まさか死角にあるとはよう。道理でいくら見える範囲を探しても見つからないはずだわ。もう何年前に買ったかすら定かではないですが、筋膜リリース用の道具ですよ。ストレッチ前に試してみよう。肩にもいいかもしれないし。
それにしても粘菌の不思議なこと。南方熊楠が魅了されたのもうなずけます。
自分の人生が明日どうなるかなんて、正直解りませんものね。いや、予定からある程度は予測がつくとはいえ、予想を裏切ることが起こるなんてざらにある話。織る時も「これが最後かも」と思って織る覚悟が要るのかもしれないと考え、糸掛けを中止。まだ掛けてなかったんかいという半畳は入れんといてね。沙綾型を切り取って作った今の自分の図案で色替えをしながら、宮沢賢治のやまなしをイメージした色で織って、下げ額作りを目指します。間に合え、県展。かぷかぷ笑え、クラムボン。
今日は鹿島錦教室の日ですが、例によって例のごとく、かかりつけ医の陰謀(深慮?)により、受診することと相成りました。今月は医療センターにも行かないといけないし、書類もまだ相当作らないといけないので、展示品の搬出の日までお休み。でもA先生には10日に博物館でお会いできるかも。
都合11kg痩せたので、かかりつけの先生に褒められてきますよ(=゚ω゚)ノ 帰ったらストレッチと毛管運動をやってから織り始めるでー。
立体造形が得意な知人がおります。謝礼を払えばきっとかし丸くんの木目込みの土台を作ってくれるに相違ない。将来保存会から鹿島市に作品を贈呈する機会があれば、そのおまけにもなるでしょうから、私の中でだけ構想を練ることに。やはり若者に意識してもらうには、見た目のインパクトって大事なんだわ。ハーバリウム用のボールペンに錦を封入するアイデアは、コロナ前から考えていたのに実行しなかったせいで、佐賀錦さんに先を越されてしまったわけですよ。無念。鹿島錦も負けじと新商品を開発していかないといけない。とりあえず名刺入れは「名刺・カード入れ」として販売した方がいい気がします。以前から申しておりますが。私も自分の名刺入れくらい自分で作らねば。もっとも名刺入れを作ったところで、名刺自体を持ってはおりませなんだ。
気になっていた佐賀新聞の記事は、職場のものをゲット。実は普段勤務している事業所のものは、悲しいかな、 速 攻 で 排 泄 用 品 の 処 理 に使われていたみたいなので、別の事業所のスタッフに頼んで、そちらの分を確保してもらいました。良きかな。著作権の問題があるので公開は出来ないにしても、スキャンして私的な資料にしておきます。それにしても「毎日新聞を読んでいる」と豪語している人たちがこぞってまったく気づかないのは、どういうこと?
遅ればせながら記事に目を通して、人一倍 うるさ お元気だったころの先生はもういらっしゃらないんだなと改めて実感。涙。でも先生のことだから、裏紙をホチキスで綴じた手作りノートを携えて、なんかその辺を浮遊霊になって漂っていらっしゃる気もする。実は亡くなられる直前に出した今年の年賀状に、「今年は初めての木目込みに挑戦します」としたためました。その年賀状が届いた頃は入院されていたはずなので、読んでくださったかどうかは不明ながら、きっと祐徳博物館内でふよふよしながら満面の笑顔で「あらできたじゃなかねー」と喜んでくださっていると信じます。
今年の作品展、鹿島錦保存会前会員代表の樋口ヨシノの遺した鹿島錦の多くの作品のうち、十六点が展示されています。わずかな数ではありますが、故郷の台湾から疎開してきた鹿島で篤子刀自の筥迫に出会ってから三十年近く抱き続けた「鹿島錦を学びたい」という願いが叶った五十歳からの人生を、文字通り寸暇を惜しんで織ることで情熱的に生き抜いた樋口の足跡の一端にでも触れてくだされば、教え子の一人として幸甚に存じます。
佐賀新聞に作品展の記事がアップされたーと思ったら、鍵かかっとる。WEB会員限定か。ちっ。考えてみたら、大先生の作品を間近に拝見する最後のチャンスかもしれないですね。まあ過去に博物館に寄付済のものがあるにはあるにしても。
まあ、しばらくしたら別のポータルに転載されるでしょうから、そちらを読むことにします。
検索していて知りましたが、昨年2022年の鹿島市報12月号で、A先生が鹿島市の教育委員会から表彰されていらっしゃる。私がまだ純粋無垢なお子だった頃に家庭科を担当されていたH先生のお姿も発見。お変わりないのに驚きました。あの頃は老け顔でいらしたのか。
※チョコレートをぬか漬けにする発想はなかった。
※佐賀新聞さんの記事の件で、Kさんから恐れ多い情報を頂戴いたしました(=゚ω゚)ノ ちなみに我が家は西日本新聞。