無頼無法……だとぅ

 もうすぐPrime特典から外される映画の一覧を確認していて「無頼無法の徒さぶ」という古い邦画を発見。もしやと確認したら山本周五郎のさぶでした。普段は洋画しか観ませんが、古い作品は別。

 そんなことよりなんでさぶが無頼無法の徒なのかさっぱりわからん。愚善を絵に描いたような下手っぴ職人ですよ。マーケティング?

※最近は去勢済み地域猫おぐらさんへの朝の餌やりは父が担当しておりましたが、昨日からあいにく旅行。餌を餌をとにゃおにゃお鳴くので先ほど食べさせました。肥満化が止まらないのは、多分余所でも食べているせいだと思います。

※栄二は一時的にやさぐれただけだしよお。

なかなか整わず

 引っ張り紙への貼り方が悪かったのか、織り出しでつまずいております。14段平織りを入れても整ってねえ。鹿島錦の場合は佐賀錦のようなこよりは使いません。多分どこかで誰かが手を抜いてそのままではないかな。そのおかげで同じ長さの経紙でも、佐賀錦で織るより若干長めに織ることが可能。まあ鹿島錦教室で普段使うのは特注の1mのもので、その時点でやや長めなのですけどね。

 こよりを使わない分、最初から長めに平織りを入れて張力の乱れを整えていきます。奇跡が重なり1cmも織らずに綺麗に整う時もあれば、糸を入れた時の水平方向の角度まで揃えるのに長めに織る必要がある時もある。貼り方以外にも、まれに切り屋さんの(ぴー)が理由の時も。

 今回は多分私のミスなんだわ。まあもうちょっと織れば大丈夫そうなので貼り替えない方向で。最初の数段特にボコボコやで。

書籍待ち

 昔の「そめとおり」の別冊に染織と生活というシリーズがあるらしく、その中で更紗の特集が組まれていて、当然のように鍋島更紗も取材されているそうな。その部分ももちろん読みたいのですが、実はその号では、別枠で、佐賀錦のふるさととしての鹿島に関する紹介がされているそうで、早速注文した次第。目次に記載されている「佐賀錦の古里:肥前鹿島(染織風土記)」には、そそられるばかり。

 察するに「鹿島まで取材に来たけど、鍋島更紗だけではもったいないよね。他にここ何かない? え、鹿島錦? 何それ、佐賀錦のこと? こっちが源流なの?」という流れだったのではないかと。そめとおりの本誌に関しては国会図書館にある程度揃っていて、デジタルコレクションでも読めるのですけど、別冊の染織と生活のシリーズに関してはまるでヒットせず。実物を入手するために今日中に代金を支払予定。

 調べてみたら私が生まれた年の本なので、50年前さね。もしかして若き日の大先生のお姿とか拝見できるのでしょうか。そう考えると 恐怖のズンドコ ワクがムネムネ。悩殺されたらどうしましょう。

ひとまず本金立てりーの

 明日糸掛け―のから織りだしーのの後、さらに糸掛けーのして桝を織り―の。

 昔バカリズムがやっていませんでした? トツギーノ。

 実は糸掛けと同じくらい整経が好き。乱れていたものが整然と並びなおすのがたまらん。

※鹿島錦保存会会員の錦が、日本三大稲荷(註・神社系)に新しく出来る施設に飾られる(かもしれない)というのは、実に名誉なことながら、締切という切実な問題が、アルゼンチノサウルスなみの巨躯で眼前に横たわっております。明日の話し合いのことを考えるとドキがムネムネ。

麻酔を打つならデ〇ィ夫人に

 由々しき事態ですね。熊の駆除に関して、自治体に抗議の電話がやまないのだとか。そりゃあ熊だって生きているわけですが、生きるということは他の生命を獲物として犠牲にすることであり、その獲物の中には人間も容易に入りうるという事実をもっと直視した方がよかないか。

