気が付けば4kg痩せて

 自作のチョコレート炒りぬかの力を借りつつ、もともと同年代メンズの半分くらいだった食事量をさらに半分にまで減らして、一月以上経過。順調に痩せています。というか、痩せる薬が二種類出されている上、毎日犬の散歩と踏み台昇降を行い、さらに管理栄養士さんの助言を参考にしつつ、カロリー&糖質制限しているとなれば、痩せない方がおかしい。甘い物に目がないため、多分以前はお菓子を同年代メンズの三倍くらい食べていたと思いますが、それは都合により棚上げ。もっとも、五十を目前にしながら一月強で4kg減は、ちょっとペースが早すぎるかもしれない。

 節気の計算などでしばしばお世話になっているCASIOさんによると、身長170cmの私の適正体重は63.58kgだそうなので、後4kgくらいか。

 不詳私の体重遍歴を誰が得するのかわからぬままにまとめますと、身長は高校時代から変わらないにも関わらず、18歳時点で55kgほどだった体重が、一人暮らしをしていた7年ほどでMax78kgにまで肥大。どんだけ。当時から一通り料理は出来ましたけれど、自炊が面倒な時は揚げ物などの総菜を買ったりしていたし、やはりお菓子がやめられず……。ただ、どうもそれ以上は太れない体質らしくて、どれだけ食べても80kg台にはなりませんでした。その代わり身体がボロボロに。あ、持病の慢性腎炎は子どもの頃からですよ。某町立病院のやぶ医者の誤診で大人になるまで放置されましたけど。知っていたらもっと健康に気を遣えたかもしれない。

 介護保険の開始年度に地元に戻った後、旧知の人に会うたびに「( ゚Д゚)」と絶句されるのがいささかしんどく、一念発起で2ヵ月かけて23kg痩せたのが27の時だったかな。あの時は壮絶な食事制限をしましたのでみるみる痩せていきましたが、こちらも体を壊してやめました。素人判断で筋肉量も落ちたのでしょうね、一年もしない間にリバウンドして70kg越えに。その後はもうダイエットはこりごりと好きなものを食べていましたけど、再度76kgほどになり、健診で指摘を受け続け、重い腰を上げて現在のかかりつけ医のところを受診。もう十年近く受診を続けていることになるのか。途中経過がよくなかったこともあり、七年前くらいに、今ではやらなければよかったと後悔している一日一食健康法などを試して65kg台になったのも、今となっては懐かしい。鹿島錦保存会に入会したのはその直後頃。内臓脂肪が減ることで腎機能はじめ諸々の数値は改善しましたが、どうも私には合わなかったようなのでこちらも途中でやめることにしました。

 今はさすがにお菓子食べ放題の生活は自粛しているため、72kgを越えることはなくなりましたけど、今度は逆に加齢でさらに代謝が落ちて、70kgを切ることもなくなったんですよね。だから久しぶりに痩せてきて嬉しい。数年越しの67kg台を満喫しております。適正体重まで落とせたら、月に一度か二度くらいはケーキの日を設けよう。

※料理は出来ると言い張っているくせに、魚は切り身専門。生魚は絶対さばきたくない。エラを取るとか無理。自分で釣るとかまずもってありえない。

あわただしい週末でした

 週末に鶴を折って、週明けに焼く予定だったんですが、後回しにすることに。実は母が新型コロナの濃厚接触者→陽性確診者となりまして。昨日は母の、今日は父の検査のため、かかりつけ医のところまで窓を全開にした状態で往復した次第です。寒かったよう。嬉野まで窓全開で運転するのはすこぶる寒かったよう。

 不幸中の幸いで父は陰性。ただ「百パーセント安全なわけではないので気を付けて」とのことでした。

 私もいきおい濃厚接触者ですが、私の場合は、明日くらいまでに症状が出なければ多分大丈夫なので、明後日以降に職場の医療用抗原検査キットを使って、看護師に検査してもらう予定です。なんせ後十年ちょいで還暦の、基礎疾患複数持ちですからね。不顕性感染はまずありえない。何かしら症状が出るはずです。

 母の体調ですが、発症当日から翌日は寒気がひどくて頭痛もしたらしいです。今日は頭痛も治まり、咳とのどの痛みだけになったとのこと。ワクチンは四回接種済みとはいえ、介護事業所勤務・後期高齢者・基礎疾患持ちのトリプルコンボで、そもそもが優先接種の中でも上位の方。四回目までは打つのが早すぎてオミクロン対応ではありませんでした。本来ならすでに接種していておかしくないはずの、五回目のオミクロン対応ワクチンを遅らせていていたのが、痛恨の極み。とはいえ、心配していたほどには症状はひどくないようで、毎回食事を完食しております。のどの痛みもそうひどくない模様。胃腸も特には影響ないようですので、今はおかゆ+煮野菜などのおかず+ヨーグルトや卵という構成で渡しています。やはり基本はおかゆさん。そういえば、大阪だったかな、コロナ療養中で喉が痛くて苦しんでいる人たちに、とんかつ弁当を配った業者がいましたね。一体全体何考えてんだか。

