展示完了

「祐徳さんに言うとくよー」と五分に一回唱えつつ、祐徳博物館で開催される作品展の展示準備に行ってまいりました。祐徳稲荷の桜は今がちょうど満開。帰りの私は飴長者(部長の分までいただいた)。

 連絡が取れなかった方、作品が間に合わなかった方などもいらしたようで、若干寂しい印象を受けましたが、鹿島錦保存会前会員代表の故・樋口ヨシノの作品も何点か展示してあります。佐賀新聞の取材も今日受けるとのことでしたので、一両日中に紹介されるでしょう。

 作品展は3/30~5/7まで。最終日には今年の博物館担当会員と役員とで実演を行います。来年からは全員参加に戻す予定だそうな。なお最終日はPM2:30前後には撤収作業を行う予定ですので、悪しからずご了承ください。

 展示準備中の写真もアップしていますが、マスクと遠景なので大丈夫……かと……。

※先日「基礎織は9名」と書きましたが、すでに2人卒業済でした。祝。

織った方がいい?

 スワイショウを本格的に始めて、肩こりは軽減しているような気がします。「気がします」程度のことに毎日何時間もかけていいのかという疑問がないわけではないですが、錦もまったく織っていないわけではないし、見逃してほしい。自己統制法や自律訓練法もストレス解消にはいい(らしい)んだけど、あるレベルから全然上達しねえんだわ。

10kg減してもたで

 出来るだけ健康的に痩せたいのはやまやまながら、いろいろと飲んでいる薬の影響もあるのか、一日三回くらい失神しかけるという、いささか喜ばしくない状況に陥っております。しゃがんだ状態から立ち上がるだけでそうなるので、起立性の低血圧ですね。今は亡き大先生みたいな感じ。入浴時が特にひどい。浴室に手すりが付いていて良かった。

 もし栄養不足から貧血になっているなら、多分次回の血液検査で指摘されるはず。毎回確認してもらっているから、十中八九別の理由。そこまでひどいものではないし、座ったままの状態では今のところ何も問題なく、運転にも障りはないため、しばらく様子見。急に立ち上がらないように心がけます。次の受診でどう結果が出るかな。ちなみに相変わらず予約が木曜教室の日(´;ω;`)

 午前中は一時間半ほどスワイショウ。今からちょっとだけ織って、その後皿洗いなどを済ませてから、午後のスワイショウに取り組みます。平日もトータル三時間くらい行うのが理想。

脱、不健康

 いろいろネガティブなことを考えてしまうのは慢性的な脳疲労も原因ではなかろうかということで、のんびりスワイショウなど実践。最初30分弱から始めましたが、今では1時間程度なら集中して出来るようになりました。多分前後のスワイショウとひねるスワイショウを交互にやっているからではないかな。同じものをずっとやるのは性格的に無理。

 一時間集中して織ればどれだけ進むかなんてたまに考えたりもしますが、あいにく鹿島錦は私の人生における優先順位の最上位ではないんだわ。まずは気力と体力を培うのです。

 織りたいという気持ちが雲散霧消したわけではないにしても、決算と指定更新前の運営指導と、それから年度替わりの提出書類等でいっぱいいっぱいですので、元気が出たら先にそちらをあらかた片付けます。

必勝しゃもじ( ゚Д゚)

 いや、いざとなったら武器にもなりそうだけれど、宗教の違いとか文化の違いとか、それ以前に「国家存亡の分水嶺となりうる戦時下であるという状況の違いを考慮したのかあんたはええ岸田首相」と言いたくなるような贈り物の選定に困惑。私がゼレンスキーと同じ立場なら、まだうまい棒を箱でもらった方がいい。しゃもじとか送られたらそれでひっぱたく。誰も止めなかったということは、状況判断が適切に出来ない人間が周囲を固めてるってことなんでしょうか。秘書を始め、そりゃいろんなところで失言を連発するわ。自民党には、プラザ合意を皮切りにこの国が喪失してしまったものを責任を持って取り戻してもらわないと考えている口ですが、はたしてその願いが叶うのはいつのになるのやら。あと日米地位協定もいい加減何とかせい。