 いっちょかみ好きのデ〇ィ夫人も、例の調子で「アメリカではー」とか言い出した模様で、いや、そりゃアメリカなら広大な国立公園もあるし、麻酔銃で眠らせてヘリで運ぶというも選択肢も充分有効に機能するでしょうが、日本のどこにそんな土地があるのかと。北海道ですらあやしい。ちょっと入ったところに送り返しても歩いてまた町中に出てきますよ、熊って強靭なんだから。

 殺さずに生かしたいのであれば、日本の場合は、まとめて動物園のようなところで飼育するしかない。そのために貯金なり寄付なりをしている人間以外が抗議をしても、結局他人事だから自分が現実をまるで認識出来ていないことに気づかぬまま好き勝手ほざいてんだろうなとみられるのが、物の道理というもの。

 そもそも正義も悪もそこにはない。あるのは崩れつつある自然のバランス。動物園以外には熊がいない九州の人間でも、さすがに熊と仲良く出来るとは思ってはいませんがな。

※以前、高齢の男性が、手塩にかけて育てていた熊に殺されるという事故がありましたね。あれなんか、育てていた熊可愛さゆえに、自分の人生が終わりつつあると自覚した被害者が、自分から屠られることで、十中八九直後に殺処分されるであろう熊とともに天国に行きたかったのではないかと、私は受け止めました。この方が生前に抗議したのであれば、私も無条件に認めざるをえないかも。説得力が違うもの。

今日はだいぶ楽

 腰も肩もかなり楽になりました。肩は再発する前に戻った感じ。決して全快ではありませぬ。腰も痛みがピークだった頃の3割くらいかな。今回は、初めてぎっくり腰になった時の身動きすら取れないほどの痛みよりはましでした。今は一般的な腰痛くらいかも。

 土日に痛みをこらえながら寝床で観た映画の中で一番良かったのは、バクダッド・カフェ。逆に最悪だったのはプロジェクト:ジェミニ。10分で萎えたので撤退。レビューを読んだ限りでは正解だった模様。時間の無駄さね、ありゃ。どうでもいいですけど、シャマランのノックって、サスペンスでもホラーでもSFでもなくて、心理劇ですからね。星一つのレビューを付けた人って、「十二人の怒れる男」もダメなタイプなんでしょうか。まあ設定がアレなのは認めますけど、あえてテレビ越しのニュースを通じてインパクトに欠ける説明をさせることで、人柱となる家族が情報の虚実を測りかねる状況を作り出したのではないかと、なぜ考えないのか不思議。何、皆わかりやすい世界でわかりやすい人たちとヒャツヒャウッハーって明るく楽しく暮らしているの? それはそれでうらやましいかも。多分あの映画の中の神様って「とんでもねえあたしゃ神様だよ」と呟きながら雷落とすタイプなんだと思います。おそらくやることなすことジェンガ感覚。

 それにしても、バクダッド・カフェのCCH・パウンダーは、刑事とか判事とかの役をやっている作品しか知らなかったので、蓮っ葉なおばちゃん役がかなり新鮮でした。後でもう一回観よう。

※今日から踏み台昇降などを再開しようかと思いましたが、また腰が痛みだしてきた。昼休みまでまだ二時間以上あるというのに。とりあえず請求書の作成準備をいたします。それにしてもだいぶ寒くなりましたね。もうちょっとで渡り鳥もつーっと飛んでくるかも。

仮定の話

 体調がよく、他にすることが特になければ、一日でAbbeyのユニットを1枚はゆうに編めるため、一週間で防寒用ベスト1枚を編み終えることが出来る計算。デザイン的にも色合い的にもアレなので、完成したにしても門外不出のまま貫き通す所存ですが、やはり一枚は完成させたいですね、ベスト。

 セーターではなく、ベストとかネックウォーマーとかアームウオーマーと分割して作る予定なのは、単に温度調節が楽だから。部屋の中では暑いから首と手だけを外してみましょうそうしましょうとやってみたい。新しい毛糸を目にするとつい買いたくなりますが、じっと我慢の子。実は合太から超極太まで、編んでない毛糸が200玉以上あるんだわ。今編んでいるAbbeyはレインボーカラーの断染めなので、派手派手しいにもほどがある。ボリビアのお土産みたいな配色。

