昼に脳を使いすぎたからでしょうか。夕方以降猛烈な眠気がして数時間寝て、入浴のためにのこのこ起きて来たわけですが、眠い。とても。

 日課の踏み台昇降も、30分やるのが無理なので、軽く流す程度に。間食にビッグどら焼きを2個食べた分のカロリーは絶対消化できていないはずですが、今夜ばかりは仕方ない。

 それにしても何だこの眠気。年に一度の精霊流しもさぼってしまった。

※欠伸指南にも行かずに済むレベルで眠い。

織り台と編物セットを片付ける

 月末まで別のことに専念したいので、それぞれいったん片付けてスイスイスーで作業をいたします。詳細は秘密。秘密主義者なので秘密。

 ついこの間まで、無理、今年はもう無理と青息吐息の状態だったのに、世の中わからん。まさに塞翁が馬ですね。

 関連情報はことごとく秘密。

お袋とはなんぞや

 母親のことをお袋と呼ぶ人たちは、きっとカンガルーの親戚に違いないと心の底から信じております。先祖は有袋類のはず。親父はわかるけど親母ではなくお袋って何で?――とかSNSに書くと、必ずネット上にしこたまいる教えたがり屋さんがわらわらと寄ってくるのですが、ここは私のテリトリーなのでそんなことはさせてやんない。知りたいことがあったら検索するという手順が定着してもう久しいわけですから、クエスチョンマークがついていても本当に知りたがっているとは限らんのよ。レトリックに過ぎないことが大半。いちいち反応しないのが人として正しい姿勢というものです。これがネット黎明期なら半年ROMれとか言われたもんよ。

 染料の動画を紹介し忘れていたことを誤魔化したりはしていませんよ。

偶然とは、げに面白し

 昨日ざっと読んだ中江八束氏の本の続き。今朝息子さんにばったり遭遇して、お供え用にと、お菓子を頂戴した次第。普段は大阪府立大で教授をされているんですよ。ご専門は多分ルネサンス美術。名前をイニシャルにした方がいいのかどうか迷いますが、まあ、普通にメディアにお名前が出ている方ですからそのままで。←大先生方式。

 実は教授先生、ガチ農家の伯父の友人だったり。

※パーツがちょっとずつ出揃ってきたかな。

何かがかちっとはまりそう

 何のことだかわからないでしょう。いいんです、私だけがわかれば。

 もう明日は14日だし、今年は無理かなあと半ばあきらめていたことがあるのですが、何か間に合いそうな気になってきた。もうちょっと思考をまとめないと。

 他に必要なのはカフェインブースト。

※ほんのちょっとだけ進んだでー。

おおお、ひいじいさんの名前がある

 中江八束氏の「ミカンの花の匂う丘」をざっと読みました。試しにお名前で検索をしたら、被爆体験を語られたりもなさっていて、私の知らないことばかり。本の中では、あまりにもむごすぎるということで、途中で記述をやめられています。写真の中の中江のおばあちゃんもお若い。それにしても、こちらに引っ越してこられたきっかけが原爆だっただなんて……。

 本文中に、うちのひいじいさんの名前もあったで。

 装丁がパパ鈴田先生だったのは、中江のおじいちゃんとお知り合いだったからだそうな。挿絵も描いていらっしゃいます。時間が取れる時にじっくり読もうっと。

同窓会行かなさすぎ問題

 別に喫緊の課題というわけではないんですが

  • 高校二年の時の担任の先生が誰だったか思い出せない
  • 自分が第何回の卒業なのかわからない

という、ある種記憶障害めいた現実に戸惑うばかりのお年頃でございます。中一の頃に「風の名はアムネジア」って本を読んだことがあるのですが、まさにそんな具合。

 高校一年の時の担任は途中で変わったんですよね。最初の担任は、今では長崎国際大学の教授をされているのだとか。三年の時の担任も覚えているのに、二年の時の担任だけ記憶から完全に欠落している不思議。誰だっけ。冗談抜きで思い出せん。

 何を隠そう、自分の卒業年度に関してもうろ覚えだったりします。入学年度が平成元年でしたので、多分平成三年度、暦の上では平成四年の卒業となるはずですが、これって何回の卒業なん? 四十回台でいいの?

 蛇足ながら、私のところに同窓会やクラス会の案内が届いたのは、実は過去に二回だけ。卒業後すぐのクラス会と、鹿島錦を始めたばかりの頃の同窓会の通知のみ。それ以外は一切連絡がなかったので、まあ別に今更行かんでええやろという姿勢でおります。そのせいでしょうね、当時の記憶がどんどん人生から剥離しているのは。まあ、会わなければいけない人には会っているし、別に現状不都合はないため、一生思い出せないままかもしれない。

 同級生の中から、果たして私以外に鹿島錦を始める人は出るのかなあと、個人的にはそちらの方が気になります。入会後は私のために寸暇を惜しんで図案を描いてほしい。ご褒美に角砂糖あげるよ角砂糖。仕事をしながら続けられる人間なんてごく少数でしょうし、定年を迎えてからでもええんやで。

※京都の人に言わせれば、婉曲的な表現をするのは京都人の優しさゆえらしいよ。

これは鍋島更紗?

 昔の佐賀県議員さんの本を、山口一生現太良町会議員が紹介してらっさるのですが、表紙がすこぶる気になった次第。多分装丁に使われている写真は鍋島更紗で間違いない。年代的にパパ鈴田先生の方でしょうか。今は現人間国宝のサン鈴田先生だけでなく、孫鈴田氏も更紗の制作をされているらしいです。続け、脈々と。

 ちなみにこちらの本はうちにもあるので――出版時に御本人より頂いた( *´艸`)――確認がてら読んでみようかな。