おばあちゃんの原宿―巣鴨とげぬき地蔵の考現学

 個人情報? 何それ? という時代の本なので、十中八九当人に許可をもらっていないであろう写真などが掲載されていて、ドキがムネムネしたりもしますが、総じて興味深かったです。タイトルの考現学は、俗な表現をしてしまえば行動観察。趣旨を説明せずに会話の中で聞き取り調査を行ったり、参拝者を尾行したり、今なら確実にアウトな手法で入手した情報で一冊まとめられていて、ほとんどストーカー。

 1988年の刊行ということですから、ちょうど昭和の終り頃。巣鴨のとげぬき地蔵に参拝する人たちがどういう装いをしているか、どういう参詣の仕方をしているか、どういう店に立ち寄るか、どういうものを食べるか、空恐ろしいくらいに事細かく調査されていて、当時の習俗を知る資料にはもってこい。ちょうど私が十代半ばの頃の世相が切り取られているため、懐かしさもあります。おそらく当時の祐徳稲荷も、門前の商店街が今よりにぎわっていたんじゃないかな。鹿島錦保存会もせっせと和装小物を作っていた時期。この頃とげぬき地蔵に足繁く通って参拝されていた皆様、今では他界された方がほとんどでしょう。

 1988年は、昭和の終わりが目前とはいえ、少数派ながら着物を普段着にしている人もいたし、観光地では傷痍軍人がバイオリンやアコーディオンを手に日がな演奏して日銭を稼いだりされていました。果たして本物の軍人だったかは定かではないですが、私も修学旅行先で見かけてお小遣いを缶の中に入れた記憶があります。

 もし東京に住むとしたら下町よのうと、そんなことを考えながら読んだ次第。とりわけ「モンスラ」という言葉が一番心に響きました。モンペスラックスのことだそうです。

※面白すぎて織れんかった。読書リハビリをしている最中とはいえ、昔のように本ばかりを読むようになったら、またぞろ鹿島錦が進まなくなりますね。来月は教室に参加する予定なので、それまで掛けた糸を外したいんですけど。明日は落語を聴きながら織ろう。

カエルの鳴き声論争だそうで

 ネットニュースで知りましたが、田んぼの蛙が騒音問題として受け止められているのだとか。我が家の周りも見事に余所様のお宅の水田だらけですけど、確かに蛙の鳴き声はひどいです。そのままでは眠れない。田植えからしばらく、特に生殖のために活動する時期は耳栓必須。

 蛙の鳴き声で眠れない辛さって、多分経験した人しかわかんないと思うんだわ。ろくすっぽ調べもせずに知った風な口を利く自称有識者を心の底から軽蔑します。鳴くって言っても一匹二匹じゃないんだから。とんでもない数の蛙が鳴くと、ものすごい音が響き渡るわけですよ。私の場合は兼業農家だから文句を言わないだけ。

 自分の想像だけで安易に他人を裁く人間って嫌ーい。

※鹿島図書館の除籍本無料配布でもらってきた「おばあちゃんの原宿―巣鴨とげぬき地蔵の考現学」をようやく読みはじめました。面白すぎ。紙の本で読むより、スキャンしてから端末で読むのが楽。文庫はこれまで通り(古い)kindle端末でいいけど、四六判以上になると画面が大きい方が圧倒的に読みやすい。一般的な電子書籍ファイルと違って、スキャン画像をまとめたPDFのため、レイアウトが自動的に調整されないし。A4の電子ノート、図案表示専用にしようと捨てずに取っておいてよかった。出先ではこれまで通りスマホかipodtouchでkindleファイルを読みます。

念珠入れ追加

 かしまいろONLINEに念珠入れが三点追加されました。先日の作品展撤収日に博物館内で回収されたもの。実はかしまいろONLINEのサイトにアップされるのは鹿島駅で販売されている商品の一部でしかなく、実際に駅まで出かけないと購入できないものも少なくなかったりします。

 それにしても作り方にも個性があって面白い。かぶせの部分が直線だったり曲線だったりマグネット入りだったり。

アンダーグラウンド

 旧ユーゴスラヴィアを舞台にした寓話的作品。監督はエミール・クストリッツァ。作品全体のテーマが濃縮されていると思しき爆撃シーンの動物の扱いにはびっくりするし、第二章までは冗長な演出が続くため、途中で脱落しそうになりましたが、第三章まで観終えて、時間を費やす価値はあったと再確認。

 私が下手な解説をするよりwikipediaで読んだ方が早いと思います。いろいろ考えさせられる映画でした。マルコの弟のイヴァンが気の毒すぎる。また観ようっと。

※カット前は320分だったそうな。どんだけ( ゚Д゚)

※これで今夜は気持ちよく織れそう。

※カンヌで何かあったの?

