佐賀を中心に佐賀錦の帯が生産され

 てはいませんよ、念のため。ネットで時々見られる佐賀錦の説明がことごとく間違っている件に関しては織り手一同ご立腹。

 嘘。正しく書けば私一人がご立腹。

 販売用の帯を手織りで織る人は、佐賀どころか全国的に皆無に等しいという事実をまず直視すべし。織り手はあらかた高齢女性ですけれど、少なくとも私はそんな体力があり余ったミセスを存じ上げません。現状「佐賀錦」あるいは「鹿島錦」として売られている帯は、名前と技法を流用して織られている西陣織と博多織が100%を占めます。もともと佐賀錦の材料は西陣から来ていますので、日本の玩具マシンロボがアメリカでトランスフォーマーになって、日本で再アニメ化されるようなものかも。それぞれ鹿島錦より古い歴史がある帯の産地ですから、当然織りはきちんとしていますし、完成度も素晴らしいとは思いますけど、本物の佐賀錦や鹿島錦の持つ、素朴でありながらもどこかしら厳かな雰囲気とは全然違う。

 おそらく相当着物好きな人でも、厳密な意味での本物の佐賀錦や鹿島錦に触れたことがある人は、ほとんどいないはず。勘違いしている人てんこ盛りです。だいたいが自分で織ってこそ意味と意義を持つ織物なのに。葉隠れファミリーの大名家で生まれた分、武家の矜持とは無縁ではいられないわけですよ。言わば織る葉隠れ。なお葉隠れは一度も読んだことがないなんて内緒。

 私のように年がら年中エアコンを稼働して音楽や落語を聴きながら織ることすら、本当は邪道。住環境や織りに取り組む真剣さという点では、一番伝統を色濃く受け継いでいるのは、もしかしたら暑かろうと寒かろうとじっと耐えて根気よく織られている、麓刑務所の受刑者の皆さんかも。

※以前読んだ本によると、祐徳神社で鹿島錦織り方を教えられていた旧藩主夫人は、平織りの服を召されていたとか。

※偉そうなことを大上段から書きながら、織るのをそこそこに編物をする。そんな人生もよろしかろう。

かんざしパーツがよろしかろう

 手編みのニットに鹿島錦を組み合わせるとしたらどんな方法がいいだろうと思案。多分かんざしパーツを使った簡易ブローチ的なものが無難じゃないかなあ。編み目を縫うようにして縦に挿して。平織りを折り紙にして作る蝶が好きで時々こさえるのですけど、パーツに花菱をあしらった包みボタンを取り付け、そのボタンに蝶がとまっているような感じで飾れば幸せになれそう。ボタンホールを作らずにショールを留めたりも出来るかも。

 問題はね、花菱を織った布がねえんだわ。なんなら折り紙が取れる平織りもなし。万事休す。

※鹿島錦の包みボタンを使ったヘアゴム、シンプルな無地のスカーフに使ったら絶対映えると思う。

※かぎ針でモチーフが編めるようになれば、ブローチを着けるところに、補強を兼ねて、雪の結晶や花や幾何学図形を縫い付けてもいいかもしれない。はよ来いフェリシモ「はじめてさんのきほんのき」。

空恐ろしくなるほど

 支離滅裂な文章の記事を投稿しておりましたね。しかもそのまま一日以上放置。実は昨日今年最後の遠出をしておりまして、編集どころではなかったんだわ。

 そういうわけで、微修正して人心地。

 編み機の件ですが、手編みした時の感触が何かいやで放置していた純毛糸を使ってみたところ、編み機さんの方でもイヤンだったことが判明。拒絶されて編み地が汚いのなんの。指定の棒針号数でダイヤルを調整したんですけど、先のプレミアムウールシルクさんより仕上がりが格段に汚くて断念。

