動画貼り付け祭り。素朴な感じがまたステキ。
鹿島錦の織りを拡大して画像検索すると、かなりの高確率で結果に上がってくる畳縁。最近はクラフト用にポップなデザインのものも販売されていて、見ているだけで楽しい。
銀河釉って武雄やったんや!! お父さんのショート動画が以前よく流れてきてました。有田や伊万里は磁器、なんとなくながら武雄や塩田や陶器というイメージ。吉田は有田や波佐見に近いから磁器?
越前屋お主も善よのうで有名(嘘)な越前屋さんレポ動画発見。編物視点では見たことなかった、そういえば。
「アメリカではポピュラーなジュースなんです」って、パック入りのジュースを紹介してくれるもんでよう。多分悪意のかけらもない形で「日本から出たことない人は知らないだろうなあ」なんて考えているんでしょう。
そんな姿勢には脊髄反射で半畳を入れざるを得ないんですけど、私の世代は当然のように知ってんだわ。日本でも普通に売ってたんだわカプリソーネ。保冷保温の出来る飲み物といえば、落とすと中身ががしゃんと割れる古式ゆかしき魔法瓶の水筒くらいだった時代、CMを真似して凍らせて遠足に持ってくるお子が続出したんだわ。それにつけても脇を固めるゆーとぴあの懐かしさよ。メインの聖子ちゃんの整形箇所もまだ少(ぴー)。ドイツあたりの製品らしいので、ライセンス販売なんでしょう。
それはそうと、誤解と言えば佐賀錦。鹿島錦に関しては私の周囲の人はほとんど知らないのが悲しいですが、佐賀錦はかろうじて知られています。ただし、「暖色しかないとやろ」「ほとんど草履やろ」と、その内容はさんざん。
鹿島錦や佐賀錦に暖色系の織りしかないなんて何で思うんでしょう。しかも草履ばかりて。謎が過ぎる。そういう人たちに青い糸で織ったものを見せると驚かれるんですよ。意味わからん。「うまい棒にはコーンポタージュ味一種類しかない」と言い張るのと同じくらい無知なことなので、正座して強制玉ねぎみじん切の刑に処したくてたまらない。寛容ここに極まれり。二百年前なら問答無用で石抱ですよ。下の画像、左のチョンマゲは並木田仲で右の尻っぱしょりしているチョンマゲは柏丘の方です。真ん中は村岡屋のお菓子のさが錦を「佐賀錦」と誤表記したままXで呟いて私の日課である検索の邪魔をした人。下男とか書いてあるのは気のせい。目の錯覚に相違ない。
佐久間長敬 著『徳川政刑史料 拷問實記』,南北出版協会,1893. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2937127 (参照 2024-07-13)より引用
※残る糸掛けは四本です。ペースが遅いのは、マステに塗った木工用ボンドが落ち着くまでの間、編物などをしているせい。
※速聴速読を試してみたんですが、まあ、読書速度はすぐ上がり、高校時代とほぼ同じスピードに戻りました。一分に2,500字から3,000字ペース。理解力を落とさずにせめて10,000字まで持っていきたいけど、どうもこれくらいが頭打ちの気がする。絶対的に集中力が足りません。ヒモトレの公式スピンドルに期待。
そういうこと。Craft Tamagoさんで見つけたよ。ドキがムネムネ、ワクもムネムネ。
購入予定ということで画像を拝借。皆で作ろう鹿島錦のUSBメモリ。実質MicroSDでしょうね。16GBあるので、ワードの書類程度なら入れ放題。転送速度や保障は不明。
一応基本的な手法は教わりましたが、すでに自己流の方法に記憶が浸食されております。あくまでも私の場合の手順を紹介。まず5mm角のヒノキの棒を、経紙の上下から挟んだ二枚の定規に固定。定規自体は書類用クリップで両端を留めています。ヒノキ棒にうっすら見えている透明な点は、ドットタイプのテープ糊。糸をごくごく軽く仮止めしつつ、洗濯ばさみがすぱこーんと飛んでしまうのを防ぐために使用。
