つまようじでピコットが出来る

 シャトルを使わずに、マクラメボード&タッチング結びでタティングレースもどきを作りたがってやまないあなたに、とっておきのお知らせ。ピコットはつまようじをぶっ挿せば同じ大きさで出来ます。本数で調整すべし。マステでくっつけて何種類か作っておけば幸せに。相変わらず掟破りの右タッチング結び(通常のタティングレースは左タッチング結びに相当)ですし、目を数えてすらいなくて雑ですが、とりあえず何か挿しときゃピコットが作れることは確認。マクラメの延長として、他の結び方と組み合わせたりもしたいので、モチーフの練習はまた後日。わしゃ寒色系の糸でいろいろ作りたいんじゃ。

 糸替えも絶対マクラメ風にやる方がやりやすいと思うんですけどね。別々の色で一つのカーブを簡単に結んだりできるのに。多分シャトルを使うメリットは、場所を取らないということと、手早く連続して結びが出来るという部分以外には、ないのでは。

 さて、鹿島錦。まだテストであぐりに巻いた分が残っていますが、古デジカメを引っ張りだしたので、ついでに撮影。わかりますかね。グリーンの糸の上、薄いブルーを入れているんですけれど、目視では生成りとほとんど見分けがつかない。とりあえずもう少し織って様子を見ます。

※目を詰める上下が逆だから右タッチング結びでいいんだ!! シャトル操作で目のうつしをしないでそのまま左芯紐で結べば、左タッチングになるのか。なるほど。右利きの私にとっては、いよいよマクラメの方が簡単にできるやないかい。

新しい色を試してみたくて

 中古糸のコレクションの中から今まで使ったことがない色を引っ張り出して新しく今織っている模様に挿してみたのですけど古い糸だから発色がよくないのかあるいは単に彩度が薄すぎるのか新しく古い糸を挿した割には隣の生成りと大差ないという結果にあいなりました。

 矛盾する表現を作為的に並べることで、私が覚えた困惑を可能な限り皆様にお伝え申し上げたいという気持ち、無事に届いていますか。届け、皆さんのところに。百聞は一見に如かずということで、とりあえずあぐりに巻いた分だけでも織り終わったら、写真撮ります。

 11日は今年最初の鹿島錦初心者教室やで。25日は総会のため、通常の教室はございません。25日に見学あるいは入会を考慮されている方、出来れば別の機会に。

タティングレースのシャトル操作に絶望した人に朗報です

 それはそう、誰あろう私のこと。まあ行ってらっしゃい戻ってらっしゃいのシャトルの運びは別に問題ないんですけど、結び目を移すという行為がマクラメ族の私としては許せない。それはマクラメの世界では間違いなく失敗だから。苦々しい想いをたくさんしてきたから。だって結び紐だと思ったものが芯紐になるんですよ。左右結びとはまた違う形で。輪結びになると「間違っています」だし。輪結びに生存の権利を!! 輪結びさんを排除するなんてまずもってありえんと、憤おろしい想いを抱えたまま生きていくのは嫌なので、代替策で試作。タティングニードルという方法も考えましたが、どうも調べた限りではもっさりとした仕上がりになるという話なので、 力 業 で 糸 同 士 を マ ク ラ メ ボ ー ド 上 で 結 び ま し た 。100均のレース糸使用。人はこれを普通のタッチング結びという。古巣で安心感に包まれた次第。適当に結んで芯紐を引っ張ってループを作ってみたでー。ここまではお茶の子サイサイやでー。ただしこの後の処理の仕方は不明。やはり処理液を買わんといかんやろか。伝家の宝刀木工用ボンドじゃダメ?

 マクラメ的に考えると、タティングレースの基本は左タッチング結び。結び図通りに作りたいなら、右芯左結び紐で左タッチングを延々なさるとおそらくよろしかろう。私は右タッチングの方が圧倒的に得意なので逆にします。大丈夫大丈夫。気づかない気づかない。誰も細部なんて見ない。そうでしょキャンディ。ずっこずっこず。

 なんちゃってタティングレースを取り入れることで、マクラメのバリエーションも一気に広がりそう。まあ、効率的にタティングをやるならシャトルを使った方法を極めるのが確実なのでしょうが、私はポイントにちょっとしたタティング風の飾りが欲しいだけで、壮大なドイリー沼にはまりたいとは思わないので、これでよしとします。結び始めは仮結びにした方が、多分後で処理しやすい。今回試しに一結びでやったら解くのが大変でした。