 がーがー言わせて編むのは楽しいのに、編み地は楽しくないという矛盾。考えてみたら、編み機が流行った時代は、百貨店で買いましたと宣言せんばかりの機械生産の品がもてはやされて、手編みは、時間がありあまっている人や金銭的に余裕がない人がするものと見下されがちだったはず。私の周囲では手編み=レース編みが流行っていたかな。編み機は、メリヤスの平編みならダントツに早いので、生活に追われている人でも隙間時間に取り組めて、かつ既製品のような綺麗に揃った編み目の物が出来上がり、高いセーターを店で定期的に買うことを考えると、糸を解いて何度でも編み直せるという利点もあるし、大枚はたいて編み機を買っても後で元が取れるだろうという算段で、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで買われた方も多かったのではと推測。

 いずれも表層の部分にしか触れていないとはいえ、編み機には編み機の面白さや素晴らしさがあるし、手編みには手編みのよさが同様にあるのは肉質的に理解できます。これはもう、どちらに軍配をあげるかは、結局は個人の感性ということになるわけですが、今は機械で編んだものより、気仙沼ニッティングのような丁寧な手作りのものがオンリーワンともてはやされる時代。斯界の趨勢もすっかり変わってしまって、技術の発展にともないより能率的に稼働できるようにった工場の製品の方が、安定した品質のものが大量生産出来るおかげで、昔に比べると破格に安いという構図が出来上がっているため、編み手が編み機に要求するものも、往時とはかなり変化しているはず。かつて編んだ方が安いと飛びついた人たちは、多分買った方が安いの側に鞍替えしていますよね、おそらく。時間とお金の節約にもなるし。

 編み機文化が廃れるのは寂しいし、残してほしいとは思いますが、私が編物に求めているのはまず第一に心地よいモフモフ感であり、決して目の整然さではないため、しばし編み機さんとはお別れ。これまで割いていた時間を鹿島錦に回さねば。「これは編み機で作りたい」と心の底から思えるものに出会える日までさようなら。可能性があるとしたら、ニットのブレザーとかコートかなあ。こさえられるようになるまでどんだけ練習しないといけないんだって話ですけど。スーツはそもそも冠婚葬祭以外では着ない人間です。いまだにネクタイの締め方も知らん。ワンタッチネクタイ様々。

 気持ちだけなら編み機フォーエバー。

※目が落ちずに編めている時間は本当楽しいんですよ。心の底から。瞑想的で。でも編み地が楽しくないんよ。モフモフにならないので。

※呪いのベストは今日中に仕上がる予定。デザインがミセス御用達なのと、適当に選んだSeriaの糸で編んだユニットを雑につなげているため、着たまま外には出かけられないという強固な呪いがかかっていますし、目にした人はたとえ写真越しであっても末代まで祟られ、どれだけ練習してもオリンピックのフルマラソンで金メダルを獲ることは出来なくなりますので、皆さんの将来を案じてやまない私としては、今回は非公開ということにいたしたく存じます。まずは獲ってほしい。皆さんに金メダルを。総じて、色を合わせて丁寧にとじはぎをすれば、人前でも普通に着られそうな印象。そもそも他人の服の細部なんて観察しないよね。視覚情報で処理するのは、まずは色とおおまかなデザイン。なお念願かなってもふもふ感は抜群です。わしゃ羊かと叫びたくなるほどには。何かね、毛布を着ているような感じ。きちんと作るなら、脇の部分の止め編みや肩回りの伸び止めなどを施さないといけないでしょうが、そのあたりはど素人50メンズにも別に難しい作業ではないので、いけるかなあ。

※高校の頃、祖母が寒さ対策にと編んでくれたベストを学生服の下から着ていましたが、体育の時間に着替えている時に近くの席の同級生から「なんでそがんと着とるとw」とバカにされたのでイラついた記憶。今なら即座に鈎針で眉毛を全部細編みにしてやる。再掲になりますが、私が知っている落語の中で唯一編み機が出てくる「長島の満月」。笑点の黄色の人の二番弟子。一番弟子はきく姫師匠やでー。

編地の比較

 左が機械編み。右が手編みのストレッチ編み。一目瞭然ですかそうですか。

 右側のストレッチ編みの方は、手の平に乗せると熱が蓄積されてじんわり温まってきますが、機械編みのメリヤスの方はそれがない。これって糸と編みとの相性が悪すぎるのかも。もったいない気がしてきた。ストレッチ編みの方はE針で編んだピケ編みだから説も浮上。AとかSで編むとかっちかちになりそう。ちなみにピンクの毛糸は基本母用ですよ。やつは意外にピンク好き。なんぼパステルカラー好きとはいえ、さすがにこの色合いを着たいとは思わない。メンズ的に。

