色覚に関しては問題ないみたいだよ。画像をクリックすると診断サイトに飛びます。2018年の記事やないかいという突込みは却下。Xで見かけたもんでよう。ちなみに高校時代の体力測定の結果は60代レベルだったよ。

X情報によると、越前屋さんの紙巻糸は100mの長さだそう。うちの会で買っているコーン巻の意図だと2倍の長さになるという話だから、おおよそ200m? つくづくお買い得よのう。注文後の染めになるため、必要な数が揃わないと発注すらしてもらえないのが辛い。
冷え性向けにお茶を含めて三種類くらいは温かいままにしておいてほしいと、うちの職場に自販機を設置しているダイドーさんには切実に物申したい。え、申したい。
さて、月始め恒例の怒涛の実績確認が続く中、小休止してストレッチの件。NHKが受信料を原資にこさえたストレッチ番組をさらにDVD化して販売しているのを購入してから早十年強、歯がゆさを覚えながらも、受信料とDVD代両方の元を取ろうと頑張っております。もっとも、これまでは気が向かなかったり、肩や腰の炎症で運動そのものが無理だったりして、なかなか毎日継続というわけにはいきませんでした。しかーし、一年以上苦しめられてきた五十肩がだいたい落ち着いたおかげで、最近は毎日地道に続けることが出来ております。多分そういうお年頃。体も冷えるお年頃。
値段に反して 一セット数分程度で簡単に済んでしまうので、就寝前に行うものを数セット実践していますけど、想定外の弊害も出てまいりました。
実はやりすぎると中途覚醒しちまうんだわ。11時過ぎからえんやこらさと始めて、5セット以上取り組んだ後に横になるとすとーんと眠って、夜1時過ぎにすーっと目が覚めて、その後数時間眠れなくなる。総じて睡眠時間が逆に減ってしまってかえってしんどいのですが、若干物足りないかなあという程度、具体的には3セット以内で収めれば途中覚醒には至らないに気づきましたので、今夜からは「やりすぎない」を目標に。
それはそうと、最近、中途覚醒した後と、犬の散歩の時の希死念慮がひどいので何とかしたい。原因はわかっていますが、個人では対処のしようがねえんだわ。
※DVDなんて、もうリッピングと仕事用のソフト(たいがい大蔵大臣)のインストール作業の時くらいしか触らない。世の中変わりすぎ。昔愛用していた東芝の日本工場製Win95機を初期化した際には、どんだけFDが要ったか。
※追悼フジ子・ヘミング。
良い子のトラウマ飯降山。上の二人の尼さんが無謀な修行に出たのは、おそらく達成した時に得られるであろう賞賛を期待してのことではないかと推察。ただ一人信仰心から行を求めた年若の尼は、純粋ならばこそすぐにくじけそうになる。欲望というのは、何かを成すための土台にするには十分なほど強固ですしね。しばしば足を引っ張る若い尼を弑すのは、「人が亡くなるほど大変だった」と、修行の過酷さを後に周りに知らしめ、自身の栄誉をより浮き彫りにするためでもあるし、同時に単純に食料をより多く確保するためでもある。とどのつまり上の二人にとっては必要悪。どちらも絶対後悔していない。特に欲深い、最後まで生き延びた婆は、冬の間はおそらく山の生き物を殺して食べていますよ。最悪、人も食っとる。ラストシーンでは山姥化していますしね。多分あの後村人のことも食べているはず――と考えるのは勇み足か。
私は霊とかお化けとかより、生きている人間の方がよほど怖いんだわ。自身の行為を正当化出来るだけのイデオロギーを掲げることで、どれだけ凶暴にも、どれだけ残酷にもなれるから。
※二番目の尼が一番したたかだなと思うのは、一番上の尼に自分を殺させることで、自分の罪を相殺しようともくろんでいるような描写があるところ。
他の人には一切話しかけない宗教関係の人が、なぜか私にだけは積極的に話しかけてくるとか、元同僚が、「こいつなら言いくるめられるだろう」というあからさまな姿勢で頼みごとをしてくるということがあったりして、私はいったいどういう目で周囲から見られとんじゃと悩むことしきり。まあ宗教勧誘に関しては、日常的に天然石のペンダントを身に着けているのでそれ由来かもしれませんが、ただの鉱物好きで、別にパワスト信者ではねえんだわ。京都や大阪に住んでいた頃はよく石屋にも行きましたけど、今はもう「この石の効果は……」と店員が話しかけてくるのが鬱陶しくて実店舗では買わないし、買ったとしてもマクラメに使うビーズくらい。パワスト系の店員に関しては、法が許せば正面から一発グーで殴りたいとすら考えてしまう。どれもこれも北出幸男のせいということにして済ませたい所存。
