青菜に笑った

 文珍師匠の青菜もいいですね。入浴後に織ったり編んだりしながら聴いてすっきり。ご両親の事を諧謔的にネタにされているのも、愛あるユーモアという感じ。さらに昨日は夜に落語二本分――五代目圓楽師匠の鮑のし、それから枝雀師匠のくっしゃみ講釈で、途中休憩しつつスワイショウ。ちなみに上方の演目のうち「次の御用日」に関しては、設定そのものが苦手なので、あまり聴きません。少女を怖がらせて人事不省にした行為に関する裁きを、あんなにふざけていいものかと脊髄反射でつい思う。江戸落語なら「錦の袈裟」かなあ。錦を織っている時に一度流し聴きしていて、その流れに「ええええ」と声をあげた唯一の噺。それまで何度も聴いていたにも関わらず、ですよ。基礎織の四枚目か何かでとりわけ四苦八苦していた時だからでしょうかね。「これだけ苦労して織っているものをふんどしにするだとぅ」といきり立ちました。まあ噺の中の錦は、十中八九京都の西陣織とかでしょうが。

 それと、昨日流水をのんびり拾って織っていて明白に自覚しました。

×織りたくない
〇拾いたくない

 なんだわ、私の場合。なんだか、「織るのが楽しいと言わないと鹿島錦を織っているとはいえない」「拾うのが楽しいと思わないと織る資格がない」と暗に責められているようで、それがしんどかったんだろうなと。もう拾うのが下手な半人前でいいです。その分糸をかけて二倍織れば、単純計算で一人前だもの。拾いたくない理由には、乱視と近視と遠視が混ざってしまって、仕事その他でやたらと目が疲れるというのもあるだろうし、性格的なものもあるし、マルチタスク不向き人間ということもあるんでしょう。図案を見ながら織るなんて無理ゲー。そうかといって何段か織っただけで自然に拾い方を覚えるほど脳機能が若くない。そもそもやることありすぎってくらいいろいろやっているんですよ。このブログにただの一度も、それこそ片鱗ですら書いていないものまで含めると。

 まあそういうわけで、今度私の前で「織るの楽しいー」「拾うの楽しいー」とかのたまう人がいたら、ホワイトボードにでかでかと「〇〇はサンタクロース」とフルネームを書いてさらすので、クリスマスにはエイブルまでそりに乗って来て、私にプレゼントを渡すように。絹糸可。五巻くらいで赦す。ただしひげもつけんとあかんで。サンタ服は市販のものでいいですが、帽子は鹿島錦で織るべし。

 以上。

※あと25cmくらいですが、さっさと終わらせるため糸を掛けて流水を織ります。糸で織れなくなったら織れるところまで平織りを入れて強制終了。図案を見ないで拾うのは結構好きなんだわ。昼の食事の後スワイショウを始めるまでの空き時間に、昨夜からシンクに放置したままの皿を洗って、糸掛けの準をせねば。

※尊すぎて鼻血出る。