 ついでに高市早苗の件。もうかれこれ二十年以上「高市早苗はその昔、聴くだけで願いが叶うと謳ったサブリミナルテープの広告モデルをしていた」と主張しておりましたが、そのことを知っている人が周囲にまったくいなくて、もしかして私の記憶違いか? と不安になったりしていたわけですよ。でも数年前にtwitterでその広告の画像をアップされた方がいらして、自分の記憶力に問題があったわけではなかったんだなと、ひとしきり安堵。

 別の記憶では、かつてドリンクタイプのカロリーメイトのCMにも出ていたことになっているんだけど、こちらの情報もネットにはほとんどない。再度湧き上がる自分に対する不信感。夢とか幻覚の類なんだろうか。誰か全面的に賛同して私を安堵させてくれ。階段を「ツカツカツカツカ」と早足で降りてからグビグビ飲んでいたような気がする。

綿でもよいような

 休憩中に「そめとおり」396号に掲載された佐賀錦の記事を読んでいたんですが、奉書を経に、綿糸を緯にしていた時代もあったようですね。まあ後年は練習織りに用いられた手法だと思いますが、高価な材料が入手できなかった、あるいは華やかなものがはばかられた時代は、白地の紙で織るのが普通だったと古賀フミさん関連の記事でも読んだことがあります。

 現行の「鹿島錦」は、織り台に関しても、織り方に関しても、材料に関しても、戦後に確立した部分が少なくないのですよね。

※鍋島政子刀自校閲「錦のしほり」によると、紗綾型などは「錦のほんの初歩」で「図案を作り出すのはこの上もない楽しみ」だそうです。私も桝の線を交差させた図案を以前描きましたが、昭和10年の時点で出ているわけでよう。

錦のしほり第一輯 https://dl.ndl.go.jp/pid/1191472/ より ※要国会図書館本会員登録
同上

※御宿かわせみのイメージしかなかった平岩弓枝のまさかの青春小説「アキとマキの愛の交換日記」に、佐賀錦を織る未亡人という設定の劇中人物がいると知り、驚愕している次第。

※そめとおり449号の記事から逆算すると、西陣で佐賀錦の名を冠した帯が織り始められたのは、昭和36年。

※大滝英子著「きもの風土記」に幻の長崎錦の記事。河村翠さんへのインタビューによると、佐賀錦は明治までは門外不出。庶民は触れることも見ることも許されなかったのだとか。ちなみに「草履なんて邪道」とのことです。足で踏むものは作りたくないそうな。実に上品にご立腹なさっている次第。

※日本の美 第10 P121には、織り手ならわかる恐ろしすぎて織る人がほとんどいない七宝模様の作品が掲載されています。「佐賀城の御殿女中が始めた」みたいなことが書かれてあってぷんすか。

糸を掛けるか思案中

 しばらくは楽しく織れていた網代さんですが、どうも 飽 き た ような気がします。色が単調だからかなあ。やはり私の場合は色をかっちり決めるというのは向いていない気がする。じゃあ何が向いてんだって話ですけど、気の向くままにランダムに入れていくのが一番楽しいかも。スタトレづいていたこともあり、数日放置しております。一応20cm以上は織っているので、何も作れないということはないんですが、さて、今のうちに撤退して糸を掛けて何か別の模様を織るか、それとももうしばらく辛抱してこれを織るか、思案のしどころ。やっぱり押さえても入らない部分があって、そこも気になる。

 右側に寄った皺はちょっとした手違い。

今後の事

 主戦力になる前に退会した方がいいのではないかという気持ちと、戦力外とはいえ、今辞めたら先生含めて周りの人の負担が増えて困るだろうなという気持ちの間で揺れ動いています。まあ少子化も進んでいるので、成人式のストラップに関しては今後も必要数が減る一方だとは思いますけれど、出来れば退会するときは悶着を起こさずソフトランディングしたい。辞めてからも文化祭とか博物館の作品展とか行きたいですしね。

 諸事情あり会に長らく見えられていない3人を含めれば、現時点で基礎織に取り組んでいる人は9人。今その人たちの基礎織卒業待ち。織る傍らバッグ作りなどの仕立ての勉強もしたいし、卒業直後は会からお祝いとして頂く紛金を織られる方が多いので、その後本金に入られたらあるいは――

カイラサ合衆国の騒動が香ばしすぎて悶絶。

※都はるみと瀬川英子がツボ。