またかいと言われそうですが、今織っている模様に飽きてきました。この長さじゃ全然メガネケースを作れねえと嘆きながら織っています。もしかしたらノルマ達成を優先するかも。菱立湧と封入用の小さい青海波をそれぞれ横にして織る予定でいますので、そちらを済ませてからの方がいいかなあ。でもいずれにしても「飽きた」ってなるだろうなという予感がします予感が予感が。←カセイジン
ところでこの動画の背景ってもしかして経紙?
私の中ではMr.助さんこと里見浩太朗版水戸黄門にも佐賀錦がちょこっと出てくるという情報をゲットしました。しかし。しかーーーーーし。
水戸老公(里見浩太朗)一行は、この地の名産織物「佐賀錦」の織元で、職人の見事な仕事を見学しながら佐賀に着いた。佐賀錦は老公の叔母が考案したと伝えられる織物で、老公には格別の思いがあった。(https://www.tbs.co.jp/mito/mito35/2.htmlより引用)
て――え? え?
ご老公の叔母? え? 織元? 職人?
まず佐賀錦を考案したのは鹿島藩九代藩主夫人の柏岡の方こと鍋島篤子様&側近の並木多仲。ちなみに九代は鹿島藩独自の代の振り方で、佐賀藩の認識では七代扱いです。そもそも黄門様は家康公の孫だから時代が全然違う。佐賀錦の源流である鹿島錦、およびその初期の呼び名であるお組物が創案されたのは、柏岡の方の没年から察するに、おそらく家斉公の時代あたり。
明治になるまでは鍋島家中の限られた子女のみが織ることを許されていたので、少なくとも当時は織元も職人も存在しない。勝手に歴史作っちゃダメ。
蛇足ながら、創案者の一人柏岡の方に関して、「鹿島藩のご後室」と紹介してある佐賀錦のしおりがあるようですが、後室というのは夫を亡くした後に用いる言葉なので、これも間違い。鍋島直彜公は当時はまだご存命。並木多仲に創案の労を讃え織之助の名を与えたのは、おそらく直彜公。なお直彜の読み方には「なおのり」「なおつね」の二つの説があるようなので、個人的にはそちらをはっきりさせてほしいところ。
息切れするわわしも。
※鹿島城――厳密には鹿島陣屋――の残り香を堪能することができる朱塗りの門を観に鹿島高校まで行ったことがある人は、佐賀錦の織り手の中に何人いるのかなあ。
先日注文したおパナさんのコリコランワイド腰用が到着。今は別に腰痛はないため、試しにお腹周りを刺激をしてみっかと考えて、へその周辺にあてております。直接温かくする機能はないにも関わらず、スイッチを入れてしばらくするとお腹がほんのり暖かくなり、血行が良くなったのか、次第に全身が火照りました。防音室内はクーラーを効かせているのによう。重さもほとんど感じないし、長時間使用しても低温火傷の危険がないのはよいですな。
今から太陽神経叢に使ってみます。胃の裏側まで高周波は届くのか、果たして。もしかしたら背中側から刺激した方がいいかも。仙骨も試してみたい。
肩が凝るからって肩ばかり刺激せんでもええんやで。
※腰以外では、やはりへそ周りが無難かも。
後九回は観る予定。開口一番はカンカラ三味線を抱えて登場の入船亭扇兆さん。演目はショートカットやかんだったんですが、扇兆さんって落語をやっている時に口の周りがドナルドダッグみたいになるんですね。なんか楽しい。
いっ休さんと枝平さんは漫才で、古今亭祐輔さんと一般の方のご結婚を祝福。結構面白かった。つるをやった三遊亭萬都さんは雰囲気がいいですな。字も興味深いし大喜利にも強い。多分一番売れる。昭和の頃の笑点の黄色い人みたいな回答もされていましたけど。緑助さんと一刀さんのショートコントに関しては、ブリッジの動きが恥ずかしくて直視できず。共感性羞恥って本当面倒。八楽さんの紙切りも一回失敗して草。異世界の住人やまびこさんはイーゼルの立て方も知らんかったんね。ごはんつぶさんがお気の毒。菊正さんが大喜利でちょっとスノビッシュだったのは、戦略的にはいかがなもんかと思います。腹黒キャラでいくのかなあ。菊正さんに関しては言い立てよりも歌聴きたいよ歌。
ちなみに、今回の動画の中で私が一番驚いたのは、実は与いちさんだったりします。周り――とりわけ異世界育ちの野生児と芸人的には新生児になるキンキラタイツ――がワチャワチャしすぎて、やたらと落ち着いて見えました。対比って本当怖い。現実を容易に捻じ曲げる。
老婆心ながら、林家野生児に関しては、どこかで手綱を握っておかないと、失言で会全体が叩かれる羽目になるような気が。とりあえず言っちゃいけないことと使っちゃいけない言葉をたたき込んでおいた方が無難。覚えておけるか不確定ながら。今回も一部スレスレでした。今時メンズのメイク程度で騒ぐな。志ん朝師匠も客観的な意見を出せるブレーンの存在を大事にされていたそうだし、同じようなタイプばかりが集まってエコーチェンバーに囚われたり、あるいは逆に何もかもを一人でやろうとすると、主観の中に埋もれて、いきおい社会との間に齟齬が生まれるわけですよ。それが軋轢になるまで育ち切ってしまうと、面白がることができる要素が雲散する。噺家なんだからわざわざ疎まれるようなこと言う必要ないわけで。
※別の会のふう丈さんは銀色タイツ。枝平さんと対になってなんかやってほしい。
※視聴しながらでもわりと織れた。