アボ……カド……( ゚Д゚)

 去年だったか、伯父が栽培に取り組んでいるアボカドをもらって、せっかくだからと種を採ってポットに埋めておりまして。でも何カ月経過しても発芽しなかったので、面倒になってそのまま放置していたのですが、先ほど蒔いた種を整理していて放置スペースに目を遣ったら、おおおお、かなり育っている。外に置きっぱなしだったのにこんなに大きくなって。意外に耐寒性があるんですね。

 スーパーに普通に売っている肌がボコボコのアボカドさんとは品種が違うでー。

※「アボガド」ではなく「アボカド」ですよ。

たねたねたねたね

 まっきっきということで、遅ればせながら種まき決行。絞り咲の朝顔とゴーヤ、キュウリ、友達から種をもらったダリアとアサリナ(以前自家採種したものが家にあった)、それから去年の余り種のオクラ。八月になったら余ったキュウリと玉ねぎ蒔くでー。

 管理が大変なので少なめに蒔きました。無事発芽してくれ。今日はこの後Seriaに行って、それから新聞紙でゴミ箱にセッティングする簡易ごみ袋を作って、スキャン作業をしてからストレッチ。その後アンダーグラウンドを視聴してから鹿島錦の予定。

※色で遊びたいので、途中に紫系の糸を挿してみます。

残り一気に

 日本霊能者列伝の残り。なぜ私がこんなマニアックな世界についてわずかとはいえ知識があるかというと、以前とある出会いがきっかけとなり、カルト被害者支援の手伝いをしていたためです。別にガチガチの宗教愛好家とちがうでー。

・黒住教祖物語

 天照信仰から生まれたらしい黒住教。検索しようとしたらGoogleさんが毛穴の黒ずみ対策をサジェストしてきますが無視。まあ……善良な人だったんでしょう。そんなことより五明楼を名乗る有名易者がいたことに驚愕。やはり下ネタ好きだったりしたんでしょうか。

・飯野吉三郎の横顔

 私が嫌いな隠田の行者ですよ。読みたがっていたから興味があると思っていました? 残念。そんなことはなくて、はなから嫌い。一読した限りでは、ものすごい美化されているような気がする。昨今飯野の功績を再認識しようという動きが彼の故郷であるようですけど、嫌いなもんは嫌い。四つ足云々という部分は特に差別意識丸出しですけど、実際体調を崩したということは、もしかして何かの動物アレルギーだったんでしょうか。ちなみに著者の田中貢太郎の執筆当時は存命だった模様。話の途中で人体ラヂウム療法で名を馳せた松本道別が唐突に出てきて困惑。なるほど、松本の健康法って獄中の寒さ対策で考案されたのか。なお松本の弟子の野口晴哉は後に野口整体を興すんだってさ。

・予言者宮崎虎之助

 初めて知らない名前が出てきてわくわく。ちなみに「予言」は何らかの手法で未来を予測し、それを事前に言葉にすること。「預言」は神から言葉を預かることという違いがあるので注意。なぜ今読んでいる河出書房版では予言表記になっているのかは謎。デジコレで検索して確認しましたが、底本の「明治大正實話全集 第七巻」の目次では、きちんと預言者表記になっています。さらに調べて知ったこと。明治大正實話全集は巻ごとに著者が違うよう。三遊亭園朝と小さん・圓右と二つの章で落語に触れている第四巻の著者は村松梢風。これも後で読まないと。

 それにしても、潜伏キリシタン関連で必ず出てくる観音立像に見せかけた聖母マリアを祈りの対象とする「マリア観音」という言葉に似て非なる、宮崎が自称した「メシヤ仏陀」がパワーワードすぎる。寝取られた妻に出奔され、逃がした男も逃げた女も自らの手で殺してやろうと息巻いて旅に出たある日、視界に入る全ての物がきらめく輝きに満ちた世界に包まれるという神秘的な体験をして、自分がキリスト以上のメシヤだと信じ込む宮崎。純粋ではあるけれど何一つ異能はなく、何の奇跡も起こせず、大声を張り上げて説法するしか出来ない貧しく不器用な男の生きざまは、滑稽でありながら、際限なく哀れ。脚色せずにそのまま落語になりそう。この人の存在を知れただけでも読んでよかった。他の教祖様方と違って徹頭徹尾凡人でしかないところに、逆に存在としての魅力を感じる。本当この人どうしようもないなとその傍らで思いつつ。多分某ネ申と同類。ネ申の方は取り付く島もないほど傲慢で可愛げは毛ほどもありませんが、経済力では確実に宮崎は足元には及ばない。そのへんはかあいそう。とってもとってもかあいそう。