※消毒液はいつも持ち歩いていますが、ここ数日は首から錦で飾った消毒ボトルをぶら下げて、筋金入りの消毒星人と化しています。おそらく一日五十回以上は、シュッシュもみもみしていますよ。主婦湿疹対策として時々馬油を塗りながら。「家庭内隔離は大変だねえ」とか言われたりしますけど、実は我が家は端と端ではコードレスホンの子機同士で通話できないくらいには長い作り(これは土壁ということもある)。母はもともと西の端の離れに一人気楽に寝起きしておりまして、普段は食事の時くらいしか一緒には過ごさないので、隔離自体はまるで苦になりません。ご飯を作って運ぶのが面倒なくらい。祖母達が元気だったころに二世帯住宅風に増築した場所なので、トイレと洗面所付きですしね。もっとも、ガスは外しているので料理は出来ず。オーブンやレンジくらい置くべきかもしれません。ちなみにキッチンは私が占領して、おりがみ陶芸専用の作業スペースとして使っています。田舎の古い家なればこそ庶民にも出来る業。

※冬場は馬油とかワセリンとかをこまめに塗らないと、すぐ主婦湿疹になるんですよ。あのかゆみは物理的に辛い。かゆみの後に皮膚がボロボロになるのも心理的に辛い。

※医師が不在の介護事業所で出来るのは検査まで。診断自体は、お医者様にお願いしないといけないことになっています。検査キットが医療用であり、看護師が検体を採取した場合は再検査は不要で、写真でも診断してもらえるとのこと。やっぱね、プロに任せなきゃダメなんだわ。素人考えで動くと逆に余計な負担が増えるんだわ。

先に進むのです

「錦を織るとね、その前にどんな嫌な思いをしていても、それがすーっと消えていくの」ともおっしゃったのですよ、大先生。「夕方から織り始めて、気づけば朝。家族から世話された(方言で心配の意)」「いつ織り終えてもいいように、同時に五台くらい経紙を立てているの」など、ヨシノ節の数々を心に刻みながら、私も前に進みます。昨日はお通夜の後で、今までになくまとめて織りました。肩の調子がよくなればもっとたくさん織れるのにと思いつつ。

 樋口先生が亡くなられても、まだ鹿島錦保存会内には(勝手に作った)落語部があるので、そちらの方も頑張らないと。

 そういうわけでメッシュワークのプランの続き。上品に仕上げるなら出来るだけ芯材は薄い方がいい。でもそうすると強度の面で不安があるということで、さてどうしようと思案して、以前観た近江一関張の動画ことを思い出しました。

 そこからハイテンションな一関張の作り方に飛んで――

 今はこういう天真爛漫な方の動画ばかりを観ていたい。

 もしかしたらこの技法を流用すれば、史上最高強度の鹿島錦のバッグが仕立てられるかもしれません。武器にも出来るくらいの。誰と戦うかは不明ながら。一関張の場合は、貼り重ねた和紙を通して表現される竹籠などの目の風合いを楽しむという側面もあるようですが、鹿島錦で作る時はそんな凹凸は邪魔にしかならないはずなので、化粧土のように何かで加工したほうがいいのかも。その上に和紙を重ね貼りして、さらに錦のメッシュ。

 土台に関しては、大分で勉強できるとはいえ、さすがに今から竹工芸を基礎から学ぶのは無理があるので、近江一関張のように、エコクラフトなどを使ったペーパーワークで。いっそあんでるせん手芸でもいいかもしれない。そういえば、大先生と同い年で性格もそっくりだった大叔母は、若い頃は竹籠を作る職人だったので、すごく綺麗に作っていたんですよね、エコクラフトのバッグ。手芸作品を作る傍ら、晩年まで作業にいそしんでいましたが、他人様に差し上げることが多くて、うちには残っていません。口惜しや。

 鹿島錦でバッグを作るとなると、貼り込みやカルトナージュがまず思い浮かびますが、意外にいいかもしれない、なんちゃって一関張とメッシュワークの組み合わせ。本体は平織りのメッシュワークで、蓋――というか、被せというか――は綾織を貼って。小さい物だと多分カルトナージュの方が綺麗だし早いので、いろいろと使い分けるのが理想。