面倒くさいのが嫌ということで四目から五目ずつ一度に拾う派。棒に糸を渡した後、軽く引いて弛みを取って、洗濯ばさみで止めて次の目を拾ってと言う感じで進めれば、途中で飽きても放置できるので便利。教室で教わった小技です。端まで目を拾って糸を結び終えた後は、1.5cm幅のマステの裏全体に木工用ボンドを塗って、糸を渡した棒の三面に貼り付けます。5mm角の棒ですので、端をぴったり合わせることが出来れば仕上がりが綺麗。見た目も華やかになるのでマステ最強。最初の仮止めに両面テープではなくドット糊を使うのは、糸の間隔や拾い間違いを修正しやすいのと、ドット以外の部分に木工用ボンドが程よく乗って、マステと棒の接着力がより強くなるから。
これまでは平の目を掛けて、織り出しを織って、その後綾の糸を掛けていましたが、今回は織り出しを織らずに直接平と綾の目を拾ってみました。拾った目には元筮竹の竹ひごを挿して確保。今までで一番効率的かもしれない。
以前の記事で紹介したやたらと分厚いヘラ問題。戦前のもので、煤竹と思しき素材で出来ていて、先端はほどきベラのように丸く、しかも丸い穴が空いているという謎が過ぎるヘラのため、これ何、どう使うんと悩むばかりでしたが、今しがた、おそらく本来の使い方(の一つ)が判明。
これはあれだ。糸掛け用だ。分厚いおかげで拾わないといけない目ががっつり浮きます。拾いやすさに衝撃。多分浮き綾もいけます。なんなら3-3の綾を拾うのも楽かも。いちいちヘラを左手で手前に起こさなくても、自然に平の目が浮かんでくれる。なるほど、そういうことか。
もう一つ気づいた点。先端に穴が開いていると紹介していましたが、逆にも地味に開いとる。穴あきのヘラは、短くなった糸を通すのに使ったりしますが、佐賀錦用だから、もしかしたらこよりを通すための穴かな。
確証はないながら、削らずにそのままにしておいて良かったと痛感。意味があってのことやってんね。
銀線細工とは、いわゆる「フィリグリー」のこと。Yahooニュースの記事をGoogleさんがピックアップしてサジェストしてくれたので、早速、こちとら仕事中で忙しいのにまったくようとぼやきながらも読んでみました。
存続の危機だった秋田銀線細工「おばあちゃんのアクセサリーだった」伝統的工芸品を絶やさない「TOUROU」の挑戦
もともと日本で銀線細工を作っていたのは、長崎の平戸。平戸藩の江戸屋敷が秋田久保田藩の屋敷と近く、秋田弁と平戸弁で仲良しこよしのきゃっきゃうふふだった関係で、細工の技法がはるばる東北まで伝わったという話を聞いたことがあります。フィリグリー自体はヨーロッパや東南アジアなど、いろんな国で制作されていますが、久保田藩には日本最大規模だった院内銀山などもあり(今調べた)、銀の産出量が豊富だったそうですので、そういう部分での利もあったのかな。平戸銀線細工は悲しいことに完全に廃れてしまいましたけれど、秋田の方は脈々と伝えられ、発展を遂げ、今でも健在。平戸で続いていれば、鹿島錦と気軽にコラボできたかもしれないのに、残念。
我らが鹿島錦が明治期には全国的には佐賀錦として認知されるようになったのにも似て、もともと平戸細工と呼ばれていた日本の銀線細工も、今でははるか昔からそうであったかのように、何の疑問もなく秋田銀線細工と呼ばれるようになりました。鹿島錦は残っているので無くなったわけではないにしても、その経緯にはいろいろと考えさせられます。とりあえず鹿島錦保存会は会員を増やさんとね。
※一度は制作体験に挑戦してみたい銀線細工。でも昔のように、鹿島錦と組み合わせるために自分でも作れるようになりたいとはもはや思いません。錦だけでも手一杯。金糸と絹糸のマクラメでええわ、わしは。何より制作時に頻繁にバーナーを使いますからね。豚の角煮を作っていてキッチンごと燃やしかけた私がバーナーなど手にしたら、ははははすべて燃え尽きてしまえと、多分家全体を消し炭にしてしまうこと請け合い。下手したら隣家まで巻き込む。やはり危険な作業を伴う工芸品の製作は、慎重で丁寧な人がやるべきでしょう。鹿島錦は火を使わんからいいよ。そういえば基礎織の時、むせてコーヒーをぶちまけたりもしたっけ。織り台に正面から向かっている時は飲み物禁止ということで。