後者に関しては、私の場合は、感情の起伏を出来るだけ表に出さないようにと心がけているだけで、何を言ってもイライラしないとか、終始穏やかというわけでは決してないので、そこのところを勘違いしないで欲しいところ。心中「安易な言葉を連ねるだけで私を制御できると思っているなんて、バカだなこいつ」と侮蔑していますよ。数少ない友人たちは、私のゴーイングマイウェイっぷりに関しては、とうの昔に匙を投げたと一様に言うので、推して知るべし。操られてなんかやんない。
※今では放送作家として知られている野々村由紀子が、漫才師時代にやっていたネタ「腕が長すぎて鼻がほじりづらい」をもう一度見たいのに、動画が落ちてねえ。辛い。「すんげー!Best10」が懐かしすぎてもうね。
またもやネットがかまびすしい。うちの親は絶対買ってくれんかったで。初期のシンプルな携帯型のゲーム(ゲームウォッチとか)は買ってくれましたが、ちょっとお高めとなったカートリッジ式や据え置き型のファミコンの類は絶対禁止でした。祖母に頼めば買ってくれたとは思いますけれど、プッシュフォンにも対応できなかった明治生まれにゲームとは何かを説明するのが面倒でよう。
ごくごく普通の家庭環境で、お金が絶望的に無かったとかではないので、多分買い与える必要性を感じなかったんでしょう。フルートなどの楽器類や、本来は学校から借りて使うもののため、要不要で考えれば不要でしかないイーゼルやカルトンなどはすぐ買ってくれたし、本に関しては、電車の中で読む文庫本メインだったこともあり、どれだけ買っても文句は言われませんでした。もっとも、教育熱心でもなかったので、子育てに関しては、基本、本を与えて放置系。父からはよく図書館に置き去りにされてたわ。保育園の頃には、肩から水筒を下げたまま大人向けの書架を徘徊して、先日亡くなられた鈴木健二氏の気配りのススメとかを貪るように読んでいました。
ゲーム機を買ってあげないと周囲とのコミュニケーションが取れなくなるという意見もあるそうですが、思い返すと、確かに話は合わなかったです。もともとコミュ障ですしね。当時はゲームの話に一切ついていけなくて寂しい想いもしましたけど、今から考えたらゲームに時間を割かなくて良かったと心底思います。ゲームに費やす時間やお金が無駄かどうかは個々人によって当然違い、ゲームがなければ人生が充たされないという人もいるだろうし、ゲームあればこそ救われたという人も少なからず存在するわけで、存在意義がないとは決して言いませんけど、こと自分に限って言及すれば、ゲーム禁止の家庭で良かったかなあ。反動で将来ゲーム三昧の日々を送るようになるという意見に関しては、人によって違うとだけ。当然廃人クラスのゲーマーになる人も出るでしょうし、そのままやらずじまいで人生を終える人もいる。DSのカートリッジからデータを吸い出してスマホの中に放り込んで持ち歩いていることからもわかるように、私もまったくやらないわけではないにしても、優先順位は著しく低い。病院での待ち時間に暇つぶしがてら触るだけ。私の世代は、ゲームをやったり漫画を読むのにまったく抵抗がない人間が過半数を占めていますけど、私は断然錦を織る作業の方を有意義だと受け止めています。
買うのが正解というケースもあれば、買わないのが無難な場合もあって、一概には言えないのがもどかしい。人生における選択の何が良くて何がまずかったかなんて、当人が死ぬ瞬間にしかわかんないよね、きっと。
私はぶち切れる寸前ですよ。あれほど村岡屋の美味なるお菓子について投稿する際は「さが錦」と平仮名まじりで書けと言うたに。え、言うたに。
Xで「佐賀錦」で検索をすると、ずらっと「お菓子美味しかったー」とかいうのが流れてきて、私なんぞは読むだけで血糖値上がるわけよ。食いてえ。なんぼ村岡屋さんでは漢字の方でも商標登録済とはいえよう。食いてえ。いい加減にしてほしいです、本当。食いてえ。
※この間頂き物のいちご佐賀錦を食べましたが、美味しかったです。プリンパンパンプリンパンパンプリンパンパン坊ということで、菓子パンとプリンとチョコレートに育まれた私は昔から甘い物に目がなくて、小学生の時、近所の人からいただいたハワイ土産のマカダミアナッツチョコを、一人で一箱食べきって、親から( ゚Д゚)って顔をされたりしておりました。ちなみに幼児期の偏食はきな粉かけごはんでワイルドに乗り切ったらしいよ。
※出生時の体重は2,500gやったで。
スタンドタイプの鯉のぼりが可愛すぎてもうね。佐賀錦の方の作品を拝見していると「どこでこんな可愛い材料買うん?」と唸らせられる時がある。混沌に向かう世界をKAWAIIで埋め尽くせ。Youはcute。
※元ネタ