空恐ろしくなるほど

 支離滅裂な文章の記事を投稿しておりましたね。しかもそのまま一日以上放置。実は昨日今年最後の遠出をしておりまして、編集どころではなかったんだわ。

 そういうわけで、微修正して人心地。

 編み機の件ですが、手編みした時の感触が何かいやで放置していた純毛糸を使ってみたところ、編み機さんの方でもイヤンだったことが判明。拒絶されて編み地が汚いのなんの。指定の棒針号数でダイヤルを調整したんですけど、先のプレミアムウールシルクさんより仕上がりが格段に汚くて断念。

 がーがー言わせて編むのは楽しいのに、編み地は楽しくないという矛盾。考えてみたら、編み機が流行った時代は、百貨店で買いましたと宣言せんばかりの機械生産の品がもてはやされて、手編みは、時間がありあまっている人や金銭的に余裕がない人がするものと見下されがちだったはず。私の周囲では手編み=レース編みが流行っていたかな。編み機は、メリヤスの平編みならダントツに早いので、生活に追われている人でも隙間時間に取り組めて、かつ既製品のような綺麗に揃った編み目の物が出来上がり、高いセーターを店で定期的に買うことを考えると、糸を解いて何度でも編み直せるという利点もあるし、大枚はたいて編み機を買っても後で元が取れるだろうという算段で、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで買われた方も多かったのではと推測。

 いずれも表層の部分にしか触れていないとはいえ、編み機には編み機の面白さや素晴らしさがあるし、手編みには手編みのよさが同様にあるのは肉質的に理解できます。これはもう、どちらに軍配をあげるかは、結局は個人の感性ということになるわけですが、今は機械で編んだものより、気仙沼ニッティングのような丁寧な手作りのものがオンリーワンともてはやされる時代。斯界の趨勢もすっかり変わってしまって、技術の発展にともないより能率的に稼働できるようにった工場の製品の方が、安定した品質のものが大量生産出来るおかげで、昔に比べると破格に安いという構図が出来上がっているため、編み手が編み機に要求するものも、往時とはかなり変化しているはず。かつて編んだ方が安いと飛びついた人たちは、多分買った方が安いの側に鞍替えしていますよね、おそらく。時間とお金の節約にもなるし。

 編み機文化が廃れるのは寂しいし、残してほしいとは思いますが、私が編物に求めているのはまず第一に心地よいモフモフ感であり、決して目の整然さではないため、しばし編み機さんとはお別れ。これまで割いていた時間を鹿島錦に回さねば。「これは編み機で作りたい」と心の底から思えるものに出会える日までさようなら。可能性があるとしたら、ニットのブレザーとかコートかなあ。こさえられるようになるまでどんだけ練習しないといけないんだって話ですけど。スーツはそもそも冠婚葬祭以外では着ない人間です。いまだにネクタイの締め方も知らん。ワンタッチネクタイ様々。

 気持ちだけなら編み機フォーエバー。

※目が落ちずに編めている時間は本当楽しいんですよ。心の底から。瞑想的で。でも編み地が楽しくないんよ。モフモフにならないので。

※呪いのベストは今日中に仕上がる予定。デザインがミセス御用達なのと、適当に選んだSeriaの糸で編んだユニットを雑につなげているため、着たまま外には出かけられないという強固な呪いがかかっていますし、目にした人はたとえ写真越しであっても末代まで祟られ、どれだけ練習してもオリンピックのフルマラソンで金メダルを獲ることは出来なくなりますので、皆さんの将来を案じてやまない私としては、今回は非公開ということにいたしたく存じます。まずは獲ってほしい。皆さんに金メダルを。総じて、色を合わせて丁寧にとじはぎをすれば、人前でも普通に着られそうな印象。そもそも他人の服の細部なんて観察しないよね。視覚情報で処理するのは、まずは色とおおまかなデザイン。なお念願かなってもふもふ感は抜群です。わしゃ羊かと叫びたくなるほどには。何かね、毛布を着ているような感じ。きちんと作るなら、脇の部分の止め編みや肩回りの伸び止めなどを施さないといけないでしょうが、そのあたりはど素人50メンズにも別に難しい作業ではないので、いけるかなあ。

※高校の頃、祖母が寒さ対策にと編んでくれたベストを学生服の下から着ていましたが、体育の時間に着替えている時に近くの席の同級生から「なんでそがんと着とるとw」とバカにされたのでイラついた記憶。今なら即座に鈎針で眉毛を全部細編みにしてやる。再掲になりますが、私が知っている落語の中で唯一編み機が出てくる「長島の満月」。笑点の黄色の人の二番弟子。一番弟子はきく姫師匠やでー。