※これを佐賀錦糸でやる人って、精神的な闇を抱えていそうなんですけど大丈夫ですか。まあ太糸以上ならいけるかなあという印象。シャトル使いなら楽勝なんだろうか。中古糸コレクションの中に、確か紙巻の太糸が何枚かあったはずなので、暇な時に確認してみます。

※ニードルは逆に結び紐の誘導に使った方がよさそう。

※マクラメとは目を詰める上下が逆=結びの天地が逆=右タッチング結びでよかったんでした。

リサショへ

 湯江のDAISOと諫早のACBをはしご。今日は初心者向けのかぎ針の本(110円)、どれで3つで550円の陶磁器コーナーから、ヤーンボウルによさそうな箸立てと渋い感じの陶器のマグカップ、それからトレイ代わりの器(花器?)を調達。箸立ては家に帰って内側をよく見たら欠けていましたが、まあ、毛糸玉の転がり防止のために入れるだけなので別に問題はなし。

 一緒に行った母はティーカップを3客と事務用品などを買っていました。

 我ながら実にサスティナブル。考えてみれば江戸自体の日本ほどサスティナブルな社会は珍しいかも。希薄な人権感覚とか、虐待の多さとか、いろいろと問題の多い時代ではありましたが、見倣うべき点も多いような。

 リサショ=昔の道具屋。

似て非なるものでした

 金曜日は、結局三度の静電気攻撃を受けて肩の痛みがぶり返した次第。手芸三昧だった土曜日、いい機会とばかりに、錦を数段で切り上げて、肩を上げずに作業出来るタティングレースにチャレンジ――したはいいものの、日付が変わって日曜日になるまで奮闘して、ようやく気付きました。マクラメと同じ結び方なだけに、かえって混乱するということに。

「結び方ならわかるし」と、シャトル操作の動画を最初ざっと観てから早速チャレンジ。時間を忘れて熱中して、不慣れながらもタティングの糸の持ち方で延々とタッチング結びが出来るようになったんですが、何か違うわけよ。タッチングで結んだ場合、ピンや針で固定しない限り、芯紐が結び紐の影響でゆるやかな曲線を描いていくのですけど、どう見ても逆なんよ。その曲線が。

「ん?」と不思議に思って再度動画を観なおしたところ、おージーザス、マクラメだと芯と結びの糸ははっきり分かれているのに、タティングの場合、シャトルで巻いてそれを移動させて間接的に結んでいくのですね。わしはてっきりシャトルの方を結び紐にするのだとばかり。

 結びの構造は同じでも、一度結び紐の方を芯紐にしてシャトルで結び、続けて芯紐を弛めてシャトル側の紐をピンと張り、目を移動させないといけないことを知り、愕然。

 なんでそんな面倒なことをせにゃならぬとブチ切れて、タティングから撤退。最初からシャトル側の糸を芯にして逆のタッチングで結んだ方が早いやんけ。←マクラメ的発想。

※いろいろ試してマクラメ的な手順で結んでも簡単なタティングなら造作もなく出来ることがわかったので、タティングのやり方は捨て、同じモチーフをマクラメで結ぶように鞍替え。わしは何もタティングを極めたいわけではないのよ。あくまでも錦の飾りにしたいだけ。シャトルは便利だからそのまま使う。左利きの人は、多分目の移動をせずにそのまま結べる模様。

※昔のマクラメの本は面白すぎる。七宝結びでプルオーバーが出来るんだってさ。

試しにメルカリで検索

 フェリシモの「きほんのき」のキットをメルカリで検索したら、かぎ針編みのものも結構ありました。この間から私が始めたコースの編み図もまとめて販売されていて、どうしようかなと悩みましたけど、フェリシモの業績が心配で――嘘――そのまま次回の配送を待つことに。

 多分、この手のものは自分できちんとお金を払わないと続かないような気がする。巧拙は抜きにしても、鹿島錦も六年以上続けてこられたんだから、編物も相応に継続できるとは思いますけど、多分動機付けにはいいよね、正規の料金を払った結果生じる崇高なもったいない精神。もったいないは世界の言葉。それとシステムがよろしい。実は他社のマクラメ講座の時は、一度にすべてのキットが届いて、順番を守るよりまず作りたいものを作りがちな私は、何からどう手を付ければよいか適切な判断が出来ず、その場その場で誘惑にかられ、結局あれもやりたいこれもやりたい、だけど時間は全然ないという状況の中、添削用の課題を一つも出すこともなく受講可能期間を終えてしまいました。これまで何度か通信教育を受講してた中では、義務感で終了までこぎつけた社会福祉主事以外は常に同じパターン。そんな状況なのに時々申し込むもんだから、いい加減学べや私と呆れることしきり。もっともマクラメに関しては、何種類か結べるようになったから、まだましな方。次点は笛っ子ながら挑戦したポピュラーピアノ。途中までは順調に進みました。でも飽きて放置。今はもう全然弾けねえ。昔あったYAMAHAのオンラインオカリナ講座は、逆に、笛っ子が過ぎて、音程を気にせず一人で遊び吹きする程度なら練習の必要は一切なくて、逆の意味で撃沈。基本耳コピの人生で、ソルフェージュは初歩からすでに苦痛でサイトをそっ閉じ。一方きほんのきは「これだけやで」というシンプルなキットが月に一度届くだけですので、その月はとりあえずそれに専念すれば事足りる。私向きかも。

