さすが戦前の経紙というか、部分的に硫化していて戦々恐々。まあ練習用にはいいかな。平の目を拾って整えるところまでは済みました。しかーし、織る気になれねえ。ちょっと身辺がごたごたしているのに加え、このまま惰性で織っても上達しないのではないかというネガティブな気持ちに支配されつつあります。基本子どもの頃から闇属性。
織る前にいろいろと考えて厄介ごとを片付けたい。幅は25.2cmで立てていますが、さて、どれだけ縮めずに織れるか。
眼鏡を落とすのは二度目。前回はよく行くコスモスの駐車場で、バッグのポケットに挿していた予備の眼鏡を落としたんですよ。結局あの子は出てこなかった。今夜落としたのも予備に持っていた古い御子ですので、まあ別段問題はないにしても、掛けていたものを外した後にちょっと服に引っかけておいたのを紛失したもんだから、悲しみのズンドコ。掛けっぱなしにしておけばそんなことにはならなかったのに。落とした場所がわかっているのに見つからないのも地味に嫌。
一応探したんですけどね。なんせ明かり一つない農道で、しかも夜中に落としたもんだからよう。車のライトも使ったけど見つからず。無念。最悪用水路に落ちて流れています。総樹脂なので。ええ、JINの安いやつです。
なんでそんな辺鄙なところを歩くのかというと、誰ともすれ違わないから、気軽にストレッチをしたりスワイショウしたりしながら歩けるんだわ。軽いストレッチならともかく、スワイショウは、人に見られると恥ずかしくてたまらないお年頃なもんでよう。遠くに街灯や家々の窓から漏れる明かりがあるだけで、月が出ていない夜は本当に掛け値なしに真っ暗なので、「夜歩くよー」と言うと、たいていの人にドン引きされる。ほとんど毎日明るい時に犬の散歩で歩いているから、別に怖くはねえんだわ。怖くはないけど、その道で散歩中に物を落としたのは三度目なので、ちょっと反省しました。一回歩きスマホで用水路にはまっこともあるし。
ちなみにその道で一度目に落としたのは祖母の形見の指輪。普段友達からもらった勾玉などと一緒に首から下げている物。いつもはマクラメでしっかりペンダント紐を結ぶんですが、その日は古い紐を外して処分したはいいものの、新たに結び直す時間が無くて、余っていた革ひもで簡単に結んだわけ。それが散歩中にいきなり解けて指輪が落ちる音がした。慌てふためいて何時間も懐中電灯で探したけど見つからず、悄然としつつ最後の頼みと車のライトを点けてゆっくり走ったら、その光にキラキラと反射してくれたので、無事見つけることが出来ました。90年以上前の父方の祖父母の結婚指輪の素材が、金で良かった。余談ながら二度目は消毒スプレーに巻いていたフレンチトリコロールの錦だよ。後日車に轢かれてぺしゃっとなったのを見つけたよ。
※補足。どうせ夜中で誰とも会わないしということで、たいていは裸眼で歩いてその農道に向かったりするんですけど、今夜は車で途中まで行ったから眼鏡を掛けざるを得なかったんですよね。なぜって、最近は歩くと地域猫のおぐらさんがついてくるから。横や後ろを歩いてくれればいいんですが、おぐらさんの場合は何かを企んでいるかのように私の足の間にするりと入り込んで歩くのを邪魔してくるので、何度も転びそうになるんですよ。もしかしたら私の命を虎視眈々と狙っているのかもしれない。
当時通販生活で扱っていた豆乳メーカーを買ったのは。半年くらいは使ったのかな。きめ細かいおからも出来るので、おからコンニャクを作ったりして重宝していましたが、とにかく使用後の洗浄が大変で、途中で面倒になり、今では倉庫にしている部屋に片付けっぱなし。そんな経緯もあるというのに、母が「よか豆乳メーカーのあるとよー」と嬉々として訴えてきたわけですよ、今日、突然。奴は通販で何かを買ってもすぐに使わなくなるタイプ。絶対お金が無駄になると思って、今に至るまでこんなものあんなものあったでしょうとしたたか説教をしつつ、増しませ説得力と、試しに家にあるおパナさんのミキサーで自家製豆乳を作ってみることに。
水に浸した大豆をがっつりとミキサーにかけ、鍋に放り込んでアクをすくいつつかき混ぜながら弱火でしたたかコトコト。自宅用なのでさらしで漉すこともせず、そのまま食してみたところ、問題なく完成。もちろん水分適当やで。当然おからが混ざった状態なので、豆乳として飲むより、軽く味付けをして冷製スープとして食べた方がいいかもしれない。もちろん作り方次第では豆腐や湯葉も出来る(はずだ)よ。
当然プロの作る濃厚な豆乳にははるかに及びませんが、自宅で食べる分には、多分問題なし。昔は発酵器を使って、納豆も手作りしていたもんよ。
以下「ブログだと見えねえ」禁止。