 せっかく始めた機械編み、投げ出すのは癪なので、練習がてら、編み心地が気に入らなくて放置している毛糸から片づけることにします。これまで編んだユニット6枚はすべて解いてストレッチ編みで編みなおし。

 君子は豹変す。

思案のしどころかも

 急転直下というか乱高下というか。機械編のメリヤスと、同じ糸で編んだストレッチ編みの編み地を見比べて、もしかしたら私が求めているのは色だけではなく後者のやさしいふんわり感なのではという気持ちがふつふつと湧いて出てまいりました。鹿島錦でいうと、中糸と細糸の違いみたいな印象。中糸ってブサ可愛い印象がありますよね、細糸に比べて。メリヤスも手編みでやればもちろんふんわりするのでしょうが、いかんせん今は取り組む時間がないときたもんだ。

 編み機を再放置してストレッチ編みに限定した方がいいのかなあ。それともせめて一着はプルオーバーを作るか。今なら機械で編んだものを解いてストレッチ編みに転向するのも可能なんですが、100枚200枚と編んだ後で「やーめた」となるのは、おそらく体力がもたない。

 今夜改めて考えます。

心なしか錦が違って見える

 織るのが好きか作るのが好きか問題が自分の中で解決したおかげか、なんとなく鹿島錦もこれまでと違って見えるような気がいたします。もともと始めたきっかけも、他のほとんどの会員のように、実際に鹿島錦を見て一目ぼれというわけではありませんでしたし。あくまでも情報先行型。旧嬉野医療センター受診中におりがみ陶芸の鶴の翼に鹿島錦や佐賀錦を貼りたいと考え、端切れがないかとどれだけ検索をしても本物の佐賀錦が見つからず、これはもう自分で織るしかないということで、受診終了後医療センターの駐車場から祐徳博物館に問い合わせをしたという運び。佐賀錦ではない名前だけの佐賀錦はいっぱいあるんですけどね。私が求めていたのはそういうのじゃないんだわ。事務局のTさんに訪問日を伝えていたのにA先生からがっつり忘れられていたことは生涯覚えておくことにいたします( *´艸`)

 昨日、毎日最低三段織ると書いたけど、最低五段くらいにしようかな。また織るのが楽しくなってきた。編み物も順調で、適当に手に取った糸で制作中のストレッチ編みのベストも、仕上げが雑で配色が呪われているとはいえ、何とか完成までこぎつけられそう。後はつなぎ方の勉強が必要です。増し目減らし目なしの50目50段のメリヤス編のユニットも6枚編めました。さすが機械編という感じで綺麗に目が揃っていますけど、まだ伏せ止めまでは至らず。目測で24枚あれば膝よりちょっと上の丈の袖なし小森のおばちゃまリスペクトのロングプルオーバーが出来そう。かなり余裕を持たせているので、洗って縮んでも大丈夫のはず。

 落語会はもしかしたら次回の究斗師匠でしばらくお預けかも。とにかくやらないといけないことが溜まっているので、少しでも時間が惜しい。過去に失ってしまった多くのものを、徐々に取り戻しつつあるような気がします。

※数えてみたらプレミアムウールシルクだけで100玉超えていました。まだまだプレミアムウールもあれば、やわらかメリノちゃんやアルパカ糸もあるので、機械編分だけでユニットが200枚位になりそう。ところでぴこーんとひらめいたんですけど、もこもこのループヤーンなら、ストレッチ編みで編んでもメリヤスで編んでももこもこしすぎてわからないので、とじはぎセーターにぴったりじゃない? 木を隠すには森の中。糸を隠すにはもこもこの中。