 鹿島錦の方も順調に進み――というか、提出物に間に合わなさそうなので、平織りを長めに入れて強制終了しました。さっさと仕立てて、織った状態では先生たちには見せない方向で( *´艸`) 明日昼休みに時間が取れれば本金を立てます。14日の話し合い次第ですけど、とりあえずすぐ桝が織れるように糸掛けをしておかないと。幅は27cmあるかなあ。

※もう合皮でええわということで、PVレザータイプの痛バッグを調達。後はカード入れをいくつか作って教室で 見せびらかし 感想を頂戴してきます。来月7日は病院受診後の午後に参加予定ですが、それまでに間に合うかなあ。今月23日はそもそも行けんでー。

祖母や大叔母がよー言うてましたわ

「ポイシンば着らんば風邪ひくばん」と。

 こちらでいうところのポイシン=防寒用のアウターなわけですが、どうも由来は韓国語らしい。カササギを意味するカチガラスの「カチ」も、確か韓国語ですよね。

 まあ最近はポイシンなんて方言を使う人はほとんどいないわけですけど、ニッティングトリコのAbbeyをひたすらまっすぐに編んでいて、そんなことを思い出した次第。

 41段99目で編んだAbbeyのユニットを何枚かつないで、春になるまでにせめて一着はアウターを作ります。多分袖なしポイシンみたいな感じになるかな。ニットなのに和風路線まっしぐら。ようやく1枚目を編み終えたところです。ピケ編みだけは年季が入っているもんでよう。屋内で気軽に羽織る分には、5枚あれば出来そう。6枚編んでベストっぽくするのもいいかも。とりあえず平織りを入れる傍ら、二枚目を織り始めたいところですが、もう腰が限界。続きは明日。

ひぃぃい、ひいぃぃと呻きながら

 昼食用の焼きそば、夕食用に鯛のあら煮 with 厚揚げを作った後、糸掛け。三段掛けて一段はヘラで、最後までナンチャッテ流水を織ります。畔織りにも似て。六段くらい掛けて同じことをした方が、多分目は安定するんでしょうけど、まあ、実験的に。

 自我に目覚めた腰周りの筋肉が「わしはもう限界じゃ」と訴えるので、しばらく休んで夜にまた織ります。

※その後この配列では経紙が乱れやすいということに気付き撤退。素直に平織りを入れています。

ちょ……

 昨日は仕事の後妙に熱っぽくて横になっておりました。特に午後から腰と腕が痛くてたまらなかったのもあります。つらつらと理由を考えてみるに、インフルワクチンの副作用かも。ただでさえ肩と腰に炎症を起こして睡眠不足のところに接種したものだから、例年は特にない副作用が出て、発熱&炎症の悪化が見られたのかも。もっとも医療的な観点からの分析は素人には出来ないので、ただの憶測。詳細は藪の中。

 夜は悪化に拍車がかかり、悶絶という言葉がまさにしっくりくるほどの甚だしい痛み。そんな中ノック 終末の訪問者を観たのですが、予備情報なしに見たら、またシャマラン監督やったで。設定が相変わらず不条理すぎる。この人、設定ありきで詳細を描かずにごり押しするんですよねえ。その手法は嫌いではないですが、続けて観ると「また?」となる。

 とにもかくにも、肩と腰どちらかが痛いのであれば、姿勢の取りようもあるとはいえ、両方痛いと駄目。駄目駄目駄目。肩を守る姿勢は腰に負担がかかり、腰を休める角度は肩をさいなむ。激痛に脂汗をかきながら、わしはどうすりゃええんじゃと思案し、もう最後の選択よのうと、ロキソ投入。ええわもう、透析になるまで腎機能が悪化したとしてもという想いがそこにはあったわけですが、今冷静に考えたら透析しんどいかも。頑張れ腎臓。負けるな腎臓。

 スワイショウとか、夢日記とか、踏み台昇降とか、これまで続けてきたものが途切れてしまったわけですけど、まあ、仕方ないさ不可抗力さ。

※究極の選択系。シャマランワールド、私は好きですが、かなり好みが分かれると思います。友達はいつも「無理」と申します。サムネはガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの人やで。