・神仙河野久

 これももちろん明治大正實話全集に収録されております。ええと、實話ってなんだっけ、どういう意味だっけと不可解な気持ちになれること請け合い。本 当 に あ っ た 話 とかいう意味でしたよね、確か。しかも河野久当人はほとんど印象に残らず、語り部的な立ち位置で宮地さんちの水位さんが出てくるもので、うさん臭さ倍増。私も中国四大奇書の西遊記の完訳版に小学三年の時にはまった過去がありますので、心情的には「神仙になりました」という人たちのことを信じたいのはやまやまですが、まあ……ねえ(´Д`) しかもそこまで音楽的才能には恵まれていなかったようで、仙境での演奏は下手っぴだったとのことです。でも大丈夫。神仙なら人間の寿命を超越しているはずだから、いくらでも練習できるはず。

 もう、古刹などに出向かない限り、人里離れた山奥で修業とか出来ない時代になりましたので、今後はこういう人も出ないんでしょうね。心ある神仙が誰でも上手に錦を織れる織り台を作ってくれんもんじゃろうか。

・木食上人山下覚道

 出来るだけ食事をしないことを提唱するブレサリアンは、極めつけに特異な体質の人以外には著しく危険思想だという認識。元祖和製ブレサリアン的なこの人もつまりたいがい。学がないから道をおさめようがないということで山下師が始めた始めた木食行。火を通したものを食べるのをやめ、生の木の葉や草の新芽・若芽を食べる行とのことですが「冬はどうされます」と訊かれて、「(根っこや木の皮だけではどうしようもない場合もあるため)野菜を買います」と返答するくだりが好き。正直。それと近所の子どもたちがお堂で遊んでいる描写も愛らしい。おそらくこの方も善良な方だったんでしょう。

 ただ、真冬でも入浴せずに水浴で済ませるなんて私には絶対無理。佐賀錦の古賀フミと交流のあった柳宗悦も、この方より前の時代の木食行の実行者について記しているとのこと。私は入浴もするし肉も食べるよ。

・蘆原将軍の病院生活

 恥ずかしながら存じ上げませんでした、この方。まるでミュンヒハウゼン男爵みたいな人物ですね。江戸川乱歩や筒井康隆も作中人物のモデルにしているのだとか。自称天皇と言えば熊沢天皇しか知らなった自分が恥ずかしい。メモしておこう。

 日本霊能者列伝というタイトルは誤解を招きかねないのでいかがなものかとは思いますが、蘆原将軍と宮崎虎之助について知ることが出来ただけでも良かった。この二人を主人公にした落語があれば絶対聴くのに。

 本の感想とは別に改めて痛感したのが、もう紙の本は無理ということ。しんどい。とにかくしんどすぎる。もしかしたら近いうちにKindle Scribeを買うかも。SONYの電子ノート(初代)の方が画面が大きいのですけど、A4だと持ち運ぶのに難があるし、何よりライトがついていないもんでよう。

ACB諫早店より帰宅

 到着早々着物コーナーに駆け寄ったのに、あいにく先客の老夫婦が陣取っておいで。八十代手前くらいかなあ。3着550円という手書きポップにうきうきしながら、離れた場所で「あれいいな」「これいいな」とチェックしていたものをすべて持っていかれて、辛い。10着以上一気買いされてしまって「てめこらクソバ――」とブチ切れかけた次第。

 仕方なく店内に入って他にないかなあと物色するため、お高め着物コーナーを確認したところ、確実にメンズ用に仕立てられる淡いブルーにいろんな色を散らしたさわやかさんな一着とか、薄緑の単色などを発見。ひゃっほーヽ(´Д`)ノとなったはいいものの、値札を確認したら合計9,500円。これはこれで辛い。そんだけ払うなら最初から仕立て済みの服を買うわいということでこちらも断念。

 ああ、もしかしたら今日は無駄足だったかもと、悲しみのズンドコで床の上に無造作にまとめて置いてある一カゴいくらの激安商品を確認していて、端切れや使いかけの反物がカゴからあふれんばかりに詰め込んであるのに遭遇。しかもお値段2,200円なり。ミシンの練習用にしたり、袋物を作る稽古をしたり、裏地に使ったり、着物リフォームの素材にしたり、最悪これらが出来なくても、いずれ取り組む気でいる割き織りに使えるだろうということで、躊躇することなく購入。