鹿島錦の悪魔に速攻で魂を売り渡したかのように半世紀以上一心不乱に織り続けられた大先生、意外にも「しばらく織ったら得意な図案とそうでない図案がわかるから、自分の得意な図案を二つ三つくらい織っていけばいいのよー」とおっしゃってたなんてここだけの話。すかさずA先生が「いや出来るだけ全部織れるごとならんば……」と ツッコミ 訂正されていたなあと、懐かしさを覚えてみたり。やはり皆それぞれ好きな図案や得意な図案があるようで、青海波が好きな方、桝が好きな方、花菱が好きな方、いろいろです。ただねえ、今織り始めて七年目ですけど、これまで誰一人として織っているところを見たことがない図案というのがいくつか存在するんですよ。下手な私はともかく、上手な人も織らないという気の毒な図案。ランク付けするなら、多分これから私が織ろうと考えている鹿子市松がその筆頭になると思います。
糸を掛けるにしても、桝ベースの割に12本掛けないといけないし、拾うにしても面白みがない上、色替えもしにくく、織った後の見栄えも紗綾型などの足元にも及ばないというのが、多分その理由。この間有能会員Iさんが試し織りをされていたけど、それくらいです。作品として仕立てられたのも、三十周年記念だったかな、当時の会員が総出で織って乾坤の二冊でまとめられた伝統図案集くらいしか知りません。伝統図案の中では、偶数目が結構入って拾いづらいことこの上ない七宝を織る人も滅多にいませんけど、落語部長のMさん始め数人の作品を拝見したことがあるので、鹿子市松は特別に味噌っ子扱い。
何でそんな図案を織りたいかと、単純に見た目が可愛いから。とにかく可愛いんやで、鹿子市松。誰が織ってもファンシーになるという呪いのかかった模様です。この場合のファンシーに英語本来の意味は含まれておりませんので念のため。本来のfancyって、形容詞として使う場合は、豪華な装飾が施されたもの、日本でいうなら日光東照宮みたいな感じなんだってよ。
クマ二体分の布を確保できるまで生成り一色で織って、その後はパステルカラーで遊びます。その後スーツ部分を織りなおし。
という言い方で「送迎変わって」とか言われると無性に腹が立つお年頃。行けと言われれば行きもしましょうが、一言反論させてほしい。運転が下手なのは女だからじゃない。単に個人の得手不得手の問題。もしくは経験不足。これが「私は運転が苦手だから」なら感情が波打つことなど何一つないのに、不思議なもんよのう。主語を大きくすることで人生における自分の瑕疵を正当化したがる人っているよね、どこにでも。
これまで何度も書いていますが、八年ほど前かな、とある助成金がらみのパーティーに嫌々出席した時に、同じテーブルに座った佐賀市議員が「男は病院に行きたくないんですよ。病名を告げられるのが怖いから」と言い放ちやがったんですよ。それに同意を求められたけど「えぇ( ゚Д゚)」としか返せんかったわ。多分相手は「ええ(´・ω・`)」という感じで首肯したと解釈していると思う。
あれから私もそこそこ人としての経験を積みましたので、今ならやんわり否定するかなあ。男だから病院に行きたくないんじゃない。単にあなたが行きたがらないだけ、と。だいたい、どんなに行きたくなくても、持病で病院にお百度通いしないといけない人間の前でそれを言っちゃあ、人としておしめえよ。
あとさー、女だから男より一歩下がって歩けなんていう人は、そもそもが絶滅危惧種だとは思いますが、万が一いたとしたときのために予防線を張っておきます。御存じの通り地球って丸いんよ。自分より一歩後ろにいる人は、見方を変えれば地球を一周した40,000km先を歩いているとも言えるわけ。「わしは40,000kmも遅れて歩いていたのか。一体どうすれば追いつけるんじゃ」と猛省推奨。「男は台所に立っちゃいけない」とか言うやつはまだまだいますね。言葉に重みを与えるために、キッチンエリアはお尻歩きで移動しましょう。それが有言実行というもの。結構痩せるらしいよ。