 最後には毎月作ったモチーフをつなげてブランケットなどを制作するらしいのですけど、とにかく毛糸の色が気に食わないので、付属の糸はすべて練習用とします。純毛らしいから、編んだら即座にフエルトにするための保管箱にポイ。いずれミシンを始める時の練習&遊びの材料にします。もっと上達してから改めて、自分の好きな色で指定の枚数のモチーフを編めばいいや。別に指示を守らなかったからって、無慈悲にむち打ちにされるわけでなし。いちいち「最初の鎖編みが編めたらアイロンを当てて付属のシートにサンプルとして貼りましょう」なんてやっていられない。

※実は初めてのPCも通信教育で入手。当時はまだWindows95の操作とofficeの基本が包括的に学べるパソコン講座なるものがユーキャンにありました。専門的なプログラムとかじゃないよ。単なる操作方法。別のJava講座は速攻つまずいて今に至ります。当時大学を中退した後のモラトリアム期間中で、ローンが組めなかったし組む気もなかったため、通信教育の分割払いを利用したという寸法。あれからもう27年とは(‘Д’)

激痛が

 久しぶりに静電気。腕を反射的に引いた瞬間、肩に激痛。またしばらく身動きできない状況に。何度も経験しましたけど、人がいない場所ばかりだったのが幸い。もし誰か近くにいたら

(;´Д`)「どうかされましたか?」
(´;ω;`)「五十肩で」
( ゚Д゚)「……」

 となりそうでイヤンが過ぎる。実際に経験した人でないと、この痛みってわかりませんからね。想像の痛みは、常に現実の痛みには及ばない。

 静電気と五十肩の組み合わせは最悪です。ご注意あれ。

可視化と言語化についてつらつらと考える

 昨日は大先生の一周忌ということで、受診の後鹿島錦に時間を割こうと思っていたのですが、あにはからんや、十時前に訪院したのに、帰宅したのは午後三時過ぎ。正月明けとはいえ人はまばらで、なんでこんなに待たされるんだろうと訝しく思っておりましたら、発熱外来でインフルとコロナとそれぞれ見つかったということで、裏ではてんやわんやだったみたいです。

 帰宅後ひとまず錦を織って、仮眠して、犬の散歩や入浴その他の雑事を済ませてから再度織り台の前に座り、久々にある程度の時間を割いて織ってみました。肩の痛みはまだ残っていますが、激しく痛むのは、主に朝の起きがけと、日中何かの拍子に大きく動かした時くらい。続けて織るにしても、平織り以外は支障はなさそうです。

 久しぶりにまとまった時間を織り台と格闘して過ごして、錦はやはり綺麗だなあと再認識。編み物も楽しいのですが、まだまだ上手に編めないというフラストレーションも多分にあり、錦のようにはいかないかな。錦が巧いという意味ではないですよ。錦の方はもう居直っておりますので、下手でもOKということで。

 座って静かに織っていると、その時々の心が可視化されるような気がします。苛立ちも憤りも、それから静寂な心持も、すぐに綾の上に現れる。大先生は織りなす綾の上に、自分の人生を見出していたのかもしれないと、そんなことを考えてしばらく織って――日付が変わると同時に編物で夜更かし( *´艸`)

※かぎ針で一枚モチーフを編んでから錦を織り、最後にストレッチ編みに取り組むのがよろしかろう。必要な時は合間にマクラメ。

ヂャンティはやはり無理でした

 残り毛糸で錦と編物の合間にヂャンティ織りを試してみましたが、やはり無理でした。相変わらず「こんなことやっている場合じゃあねえ」という焦燥感に追い立てられます。おそらく鹿島錦を織っていなったら楽しめたと思うので、いずれ錦が何らかの理由で織れなくなったら、また挑戦することに。

 明日は大先生の命日。今年初の受診の後で鹿島錦にしっかり向き合うために、今夜のうちにいろいろと他の作業を進めておきます。