※増し目減らし目なしのユニットを200枚編み終えるころには、多分機械編にも相当慣れているはずなので、徐々に出来ることを増やしていく所存。最終的には2日くらいでシンプルなセーターが作れるようになるといいなと。機械編でアラン模様を編む気はさらさらないです。どんな生き地獄、それ。出来れば魔法の一本針で編めるようにはなりたいかな。でもそれはまだだいぶ先の話。まずはかぎ針を使った端の処理と綺麗なとじはぎから。出来ないことが多すぎる場合は、土台となることをまず出来るようにするのが肝要なわけで、私にとって機械編の場合のそれは「出来るだけ目を落とさずに安定して編めるようになる」ということだったりします。なんせ鹿島錦と違って指導してくれる人がいないもんでよう。

そんなことよりリバウンド

 デザイン変更につき、ベスト作成に必要なストレッチ編みのパーツ、必要枚数が四枚→十枚に。嗚呼。ポイシンが遠すぎる。でもまあ頑張れば年内に出来ますね。年末恒例の遠方の友人との紅白チャットの時に着よう。

 ところで、昨夜久しぶりに体重計に乗ったら、おージーザス、リバウンドが止まらない。一時停止してくれやがらない。理由はわかっています。実は秋以降食事量が増えまして。増えたといっても一般メンズよりよほど少ないくらいです。陸上選手だった78歳の父と比べても半分以下。しかーし、私の代謝はどうも他の人より低すぎるようで、すぐに脂肪に蓄えられてしまう。蓄積効率だけが良いってどういう身体。

 食事量を減らすとしんどいため、今日から踏み台昇降の時間を二倍にして対処。犬の散歩以外の日課を

・落語二席分の踏み台昇降(通してではなく朝昼晩の食後に分割)
・ストレッチ編みのユニット一枚
・機械編のユニット一枚
・鹿島錦最低三段
・寝しなにハーモニー体操

ということにして様子を見ます。マクラメはたまにやるで。パーツなのかユニットなのかモチーフなのか表記を統一しろとおしかりを受けそう。漢数字と半角全角アラビア数字問題にも似て。今後はユニットと書くことにします。「正方形に編む」より「スクエアユニット」と書いた方がそこはかとなく洗練されているような。

※心の底から撲滅したいと願っている「ほぼほぼ」が逆にはびこりまくって鬱屈としております。ほぼと言えほぼと。そういえば最近「延々」を「永遠」と表現する人が増えましたね。「永遠と続けても苦にならない」って何。あなたは神? トンデモネエアタシャの人?

いろいろな答えが見つかりました

 ストレッチ編のパーツがある程度溜まったので、初ベストを目指してせっせととじはぎ。ポイシン作るよポイシン。編物系ブログをはしごしていると「とじはぎは面倒」という表現が散見されるので覚悟していましたが、あにはからんや、実際に試してみると楽しくて仕方ない。ストレッチ編みの巻き綴じで作業が簡単という以上に、下手ではあっても自分で編んだパーツだからではないかな。多分他人が編んだものなら、どれだけ上手に織れていても楽しくないはず。そんなことを考えながら、入会してから二年目の文化祭にY先生に訊かれたことを思い出しました。

「織るのと作るのどっちが好き?」

 その時はしばし答えに窮しつつも「作る方」と答えましたが、何か自分でも今に至るまで消化不良。なお、先生は即断で「織る方」でした。そのため、私はもしかしたら織るのに向いていないんじゃないかとか、取り組む姿勢が甘いと言われるのではないかと、忸怩たる想いを抱き続けて来たわけですが、同じ質問をされた時は、今日を境にこう答えることにします。

「自分で織ったもので作るのが好き」。

 どれだけ綺麗な錦でも、他人の織ったもので何か作っても楽しくないよね、きっと。

 それと、先ほどまで延々とじはぎしていて気付いた点。特に断染めの撚りが甘い糸の場合、別糸を準備した方がよさそう。何種類もの断染め糸で編んだものを一つにするということで、色が多すぎるからこそ、統一性を持たせるためにすべてを同じ色――白か黒――でつないで、あえてその糸が表側に出るようにする。あと、ロービングの糸でとじはぎしていると、軽く引っ張るだけでも時々すうっと抜けるようにちぎれてしまうことがありまして。そうかと思えば半ばフエルト化したぶっとい部分もあるし。ギアサードかと思ったわい。信じられますか、これ同じ規格の糸ですよ。

