とにかく眠くってよう

 誰もいない生活工房を見るのは久しぶりかもと思いつつ、研修を受けに行ってまいりました。ちょうど私が鹿島錦を始めた週の翌週は、文化祭の準備のために鹿島錦教室が休みだったのですが、誰 も そ の こ と を 教 え て く れ な か っ た ので、知らずに嬉々として織り台を持って3Fまであがって愕然とし、哀しい気持ちを引きずって一人寂しく帰宅したことを思い出しました。なんせ入ったばかりで連絡網の中にも入れてもらっていなかったもんでよう。LINEのグループを作った背景にはそんな悲劇もあったわけ。当時は何ぞこれイニシエーションかいと思いましたが、単に連絡ミスだった模様。連絡ミスではなくてミス連絡ならよかったのに。

 研修会場には、はるか古代ギリシャより眠りの神のヒュプノスが降臨されたらしく、睡魔と戦いながらの受講でしたが、一通り理解できたので良しとします。ヒュプノスもわざわざ来んでええねん。言うてくれたらこっちから行くーゆーねんと大木こだま師匠ばりに反省してみたり。

 ちなみに研修会場には毎回一時間から一時間半前には着くように家を出ます。遠方であっても。昔からそう。なぜかは不明。3月に旧マリトピアで法改正に関する研修があるので、また早めに行かねば。時間をつぶすために近くのSeriaで買い物予定。

※余談ですが、私が鹿島錦を織り始めた当初、「鹿島錦の表面だけを勉強して、自分の作品として売るつもりでいる」という風に勘違いされたらしく(なぜ?)、一回目の教室の日に私が午前中のみの参加で帰宅した後、昼食時に「上辺だけ勉強してすぐやめるような人に鹿島錦を教えていいのか」「最初から販売目的で教室に来る人を受け入れていいのか」とかなり白熱した議論になったのだとか。はやいもので、あれから六年三ヶ月以上が経過した今、心の底から知りたいんですけれど、どういう経緯でそんな話になったん( ゚Д゚) 深まる謎にドキがムネムネ。