 面倒なので一つ一つ写真に撮ったりはいたしませんけれど、大量でござい。辛くない。

※日本霊能者列伝、出口直の章読了。とにもかくにも内紛ぶりがザ・大本。そういえばACB諫早店にも大本系と思しき御筆先っぽい本があるんですよ。信者だと思われたくない(失礼)ので買いませんでしたが、あれは興味深かった。ただ、大本から派生した新興宗教は掃いて捨てるほどあるため、どこのものかは不明。リサショに売る程度だから、まあ、そういうことなんでしょう。私の中でACBで見かけた興味深い物TOP3に入ります。他の二つはギャンブル用のバカでかいルーレットテーブルとドン引きするほど大きいぬいぐるみ。

集中力なさすぎ問題

 いつからかなあ。昔からか(´Д`)

 とにかく集中力がなさ過ぎて、読書も遅々として進まず。かつては文章の世界に没頭して日がな一日過ごせたんですけどね。両親が共働きだったため、一歳から保育園に通った口なのですが、保育園が休みで祖母達も不在の時、誰も子守をしてくれる人がいなければ、水筒にお茶だけ持たされて、父の職場に隣接する形で建てられていた図書館に、一人置き去りにされておりました。昼に一度帰って、午後にまた放り込まれて、ずっと本を読んで過ごしていたでい。ページをめくるのが楽しかったあの頃、図書館にある本を読みすぎて児童書には飽き飽きしてしまい、小学生になる前から鈴木健二の本とか読んでいました。そういえば小学生の時「クイズ面白ゼミナール」のゲームを持っていたような。そうそう、これだ。懐かしすぎて宿便取れちゃう。

 ところで、今回山の民とも称されるサンカのことを調べたいと思ったのは、被差別コミュニティとしての歴史があるというだけでなく、生活密着型の物作りの原点をそこに見出せるような気がしたから。サンカから定住して職人になったという人たちも確実に存在しているはずですし、何より鹿島錦を織る鍋島家とは対極に位置しているという点にも妙に心動かされます。

 入手したサンカ関連の本は今年中には全て読む予定。サンカ学叢書という五巻構成の本です。デジコレで見つけた本もまだ未読なのですけど、三角寛の立ち位置って、もしかして差別バラマキ型自称研究者の高橋鐵に近いんだろうか。

 なお、今読んでいるのは心の穢れきった私には荷が重い「日本霊能者列伝」。先の記事で紹介した通り、市井の自称霊感持ち軍団ではなく、日本の宗教史に名を残す新宗教の教祖たちの経緯のあらましを書いた、田中貢太朗の(ほとんど)小説。今のところ富士講の流れを組む丸山教の開祖伊藤六郎兵衛――「世直しだべー」とか言いそう――と、大本教にも影響を与えた金光教の開祖赤沢文治(川手文治郎)の部分だけ読了。基本生き神と呼ばれていた人たちばかりですね。エピソードが濃すぎて、どこまでが史実でどこからが脚色あるいは伝承なのかが不明でもやもやしております。まあ関係者第一世代が存命中に書かれているから、ある程度度は信ぴょう性があるんだろうとは思いますが。

 ちょっとずつ読書リハビリになればいいな。ちなみに前回まともに本を読んだのは十二国記の「白銀の墟 玄の月」。それにしても泰国荒れすぎ。今後どうすんの。

※隠田の行者と呼ばれた飯野吉三郎の章を早く読みたいんだわ。

※今からACB諫早店に行って、リフォーム練習に使えそうな古い着物を見繕ってきます。メンズでも着られそうな色合いの柄入りを目当てに。緋牡丹とかは御免こうむりたい。

エミール・クストリッツァの名前に反応

 諫早で一人暮らしをしていた時にアパートで観た「パパは出張中!」の監督であるエミール・クストリッツァの「アンダーグラウンド」が時折アマプラで100円セールの対象になるのですが、前回だったか前々回だったかは、レンタルした後一秒も観ないまま視聴期限を過ぎてしまって嘆きまくった次第。パパは出張中! がとにかく私好みだったもんでよう。

 今回は秘密兵器でふふふふふ。諫早時代はブラウン管テレビとVHS録画という、実にアナログな手法でしか保存できませんでした。PCは持っていても、メモリ32MBのWin95で圧倒的性能不足。でも令和の今は違うのさふふふふふ。

 一緒にマギー・スミスの「ミス・シェパードをお手本に」も借りました。「コーリャ 愛のプラハ」も久しぶりに観たいなこーりゃ。