今年から始めたスクワット系の運動、先月風邪で寝込んでいた時以外は毎日続け、無事半年目に突入。おかげで下半身の脂肪はかなり絞れてきた感じがします。感じがするだけで計測はしていません。炒り糠生活は、後三ヵ月で丸二年。咳が落ち着くまでは踏み台昇降も軽くしか出来ませんが、犬の散歩以外の有酸素運動として、炒り糠食とだいたい同じ期間続けています。途中ジャンプするだけ健康法に浮気して回り道しちまったんだわ。
鹿島錦もそうですが、やはり何事も続けなければ意味がない。まあ長い人生でわずか一回もしくは二回のノルマをクリアすれば充分な分野ももちろんあるにはしても、たいていのことは続けないと意味がないよねえ。
ちなみに続けているスクワット系運動はこれ。ベタですけど、これと背伸び健康法を含めたストレッチと踏み台昇降で、老後に至るまでボディワークは充分な気が。マインドワークは、私の場合、自律訓練法や自己統制法より、何も考えずに無音の中で目を閉じる方が、心が安らぐ気がする。
錦もなんだかんだいって、一枚織るごとにちょっとずつ上達。ついこの間まで3-3織れなーいとかわめいていたのに。今後二十枚三十枚と織れば、きっと巧く織れるようになると信じて続けます。
携帯を持ち始めたのが若干遅めで日常の一部にまではなっていなかったし、スマホに替えるまでは機種変更とかも面倒でほとんどしていなかったため、かつて隆盛を誇った写メ文化からは完全に取り残されておりました。だいたい携帯より先にPCを買っちまったもんでよう。最初に使っていた御子は、こんな感じのやつ。しょぼしょぼの液晶画面は緑色だったと思いますが、もしかしたらオレンジだったかもしれない。山間部では特につながりにくく、アンテナを伸ばして使っていたよ。
なおこの機種には当然カメラ機能はなし。そもそも自分で選んだわけではなく、ひょうろく玉で勝手にどこかにほいほい出かける上、誰とも連絡を取らないということを繰り返していた暗黒時代に、親に無理やり持たされたんだわ。友達数人とはPCでやり取りをしていたため、電話としてもほとんど使っていなくて、平成17年に仕事の都合もありようやく重い腰を上げて機種変更。
こちらはうって変わってカメラ機能に力を入れていた機種ですが、今思えば何世代も前のトイデジレベル。写真は何枚か撮ったかな。デジカメとPCという組み合わせに慣れ切っていたので、結局誰かに撮影した写真をメールすることもなく使用終了。課金してダウンロ―ドした着うたの「オペラ座の怪人」や「サウンド・オブ・ミュージック」をヘビロテで聴いていました。
この後もう一台のガラケーを経てスマホに乗り換えてからは、三回機種変更しました。今に至るまで、友人とやり取りをする時はメールやSNSのDMメインですので、結局写メに対する思い入れも想い出もなし。したがって言葉の上ですら写メなんて使わない。画像って言っちゃうよ。死語判定をかろうじて免れているのはそのおかげ。
そんなことより、今月と来月は鹿島錦初心者教室には参加出来ませんよ(・ω・)ノ まあ私がいてもいなくても別になんら不都合はないと思いますが。せっせと家で織りまくります。
※すごいなと思うのは、地元の友人が、私が二台目の携帯を使っている頃から今まで、ずっと同じガラケーを使い続けているところ。でも「さすがにそろそろ恥ずかしくなってきた」らしいよ。FOMAが使えなくなる再来年まで頑張るとのこと。むしろここまで来たら貫いてもらいたい。
そんなことを鹿島錦を始めた当初から考えていました。だって持ち運ぶのに便利じゃないか。大正時代にはあったらしいよ。今の台と構造が違いますが。人間国宝でいらした古賀フミさんが愛用されていたのもこのタイプの台でしたね。
大正時代は「あぐり」で通じたのに、なぜ今はほとんどの佐賀錦では「あばり(網針)」と呼ばれるようになったのか、その経緯が知りたくてたまらない。網用の針はかなり短いとだけ切実に訴えたい。あぐりの復権希望。
東京婦女会 編『佐賀錦製織法 : 美術工芸』,東京婦女会,大正9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1182692 (参照 2024-07-04)
※祐徳神社所蔵の鹿島藩日記には鹿島錦創案コンビの一人、並木多仲の養父である並木六郎右衛門と、実父の久布白兼矩(読みは「かねのり」?)と思しき久布白三左衛門の名前がいたるところに出てきます。宝永5年=1708年の記録である5巻まではデジコレさんにありました。当初は鹿島錦の話題が出ていないかなあと思って調べていましたが、年代的にありえんかったよ。
※東京堂出版の「手芸の事典」によると、引箔に直接模様を描いてから裁断、平織りするものを「今様織り」というそうです。井上静子さん考案だとか。この本誤表記の部分がやたらと目立つんですよ。上下30cmを残して裁断とかしていたら織れるところないやないの。