 パーツの大きさに関しては、多分今の長方形より、10cm四方の正方形の方が扱いやすい。サイズの調整も枚数の増減で簡単だし、見た目にもすっきりしそう。本当は糸ごとにゲージを採って、作りたいものの実寸から目と段の最大公約数を計算するのが理にかなっているんでしょうけど、そこまでするのは野暮かなあ。とりあえず残り四枚編んでとじはぎで合わせれば、初ベスト完成。その後は、ストレッチ編みに関しては、正方形で編んでいくことにします。

※ストレッチ編みは基本インナーや小物用、機械編みのメリヤスパーツはアウター用ということで分類。アウターはもしかしたら冬場はビッグサイズの袖なしプルオーパーのみでいいかも。同じデザインでいいので色違いで十枚位欲しい。別に私はオシャレに着飾りたいわけではなくて、自分で作ったという安心感と満足感を身にまといたいだけなので。後はカーディガンとかコートくらいか。

※とじとはぎは違うものなんだってストレッチ編の本に書いてありました。著者様ご立腹。目と目とを合わせるか、段と段を合わせるかで使い分けないといけないらしい。面倒くせえ。

逃避?

 いえいえ、編物は見方を変えれば毛糸の大掃除。

 そんな風に自分に言い聞かせて、パーツ生産を継続。いとぼうちえさんでのメリヤス編みは、50段50目で。僕らは皆編まれてるー、編まーれてるならモチーフだということで、メリヤスでも平気でモチーフ扱いする気満々。いずれ鈎針でつなげるためには、まずたくさん織らねば。織って毛糸を消費せねば。

 ピケ編は、45目掛けて一目くぐらせて、都合46目か。段数は21段で横長の長方形に編んでいます。こちらもとじはぎするか鈎針でつなぐかするため、せっせと生産。今13枚編めたところです。昨日編み機に掛けたプレミアムウールシルクの余り糸をつないで同じ目数、段数で編んでみたけど、若干すべって編みづらい。小さいサイズで編むと作業の区切りが付けやすいんだわ。

 メリヤスの方は、目はさすがに綺麗に揃っていますが、当然端がくるんくるんしています。これどうするかなあ。そもそもオーバーサイズの物しか作らないし、パーツごとに処理するから、小さければパーツを足せばいいだけの話で、蒸気を当てて落ち着けるとかする意味ある? と訝しく思ってみたり。昔の本にはかたく絞った濡れ手ぬぐいを乗せて熱したコテで――とか書いてありますよね。今そんなことしたら毛糸の神様に「今は令和!!」とバチを当てられたりするのでしょうか。

 本のスキャンの時に出てくる表紙の厚紙をカットして、粘着力の弱い両面テープで裏側に貼り付けて処理が済むまで固定するとか、ダメなのかなあ。別にダメってわけではないでしょうが、下手なことを書いて周りにスチームタリバンが沸いて出たらと考えると恐怖のズンドコ。

※50段50目のパーツを編むだけなら、いとぼうちえさんでなくてあみむめもさんで充分とか、そんな容赦のないこと言わない。

※子どもの頃、CMで見た編み機が欲しくて欲しくて。でもまあとにかく高かったし、親に言っても買ってもらえないだろうなと思って夢想するだけでしたが、最近知ったんですよ。母が結婚前に買って使わなくなってもてあましていた編み機さんが押し入れの中でおこもりされていたという事実を。「クリスマスプレゼント何がいい?」「編機ー」という会話をすれば、家庭内リサイクルでWin-Winの関係になれたのに。ちなみに我が家は「サンタさんなどいない。プレゼントを買うのは親」という教育方針で、直接イブの日に今はなき諫早の西友とか今はなき鹿島のすぎやに連れていかれて、自分で選ばされました。トランシーバーやCASIOのキーボードなどを頼んだ想い出。キーボードはともかく、トランシーバーに関しては、今となってはなぜの嵐。

※夢日記を書き始めて以降、夢の中に初めて鹿島錦の作品が出てまいりました。複雑な図案の紫色の座布団四枚。……ざぶ……( ゚Д゚)