 週末は久しぶりに白い陶芸紙で鶴を作ります。焼き上げまで済んだら、以前佐賀新聞社に確認して使用許可をもらった大先生の写真を片翼にデコパージュ。もう片方の翼には伝統図案の鹿島錦を貼って、オブジェを制作予定。春の作品展に出そう。

お通夜から帰宅

 先生の動画を何度も何度も繰り返し観ています。私が入会した時、とても喜んでくださったのに、期待に応えるようなことをいまだ何も成しえていないのが、正直辛いやら悔しいやら。樋口ヨシノを知る世代と、樋口ヨシノを知らない世代、今後ははっきり分かれてしまうのもたまらなく寂しいです。

大先生との約束

 鹿島錦の第一人者で、鹿島錦保存会を設立当初から牽引されてきた大先生こと樋口ヨシノ先生が、昨日帰幽されました。詳細が不明なこともあり、まだ心が乱れていて、手を休めると自然に涙がこぼれる始末。私が樋口先生と関わることが出来たのは、百歳を越えられてからの短い間だけですが、それでも鹿島錦教室では、先生の指定席の近くに座って織っていたおかげで、いろいろな話をうかがうことが出来ました。材料を確保するために京都に出向いて職人さんに直談判した話、仕立てをしていて刃物でけがをした話、織り台を作る過程で大工さんと面倒なやり取りをくりかえした話、織り始めた当初に今は雲散霧消してしまった他のグループから「鹿島の人でないのに鹿島錦を織って」と陰口をたたかれた話――時には笑い、時には憤りながら、感情豊かに話してくださいました。

 そんな大先生と交わした約束がいくつかあります。

「将来必ず鹿島錦の指導者になること」
「男性の織り手をもっと増やすこと」
「地元の(鹿島以外の)文化祭にも出品し、鹿島錦を広めること」
「人間国宝に選ばれるまで精進を続けること」

 冗談交じりだった最後の一つは別として、先の三つは手を伸ばせば届きます。親しんだ人の死に囚われがちな私、これから一生、織り台に向かうたびに、大先生のことを思い出すに相違ない。いつの日か彼岸で再会できたときに、「帯締めどころか帯も細糸で自由自在に織れるようになりました」くらいのことは言いたいかな。

 末端会員の私にできることは、樋口ヨシノという、鹿島錦に魅せられ、鹿島錦の織り手としての生き方を貫いた人がいたことを忘れず織り続け、同時に後に続く世代に、大先生が愛してやまなかった鹿島錦について、正しく伝えていくことくらい。大先生との四つの約束のうち、実現可能な三つを果たすまでは、先生のおっしゃった「一生勉強」を続けていくつもりです。

 仕事の都合で明後日の葬儀には出席できないため、明日のお通夜でお礼とお別れを申し上げ、それから「先生との約束を無事果たせたら、あのエイブルの廊下中に響き渡る大きな声で褒めてくださいね」とお願いするつもりです。

※マスクがずれても気にせず&「一言どうぞ」と言われたのにもかかわらず、延々しゃべり続ける大先生が、可愛らしくて仕方ない。新型コロナのパンデミックが無ければ、錦という生きがいを通じて、もっと長生きされていたはずと確信しています。改めてご冥福をお祈り申し上げます。先生、私、もっともっと織りと仕立ての練習をして、扇子入れを作りまくって、噺家の皆さんに贈って、鹿島錦を広めますね。

緊急連絡がまわってきました

 昨日、大先生はお元気かなあとつらつら考えながらブログ記事をアップしましたが、その時はまさか亡くなられるとは予想だにしませんでした。てっきり施設でお元気でいらっしゃるとばかり――

 まだ気が動転していて落ち着かないのですけど、今日はとりあえず自分の受診を済ませてきます。

 おいおい先生の想い出をしたためられるといいのですが、今はまだ心の中が取っ散らかっていて、何をすればいいのやら。まずもってご冥福を。

「縫わずにできる革テープのバッグと小物」

 ――が届きました。箕輪直子さんの本です。ページをめくるたびに妄想が沸き上がって仕方ない。しつこい経紙のくせを矯正する方法も目星がつきましたし、今後は古い経紙であっても積極的に入手して、平織りを織り溜めておこうと決意。平織りした布をリボン状にして編みこんでいくだけという手軽さでバッグが出来てしまうなんて。長い布がなくても、隠れる部分に継ぎ目を持ってくれば、きっと端切れも使えます。もてあまし気味の包みボタンを飾りに使ってもよろしかろう。

