30日以内にPrime特典から外れる作品一覧の中に、縄文時代に〇〇る人々というのがありまして、面白そうだったので再生を始めたんですが、直後に裏の事情に気づいて、そっ閉じ。私が一時被害者支援のお手伝いをしておりました某カルトの関係者ががっつり出演しておりました。そういやNPOの名前にも聞き覚えあるわいな。
観ないに越したことはないです。私ももう二度と再生しません。
今日とんでもなく腹立たしい封書が届きました。もっとも内容は世間的には吉報と呼ばれるもの。本当なら喜ばないといけないんですが、経緯に納得できない私は一方的に腹を立てております。なんというか、もう本当ムカつく。ブチ切れ祭り。私の場合、精神的に打ちのめされたり、今回のように不要な苛立ちに支配されて疲弊した時、普段は信仰心の欠片もないのに神社に出かけなきゃ(実際は行かない)とか、護符を持たなきゃ(同様に持たない)とか考えてしまうんですが、経験上、しっかり寝た方が立ち直りが早いんよねえ。数日きちんと寝ると「別に神社も護符も方位取りもいいや。面倒」となる。基本面倒くさがり。方違えとか言って、何もかもを妄信した平安貴族とは相いれないお年頃なわけですよ。逆に数年に一度の頻度でやたらと気力が充実すると、徹底的に部屋を掃除したくなるのが不思議。なんでだろうと自分でも思う。
もう長いこと、よりよい睡眠を確保するためにさあストレッチをしようと考え、早めに編み針やあぐりを置いて自室に戻っても、ついだらだらとYoutubeのショート動画を観てしまって、結局午前様に軽く体を伸ばして寝るだけになりがちなのを、いたく反省いたしました。
寝よう。もっとしっかりと。適度にストレッチをした翌日は確実に体が軽いわけだし。
睡眠のための時間はある程度確保できていますけど、問題は質よのう。
責任者でてこーいと、人生幸朗師匠のようなことをぼやいてみたり。ダイマル・ラケット師匠しかり、洋之介・喜多代師匠しかり、いずれもオンタイムで拝見したことはないのが残念。オンラインでなら観られるのに。それはそうと、上方だと漫才師も師匠扱いで、東京だとなぜか先生になるの、本当何とかして。部外者にはややこしすぎる。
佐賀錦も鹿島錦も、もともとは御殿で行われていたたしなみ。そもそもきちんとした格好で正座して手織りがデフォルトなんだから、機械織りの人たちの方が「うちら機械織りでござい」と名乗るのが筋ではないかという意見に一票。なんなら私も織る時はタキシードにシルクハット姿で正装して織りますよ。
嘘をつくのに疲れたので昼寝せねば。
きつとみんなで待ちませう。
それにしても源九郎旅日記の配信がYoutubeで始まっていたとは知らなんだ。今年一番の朗報です。御一行、21話には我らが肥前入りを果たします。佐賀錦も出てくるというもっぱらの噂。驚くなかれ、町角で百姓娘たちが売るそうですよ。脚本書いたの誰。ワクがムネムネして今夜から一睡も出来そうにありません。睡眠不足に拍車がかかって、わしは一体どうなってしまんじゃ。
そういえば水戸黄門にも佐賀錦が出て来たそうです。そもそもの時代が違う上、後年開発された巻台を使って織るシーンが撮られたのだとか。知らないことを調べずに書くって怖い。
※力の指輪のシーズン2はいまだ未試聴。後でまとめて観ます。
と、持て余した憤りを夕日に向かってぶつけたくなるお年頃。なんの話かって、「福祉」の語源の話ですよ。諸説あるうちの一つに、焦氏易林の履之項に書いてある文言が初出というものがあり、いまだに流布していて困惑。これは大漢和辞典(大修館)由来のミスなので、要訂正。前に何度も訴えておりますが、私が焦氏易林を読んで調べた限りでは履之項には書いてねえんだわ。実際に書いてあるのは泰之項。
履は六十四の易卦の一つ天沢履。泰は同じく地天泰。易林は易の六十四卦が別の卦に変化した場合についての解釈や受け止め方を解説した本なので、正確には地天泰が火天大有に変化する場合の解説、泰之大有の項目(生直地乳,上皇大喜;賜我福祉,受命無極。)がそれに該当します。
正直申しますと福祉の部分より「上皇大喜」が私のツボ。後鳥羽上皇がひゃっはー( *´艸`)と喜びの舞を踊っていそう。
毎日踏み台昇降しながら視聴を続けているPrime特典のまんが日本史は、ようやく室町幕府に突入やで。
スナメリという海棲哺乳類の存在を知ったのはしばらく前な上、生粋の太良町民でありながら海中鳥居なるものがあることすらわきまえない子ども時代を過ごしてきたわけですよ、私は。どんだけ無知やねんと説教されても仕方ない。まあ、鳥居に関しては、ちょうど建て替える時期――栄町区民ではないので正確な時期は不明――にこっちにいなかったという事情は斟酌してほしい。朽ちきった上塗料がはがれて古びた姿を遠目に見ることしかなく、しかも目が悪いので、てっきりビッグサイズの杭だと思いこんでおりました。嗚呼。
踊ると誰かが怪我をするという恐怖の鎌踊りを川原地区婦人会がやらなくなり廃れてしまった今、せめて大魚神社の伝承だけは伝わり続けてほしいわけですけど、由来があまりいい話じゃないんですよねえ。悪代官が村民から恨みを買って沖ノ島に放逐されたのを、スナメリさんが助けてあげるという。スナメリさん的には善行なんでしょうが、要らん事すんなとも思ってみたり。史実だとしたら村民が報復されていないといいけど。良い子のスナメリさんが島に取り残されて嘆く悪代官を見かねて「困ってる? もしかして今困ってるの?」と小首をかしげてキュートに訊いたに違いない。X情報によると大魚=巨大なブリ説もあるそうですが、町民権限で却下。ヴィジュアル的にどうよ。怖いわ。だいたい人を乗せられるくらいの恵体ブリが沿岸に近づいたら即座に投げ網の餌食になるわな。五十人前くらいの刺身と粗煮になって骨は棄てられてはいおしまいです。
なお、有明海の沖ノ島に関しては、子どもの頃に親の三夜待のイベントで上陸した経験があります。特例を除き何人たりとも入れない世界遺産の沖ノ島とは違うで。いたるところにやたらと小銭が落ちていましたけれど、「絶対拾ったらダメ」とあらかじめ釘を刺されていたので、参加したお子ら全員で「ぐぎぎぎぎ」と歯を食いしばった想い出。
鳥居を挟んで沖ノ島と対になる多良岳に登ったのは、五十年の人生で三回か四回。いずれも子どもの時なので、四十年ほど前ですね。
※海の向こうに就職をして、毎日スナメリ通勤してみたい。海のトリトンみたいに生きてみたい。
※なんだこれ可愛い。