「ええ、お高いんです」な新しい材料ではおいそれとは作れませんが、経紙も糸も古い物を安く仕入れたので、絶対作りたい。

 技法としてはメッシュワークというそうです。kindleにもあったので買ってみた。古書を買ってスキャンした方が安いんですが、すぐ読みたかったもので。

※私が興味を持ったクラフトの道具や材料はだいたい販売しているクロバーさん。手の広げっぷりが時々怖い。鹿島錦だと厚みが出るはずなので、二枚重ねが限度かも。平織りのリボンの幅を細く作ってそれで綾織をして、諸先輩方から「何しよると( ゚Д゚)」と呆れられそうな錦作品も出来そうです。

※お若い。大先生と同じで、昔は教師をなさっておいでとか。

※おお。

年賀状は去年から一通だけ

 知り合いはだいたいメールやDMなどで挨拶するため、紙の年賀状は去年から一通しか出していません。今年も出しましたよ、施設気付で大先生に。入所先の敷地内に複数の形態の施設・事業所が混在していて、果たしてどちらにいらっしゃるのか正確な情報がつかめていないため、問い合わせをしたとところ、「気付でも大丈夫」との回答を得たので、そうしております。多分特養だと思うんですけどね。年齢的に。

 大先生がご存命のうちに、出来るだけ大きい物をこさえて、「こんなのも作れるようになりました」と写真を送りたいのですが、なかなか進まず。今でも時々始めたばかりの頃に言われたことを思い出します。

鹿島錦は、基礎に一年、小物に三年、十年織って一人前。その後は一生勉強。

 今年の10月からようやっと7年目に入ります。今は6年目と2ヵ月強。一人前には程遠いとはいえ、牛歩で上達している模様。私が一人前になるころには、おそらく保存会のメンバーもかなり様変わりしているのではないかな。コロナ禍前の総会で、裏紙を綴じて作った手製のノートを紐解きながら、「去年一年(参加率を)記録してきたけど、一回も休まなかったの私だけ」と呵呵大笑されたんですよ、大先生。その時は変わらないのは大先生だけとかも思ったりしましたが、やはり不変のものはないですね。

 どうせ変わるならせめて良い方に変わりたい。昨年退会された方たちに関しても、どこかでその後の作品を拝見出来ればと願うばかり。

※まだ仕事中。実績がなかなか終わらない理由は、何十回説明しても正しい実績記入の仕方を覚えてもらえないから。すべてチェックしてミスを修正しながらソフトに入力&原本を清書しているため、他の事業所の何倍もかかるのです。きちんとした状態で上がってくるなら、もっと作業も簡単なんですよ。いい加減腹立ってきた。

せっかくだからと

 昨日のうちにペンダント紐を結び直しました。今回は目の数は正しいのに、石の順番が左右対称にならず。無念。遠方の友人との笑点チャットも無事終了。新年のあいさつもそこそこに、あやしい健康法で知られるどこぞの若作り医師より、春風亭昇太師匠の方が若く見えない? とか、そういう話をした次第。

 今朝はモチをスルーしてチーズトーストを食してから、事業所に明日までに仕上げる予定の実績を取りに行き、父とフラワーウッドという園芸店で微散財。初売りに行くのは何年ぶりだろう。前回コロナ前に行った時はさほどでもなかったんですけど、今年はとにかくものすごい人出。サイネリアの鉢が欲しくて行ったのに、一つもなくて、パンジーはまとめ買いするにはまだ高いなあと、水やりの手間が少なくて済むレウイシアを色違いで三株ゲット。カゴすら確保できないほど人が多かったため、若干土で汚れた育苗ポットを腕に抱えて一時間前後のレジ待ち。まだ若い株なので重さはなかったんですが、持つときの角度が原因で、支払いの時には腕パンパン。辛かった。しんどかった。

 なんぼ初売りとはいえ、「でも、お高いんでしょう?」な花や観葉植物を、皆さんがんがん買っていらしたのですごいなあとと感心していたら、あろうことか、花も鉢植えも苗木も、全品表示価格より半額でしたよ。知らんかった――というか、忘れていました。数年越しの初売り参加だったので。腕やら腰やら痛めながらさんざん並んだ挙句、レウイシアを三株だけ600円強で買った私って。嬉しいのは嬉しいんですよ。新しい花苗が買えたから。だけど涙が出ちゃう。半額だったの知らず子だもん。

 涙も汗も若いファイトで午後こそ実績をと考えていましたが、母が今年のスケジュール帳を買い忘れたとのことで、今度は積文館まで行ってきます。明後日は受診日なのでさっさと実績を確定したいんですけど、仕事が終わらん。夜までにはなんとか。

※いちごホウレンソウというハーブに興味津々。株が枯れかけていたのでスルーしましたが、種が結構高い。実も葉も食べられるハーブだそうです。